1 – 10 June @Botswana Super good days!!

もともとボツワナに来るつもりはなく、ナミビアから南に下ってまっすぐ終点の南アフリカへと進む予定だった。

しかし、ナミビアの前の国アンゴラにて、行く先々で食事や泊まる場所の面倒をみてくれたバイククラブ『Amigos da Picada』(詳細を書いた投稿へのリンク)のメンバーJoseから、6月1 日〜2日にかけてボツワナの首都Gabarone(ハボローネ)にて周辺各国のバイク野郎どもが集結するミーティングがあり、彼らの中の主要メンバーもそこに行くと聞いた。Joseたちには本当にお世話になったのでまた会いたかったし、アフリカのバイクミーティングはどんなんか興味があったので、乱入してみることに。

青線︰ビフォー(当初のルート)

赤線︰アフター(予定変更後)

これによって、アフリカ縦断に加えて横断もするルートに伸ばした!幅は短いけど。

こうして、ふとした弾みで知った2日間のバイクミーティングだけをお目当てにやって来たボツワナだったが、予想外に楽しい出来事がどんどん起こって10日間も滞在し、この旅で最も思い出深い国の一つに!魅力的なナミビア観光をパスして作り出した時間は、来てよかったー!!と心から思える素晴らしいものとなった。

⦿ボツワナYAMAHA代表、Curt(クルト)との出会い

6月1日の早朝にボツワナの首都Gabaroneにたどり着いた時は、後輪がパンクしたピンチ状態だった。2本持ってきたチューブのうちの1本を、ナミビアのパンクで駄目にしてしまっていた。水が残り少ない状況の炎天下でパンクしたため、日陰が無い場所での修理を避けて国境にあるキャンプ場までそのまま走ったのが原因だ。ラス1のチューブを入れたが、今履いているチューブレスタイヤのMITAS E-07はビードがやたら大きくて肉厚で、チューブを傷つけずに入れるのが自分にはかなり難しい。タイヤレバーでチューブを噛んでしまうミスを二回やり、三回目で成功して出発したがわずかに傷つけていたようで、ボツワナの途中で徐々に空気が抜けていった。すでにパッチを使い果たしていたし、ちょくちょく空気を足せば何とか走れたので、またチューブを潰す覚悟でGoogleMapで見つけられた唯一のバイク屋(KAWASAKI系)を目指していた。

すると近くの交差点で、ふとYAMAHAの看板を発見!YAMAHAがあるならそっちにしよう!と行った先の『Peak YAMAHA』で新しいチューブを購入すると、責任者Curt(クルト)が「どこに泊まるんだ?なんなら俺の家に来ないか?」と言ってくれて、10日間のうちのほとんどを彼の家にホームステイできた。

ヨーロッパや日本クラスの立派なお店で、引き受けているマシンの多さが、ユーザーからの信頼を物語る。

仕事中は超クールなCurtだが、仕事後は超ビールなCurtになるからおもしろかった笑 家にいる間はほぼずっと飲み続けてたから、俺もお世話になってる身として一生懸命付き合った笑

国立公園に隣接するデカい家は、贅沢なロッジに滞在するようなリゾート気分だった。

100年以上昔の柱時計の上にあった、とても良いメッセージ。

後日、国立公園内にも連れて行ってくれた。

↑ イボイノシシ

↑ クドゥのオス(画面左にある巻き角)

↑ クドゥのメス

↑ インパラ ↓

また、二輪・四輪関係首脳人のミーティングに同席した時には、そこで現役DakarRallyライダーでボツワナの国民的スター、Vincent Crosbie選手にも会うことができた。

↓左:Curt、右:Vincent

ミーティングの様子

彼は昨年初出場したDakarRallyにて、ルーキーの中でも選ばれた選手にのみ主催者が渡す『Dakar Heroes』というスペシャルGoPro(小型ビデオカメラ)を持って走っており、当時彼が撮った映像をDakarオフィシャルサイト上で何度も観ていたので、その人と会えて光栄だった。俺は、日本人で唯一の現役ダカールライダーである風間晋之介選手(←クリックでオフィシャルブログへ)と親交があり、彼も2017年この『Dakar Heroes』の一人だったのでそれをVincentに伝えると、「ゼッケン#118、Shinnosuke Kazamaは覚えてるよ!超〜〜〜ナイスガイだったからね!!」と返ってきた。来年のDakarにはVincentもYAMAHAで出場する予定なので、この二人を応援する日が今から待ち遠しい!

いろいろお世話になったせめてもの御礼として、Curtのお店をGoogleMapに登録してあげた。立派なお店なのに地図に載ってないのはもったいない。これでお店の存在を知らない人でも見つけやすくなり、少しは集客効果があるはずだ!

⦿『Amigos da Picada』メンバーとの再会と、バイクミーティング主催者Piero(ピエロ)との出会い

6月1日の昼から、アンゴラでお世話になったバイククラブ『Amigos da Picada』のメンバー、そしてミーティング主催者でハーレーのV-ROD乗りのPiero(ピエロって名前!)と合流して、少し町中を一緒に走った。

ミーティング自体は小規模だったが、みんなのんびりくつろいでてピースな雰囲気は良かった。

ボツワナ建国51年目を意味している

一番すごかったマシンは、、、展示してあったマクラーレン!!笑「今日からこれに乗り換えようかな~」と吹いたら、Joseだけ笑ってくれて終了

ローカルTV番組にインタビューされた。

KAWASAKIのお店にも遊びに行った。

KAWASAKIのVersys1000が白バイだった

Pieroは日本からバイクで走っている俺が、このミーティングのために予定を変更してボツワナに来たことを超喜んでくれて、参加者や関係者が多く泊まっていたゴージャスホテル「Masa Square Hotel」にタダで一泊させてくれたー!!

その後、Pieroの家にもニ泊。こじんまりとした家だったが、旅人の俺を気遣って寝床を提供してくれた優しさがすごく嬉しかった。

⦿国家レベルで展開される超BIGプロジェクトのオープニング記念パーティーに乱入

Pieroがバイクミーティングの後処理でMasa Spure Hotelに行くので付いていくと、日本の商社最大手「●紅」の社員の方々と会った。話を聞くと、パワープラント関係の新会社(韓国企業とのジョイントベンチャー)をこの国に作るそうで、そのオープニング記念式典が8日の夜にあるらしい。ボツワナの大臣や大使も出席するこのBIGパーティーに、「そんな経験をしているならば来ませんか?」と招待してくれたー!!お世話になったCurtとPieroに恩を返すチャンスだと思い、友人の同伴を相談したらオッケーしてくれたので三人で乱入した。

こんな豪華パーティーの途中で、

「今日のおめでたい場には、はるばる日本から10ヵ月かけてバイクでやって来た野郎がいます。ご紹介しましょう!YUKIHIRO〜 KANEMO~TO~! 」

って全員に紹介され、立ち上がって挨拶するというサプライズも!かなり恐縮したが、いい思い出となった。

また後日、同社の伊藤さんにも個人的にご馳走になってしまった。この3月まで5年間ナイジェリアに勤務して4月に日本に戻ったばかりだったが、先述の新プロジェクト発足に際し「おう、ちょっとボツワナまで来いや!」と指令を受けて、いつ帰れるかわからないらしい。。。さすが大手商社だ!エネルギッシュでアフリカをよく知る伊藤さんと旅話で盛り上がった。

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ガイドブックやインターネットで評判の場所にはもちろん惹かれるが、そういう場所にはお金さえ払えばまたいつでも行けるだろうし、実は期待値以上の感動は得られない場合が多かったりする。こうした大衆的な方向よりも、この旅ならではの展開から生まれた流れに乗り、一期一会を楽しもうとした結果、10日いてGabarone以外のどこにも行かなかったが、期待値をはるかに越えた楽しさに導かれたのだった。

Keep on Rolling.

『Amigos da Picada』, such a nice motorcycle club in Angola!!!

11 May  DRC(コンゴ民主共和国)の町Boma(ボーマ)を出発して、アンゴラ共和国と国境の町Matadi(マタディ)を目指した。

町中でも車がスタックしている。もう少し頑張れば、こんな道ともおさらばできるはずだ。アンゴラ以南からは発展した国々になると聞いている。この日を乗り切れば最難関ゾーンが終わり、喜望峰までの道が開くぞ!そういう気持ちで進んだ。

Matadiに向かったのは、西アフリカを分断しているモンスターリバー、コンゴ川を自走で越えるためだ。長さはアフリカ第2位(1位はナイル川)、流量は世界第2位(1位はアマゾン川)とハンパないスケールのため架橋が難しいらしく、基本的には船で渡る。唯一1本だけMatadiに橋が架かっており、ここを渡れれば全行程陸路自走でアフリカ縦断できる。それにこだわりたかった。

橋が見えてきた。

なんと日本がつくった橋だったー!コンゴ川の向こう側に進めた喜びも倍増!!

DRCの出国イミグレーションでは、この旅で初めて検疫窓口があり、黄熱病の予防接種証明書 = イエローカードを登録された。なんで出国時にやるんだ?と疑問だったが、今考えればこの時すでにDRC内でエボラ出血熱患者が発生していたため、検疫が強化されてたのかもしれない。また、カルネ(バイクの輸出入書類)の書き方を間違えられ、違うじゃん!!とつっこみ直してもらったりもした。

アンゴラの入国イミグレーション施設は立派で、発展した国に戻ってきたことを感じる。しかし、ここでもカルネを間違って書かれてガッカリ。また、国境からしばらくは地図に無い荒れた道で、舗装路が中心の世界に戻る前の最後の試練となった。

でも、DRCでさんざん鍛えられたから大丈夫だった。この日で悪路との戦いが終わった!また、熱帯ゾーンを抜けて冬のアフリカを感じる朝晩寒い気候へと変わった。

13 May N’zeto(ンゼト)という町のガソリンスタンドに入ってビックリ!50台ぐらいのバイクが給油している。この旅で初めて(意外にも)の、バイククラブとの遭遇だった。

BMWのR1200GS、HONDAのAfrica TwinやVaradero、YAMAHAのSuper TENERE、DucatiのMultistradaなどなど、ほとんどのバイクが今世界中で人気の大排気量ディアルパーパスタイプ、いわゆるアドベンチャーモデル。通過したアフリカ諸国では生活の足として乗る小さなバイクばかり走っていて、このような趣味を目的とした高級車たちとはぜんぜん出会えなかったので、楽しむためにバイクに乗る文化圏に戻ってきたことを実感、嬉しかった。

このアンゴラの首都Luanda(ルアンダ)を拠点とするBIGバイククラブ『Amigos da Picada』との出会いはめちゃくちゃラッキーだった!日本から一人で走ってきた俺を超歓迎してくれて、その後行く先々の町にいるクラブメンバーがサポートしてくれたのだ。

14 – 16 May @Luanda

『Amigos da Picada』の基地に隣接する宿に泊まり、基地にたむろする彼らからビールをおごってもらいまくった笑

基地内にはビアサーバー

↓クラブのボス(Presidentと呼ばれる)、Lilio(リリオ)が「なんかあったらすぐ俺に電話しろ!」と超フレンドリーにしてくれたおかげで、クラブ全員から受け入れられた。

17 May LuandaからLobito(ロビト)という町へ。道中、お猿さん発見!

川の侵食がよくわかった場所。

Lobitoに着くと、Osvaldo(オズワルド)というメンバーが迎えてくれて、Mario(マリオ)というBMW R1200GS Adventure乗りの家に招かれた。

GSの他に、Royal Enfieldとスクーターも持っていた。

ビアサーバー付きガレージ、最高〜!!

そのまま、おやすみなさ〜い

@18 May LobitoからLubango(ルバンゴ)という町へ。

15年前に起きた内戦時の遺物、装甲車

Lubangoに着くと、Sandroというメンバーが迎えてくれて、Jose(ジョゼ)というHondaのVaradero乗りの家にお世話になった。この人とは本当に楽しい時間を過ごした!!

Jose夫妻

ゴチャゴチャと物が置いてある所の、トイレットペーパーの下から何かを引っ張り出したと思ったら、、、

カラシニコフ銃(AK-47)が出てきたー!!なんとこの人、元・特殊部隊兵で、教官まで登りつめた超タフガイだった。でも自分自身のことを「ミー」と呼ぶ愛嬌があり、とんでもなく親切な「気は優しくて力持ち」だった。

リボルバーも登場!小さいがズッシリ重く、撃鉄は親指全力でやっと引けるぐらいの強い反発力。この銃で人の体を貫通する威力があるらしい。。

それをサラッと腰に撒いたペラペラのウエストポーチにしまった。入れ物と中身のギャップがすごい!過去の歴史から、白人に対して悪意を抱いているアフリカ人もいるらしく、彼は護身用に常にこのリボルバーを携帯していた。

軍仕様のランドクルーザーには、アンゴラ内戦時の銃弾の穴が。この一発は運転席のJoseの右耳たぶをかすめ、後部座席の仲間の命を奪ったという。

19 May  Joseとツーリングに行った。「俺のセカンドバイク、YAMAHA XJ900を使ってもいいぞ?」と言ってくれたので、たまには違うバイクに乗りたかったからありがたく借りた。

なんと、元・白バイだった。Joseがポリスに銃や武術の指導をしたお返しにもらい、赤に塗り替えたそうだ。気持ち良い景色と白バイの乗り味を楽しんだ。

20 May アンゴラのカートチャンピン、Fiorio(フィオリオ)が、Can-Am Spyder(前にタイヤが二つある三輪の乗り物)に乗って登場!

Joseの孫のMarcelo(マルセロ)も連れて、今度は4人でまたツーリングに行った。

景色の良いローカルなお店で、ランチ休憩。

カンパ〜イ!

飲み干したらすかさずFoirioが次をオーダーするので、ビールが終わらない!結局ここで12時〜16時まで4時間飲んで、ニ軒目に移動して17時〜21時までまた4時間飲んで、バイクに乗って帰宅するというハチャメチャな一日になった。。。!!まさか8時間ビールを飲み続けた後に、元・白バイを運転するとは。。。!Joseの家に着いた直後に立ちゴケしそうになるも、なんとかこらえた。危ねえ〜

Joseは、2年近く前にも日本から走って来たライダーとばったり会って、泊めてあげたと語った。バイクでのアフリカ縦断、特に西ルートにチャレンジする日本人はそうはいない。ネットを見ていた限り、ここ2年の中で達成したのは一人だけのはずだ。Joseにその人の名前とバイク名を確認したら、やはり同一人物だった!!俺は直接知らない方だが、旅の情報収集にとその方のブログは読んでいた。唯一参考としていたいわば俺の“先輩”も、ここでこの人と会っていたなんて、不思議な縁もあるもんだ。

『Amigos da Picada』とは、二輪や四輪のタイヤ跡や轍でつながる友達、という意味らしい。その名の通り、めちゃくちゃ心が広い陽気な野郎たちと出会い、バイク乗りの絆っていいな〜!と改めて感じたアンゴラだった!

Keep on Rolling.

Into the wild D.R.Congo.

07 May テントをたたみ、村人から水を分けてもらって、コンゴ共和国からコンゴ民主共和国(DRC)へ行けるはずの道へとアタックする。車は入れない、バイクしか行けない幅だった。

この道で本当にいいのか?お願いだから、途切れていないでくれ!と、まだかまだかと祈るような気持ちで走る。数キロが、ものすごく長く感じる時間だった。

やがて、集落が現れた。

俺「ここはDRC??」

村人「そうだよ」

やった!!ここまで手探りな国境越えは初めてだったので、すごく嬉しかった。

デジカメに興味津々だ。

しばらく談笑していると、一人の男がや「イミグレーション」という言葉を口にした。バレーボールのユニフォーム・短パン・ビーチサンダル、ただの村人だと思っていたヤツはここのポリスだった。僻地すぎて入国イミグレは無いかも、と思っていたからラッキーだ。この小屋の一室に入る。

スタンプは机上にあるも押してくれず、やはりお金を要求してくる。が、もはや1対1なら負ける気はしない、適当にいなして押してもらった。本当にDRCに行けるのかわからない道を進み、不安と苦労の末に手に入れたから達成感もひとしお!下の黒いやつがそれ、フランス語だとRepublique Democratique du CongoだからR.D.Cとなっている。

ついでに交渉して、ポリスに通貨の両替もしてもらった。全部で一時間ぐらいかかったが、その間小屋の周りをぐるりと村人が取り囲み、窓やドアの隙間からずっとのぞき見していたからおもしろい。

いざ、DRCを進む。

さらなる悪路が待ち受ける。タイヤ一本乗せるのがやっとの極細な山道では、エンジンを切って両足で歩くようにして、ルートを外れないよう必死で下った。

平地に出た後は、泥道だった。

水溜りでのスリップ転倒。マフラーから側に倒れ水が入り、エンジンがかからない。人手が無くて、バイクを垂直に立てて水を抜くこともできない。苦労の末に何とか復活、マフラーが吹き出した水で地面を汚してしまった。

フルパワーでアタックして、二時間で20km進むのがやっと。どこまで続くのかわからない徐々に悪化していく道に、不安と消耗はつのる。

Sumbi(スンビ)という村に着き、ポリスの検問でいろいろ確認された後、ジュースを買ってひと休みしていると、この村で英語の先生をしているというGautuier(ゴーチェ)という男が話しかけてきた。彼はこの先のTshela(チェラ)という町に仕事で行くことがあるらしく、道の様子を聞くともっと酷いらしい。そうなると、俺一人の力だけでは突破できない箇所がありそうだ。そこで、ガソリン代と御礼を払うから、Tshelaまでのサポート同行をもちかけたところ、かなり迷った末にOKしてくれた!

結果、この判断は大正解だった。旅の中でワースト1の泥道で、どの部分を走れば進めるか見極めるのが本当に難しく、この道に慣れている彼がいたから突破できたし、二人がかりで押さないと進めない場所も何度かあった。

ビデオカメラのバッテリーが切れていて動画は撮れなかったのがちょっと残念。

また、道中のポリス検問では何度か賄賂要求があり、中にはあからさまにライフルをチラつかせてくる野郎もいたが、地元民の彼がうまく話をつけてくれて払わずに済んだ。

腹が立って、Gautuierに聞いた。

「なんでこんな道なんだ?こんな車が通れない道じゃあ途中の村々は生活物資の確保だって難しい。政府は何をやっているんだ?」

すると、こう言った。

「政府の役人は国のお金をライフラインやインフラの整備に使わないで、自分達の給料にしているのさ。俺達のことなんてどうでもいいんだ。」

Tshelaには17時頃になって到着し、ここでGautuierに御礼をして別れる。ここから今日の目的地Boma(ボーマ)という町まではまだ100km以上あったが、これまでの道よりは良くなったので、走り続けた。

20時を過ぎて、ようやくBomaの入り口まで来た。少し手前地点から激しい雷雨となり、町にも関わらず多くの道が水没していて路面が見えない。暗闇と雨で余計に見えず、予期せず深い水たまりに突っ込んで泥でスタックしそうになった。この雨の中でこれ以上進むのは危険だ、そう思って閉店したお店の軒下に避難し、缶詰を食べたり地図をチェックしたりしながら、小一時間ほど休憩と雨宿り。

すると、荷台に6人のが座ったパトカーが前で停まった。嫌な予感がする。懐中電灯で照らされ「ここで何をしてるんだ?」と聞くので、「ツーリストで雨宿りをしている」と答えると、スマホを取り上げられて「警察署に来い!!」と強制連行しようとしてきた。

過去の投稿にも書いてきたし先述のGautuierの意見のように、アフリカでは国家権力による汚職が当たり前に行われている。彼らに金品を取られないよう、正直言って対一般市民以上に警戒してきたのだが、賄賂で有名なここDRCで拘束されるのはヤバい。しかし、次にパスポートも取り上げられてしまった。もはやどうしようもない、行くしかないとバイクに近づくと、「ダメだ、ここに置いてパトカーに乗れ」と言う。

これが盗まれたり没収されたら旅は終わる。「絶対に嫌だ!」と抵抗すると、今度はバイクのキーを取ってその場から持ち去ろうとしてきた。最悪な展開だ。苦労して入国して、悪路でドロドロになりながら進み、ようやく町に着いたと思ったらズブ濡れ、最終的に知らないヤツにバイクを乗られて荷物ごと手元から消えようとしている。。。

しかし、バイク担当者の頭が悪かったのか?不器用だったのか?ロック含めて全部で5本のキーが束になってるのだが、どれが本物なのかがわからず、一つずつ試すが入らない。

本物でも合鍵のため純正キーのようにスルッと入らず、刺すためにちょっとコツが必要だったのだ。当然教えず、なぜかそいつも聞いてこなかったから助かった。キーを奪い取った相手に対し、「開けてください」と聞くのが恥ずかしかったのかもしれない笑。5分ぐらいガチャガチャやった末に諦めて、俺がバイクを動かすことを許された。パトカーに付いて警察署へ行く。バイクと切り離されるのは何よりも怖かったから、とりあえずよかった。

その後署で尋問されて、捕まった理由がわかった。俺が休んでいたエリアは強盗などの犯罪多発地帯で、夜に軒下に潜んでいた俺を窃盗犯と疑って捕まえたのだった。夜にあそこに一時間いて、バイクも荷物も盗まれなかったのはたまたま運がよかっただけだぞ!?とまで言われてしまった。彼らは賄賂ポリスじゃなくて、ちゃんとした正義ポリスだったのだ。疑ってスンマセンでした!!

そして、結果的に捕まって良かった。ここで俺を尋問したPompidou(ポンピードゥ)という位の高いポリスと仲良くなって、面倒を見てくれたのだ。

一見とてもポリスには見えないが、市民に溶け込むためのカムフラージュで、実際はこの町の警察の司令官の一人。

安宿を教えてくれたり、国境では手続きできなかったカルネ(バイクの輸出入書類)を作成してくれたり、俺が必要なもの(壊れた靴に変わる新しい靴やSIMカード)を一緒に買いに行ったり、Barに行ったりと、Bomaで過ごした5日間毎日会ってサポートしてくれた。しまいには「俺からプレゼントだ」と、彼の部下が汚れていたバイクを洗ってくれた。

一人旅で現地人の味方ができるのは何よりも心強いが、(ちゃんとした正義の)警察の偉い人なら最強だ。この災いが転じたのおかげで、DRCの町中で何も心配なく過ごすことができたのだった。

Keep on Rolling.

Cross border from Congo to D.R.Congo,hard work again!

※コンゴの人々や街の様子は、のちのち書いてお伝えしたいと思います。(もはや帰国後のアップになっちゃうけど、、)これらの情報なら、他の人が書いたやつの方が立派なはずだし!、、、というわけで、とりいそぎバイクで走ったコンゴにフォーカスしてお届けします。

20 April 苦労の末に入国できたコンゴを南下する。相変わらず柔らかい土、泥水たまりだらけの道は難しく、10時過ぎに国境をスタートして6時間走り、進めたのはたったの約130kmだった。完全なオフロードタイヤではなくてオンとオフ半々の物を履いているので、泥で溝が詰まりツルツルになって苦労した。

手前からは短く見えても、けっこう長かったりする。

この日泊まったKibangouの光景。

電気も水道も止まっていた。コンゴは慢性的に電力不足で、それによりポンプが動かず水も出ない場合が多く、溜めた雨水で体を洗うのが普通だった。

21 Apr 今日も荷物満タンのバイクに乗り、たった一人見知らぬ国を進む。ピンチになっても味方が現れてくれるかわからないから、道の険しさに比例して恐怖心も増す。もしもケガや故障で動けなくなってしまったとしても、いつ誰が助けてくれるかわからないし、逆にバイクや荷物を奪われてしまうかもしれない。ワイルドを楽しみたい気持ちもあるが、それ以上に転倒・水没・負傷・消耗等々を絶対に避けたい心が上回り、攻めではなく守りの走りになる。全力で集中しつつも、心と体に一定量の余裕を残せるようペースを落として、自分を追い込まないように努めた。

Kibangouから悪路を20kmほど進むと徐々に走りやすくなり、さらに30kmほど進むと舗装路の建設途中、固くて平らな土へと変わった。やった!

これで体力と神経がすり減るアタックゾーンからひとまず脱出できた!!と、心から喜んだ。

大げさな表現だが、孤独な戦いから無事に生還することで、一生忘れないほど大きな達成感と充実感が祝福してくれる。そして、何かを学んだような、少し成長できたような気分になれて、嬉しい。

さらに約80km進んだDolisieという町に着き、まだ時間は早かったがこの二日間はすごく疲れたので、宿に入って休息。

ここコンゴ共和国(Republic of Congo)の次は、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo、DRCと略される)へと進むことになる。

最も一般的な国境越えのルートは、コンゴの首都Brazzaville(ブラザビル)から、DRCの首都Kinshasa(キンシャサ)へ、国境となるコンゴ川を船で渡る行き方。今いる沿岸部のDolisieからは約350km離れていて、道中は大量のポリスが舌なめずりをして待ちかまえる賄賂街道らしいし、船代も足元を見られて吹っかけられまくるらしいし、どの国でも大都市ほど事故事件が起きる可能性が高いし、、、等々の理由から、なるべく人目につかない超マイナーなルートからDRCに潜入したいな〜と考えていた。

問題は、道だ。コンゴは主要都市周辺以外は未舗装だと体感したし、DRCはより一層の悪路と聞いている。この両国の国境越えを、なるべく人目につかない道でやってやる!と突っ込んでいって、過酷すぎて返り討ちにあったら困るので、まずは空荷で偵察に行くことにした。

23 April  黄緑色のエリアにあった細いルートを狙う。

走った印象は、油断はできないけど苦戦はしない道、といった感じだった。

雨が降ってきたので途中で中断、引き上げきたからその先はわからないが、ここを進むことに決めた!

諸事情により5月5日から有効になるDRCビザを持っていたため(理由がわかる投稿へのリンク)、それまでは沿岸部のPoint-Noire(ポイントノアール)いう街でで過ごした。ここでの出来事は後日追って書くこととする。

06 May コンゴ➡DRC国境越えに挑む。結果、偵察した範囲よりも先が本当にきつかった、、、!!100回以上は泥水溜まりに突っ込んだはず。

走るのに必死で頭が働かず、思ったことがそのまま口に出ている。コンゴ人相手に日本語で「来い!来い!」って言っても、通じるわけがない!笑

↑ここは歩いて確かめたら、バイクが水沈しない深さだったので突っ込んだ。以下がその動画

↑ここはバイクが完全に沈没してしまう深さのため、左の木の板に乗せるしかなかったが、不安定ですごく怖かった。バランス崩してドボン!となったら一環の終わりだ。

↓こういう橋もバイクの重みで木が折れそうでヤバかった。

道中には、小さな集落が無数に点在していた。当然電気や水道は無いし、畑や牧場も見ない。コンゴ人はどこでも生きていけるんだなと思った。また、このルートを通る部外者がよほど珍しいのだろう、通り過ぎる瞬間に何かを言ってきたり止めようとしてくる人(お金が目当てだと感じた)が、過去最多だった。追い付けないスピードで駆け抜ける。

どうにか進み続け、俺が狙っている国境越えの道へと続く分岐点まで来た。しかし、とても進みたくないような獣道っぽい感じだ。

村人が集まってくる。彼らのペースにならないよう大きな声と態度でいく。「ここを進めばDRC!!??」すると、「そうだが、雨季だから川ができて妨げられている」と返ってきた、、、何てこった!!

しかし村人たちが、分岐点を折れずに直進していった先のKindouという所からDRCに行けて、そこなら川は無いぞ、という。だが、Google mapでもMaps.meでもミシュランの紙地図でも、この道は途切れていてDRCまでつながっておらず、Kindou(キンドゥ)という地名も見つけられない。

国境線の上がCongoで下がDRC。

地図を信じるか、現地人の情報を信じるか。多くの人がこの先のKindouからDRCに行けると言うので、進むことに決めた!もはや道の様子どころか本当に道があるのかすら確信がないが、ここまでやっとの思いで進んできた道を戻りたくなかったし、正直二回は通りたくない道だ。また、コンゴビザの有効期限が明日で切れてしまうので、時間も無かった。良い理由ではないが引くに引けない、退路は無いような気持ちが前を向かせた。

Londela-Kaye(ロンデラ-カイ)という村で検問が出現。ここがイミグレーションだと言うので出国スタンプを要求すると、離れた小屋からポリスを応援に呼び、三人がかりで一万円近くの賄賂を請求してきた。英語が通じないが、国籍を確認されて紙に金額を書いてきたので、どうやら「外国人は出国時にこの金額を払わないといけないルールになっている」と言っているようだ。「外国人だからビザ代を払って入国した、なんで出国するのにそれ以上の金額を支払う必要があるの?」と言うも、言葉がわからないので通じず、抵抗するが彼らも引かない。思わぬタイムロスだ、まいったな。。。すると業を煮やした彼らが、英語を話せる上司に応援を求めて電話をかけたのだが、ラッキーにもこの上司が俺の味方になった笑「いいか、ここを出て先に進めば違うポリスステーションがあるから、そこへ行くんだ」と教えてくれたので、電話を切ってすぐに脱出!急いで先へと進みポリスステーションを発見、ここにいた別のポリス(優しくてカツアゲ野郎たちとは大違い!)スムーズにスタンプをもらうとさっきの奴らが追いかけて来たが時すでに遅し、俺の勝ちだ!!

出国手続きが済んだことに一安心するも、以前として道のりは険しい。地図上最後の村(といっても数軒の家があるだけ)Mbiongoで、ついにKindouという看板が登場。

その先から急な登りが始まった、山間部にある国境が近づいてきた証拠だ。山登りの途中、石に引っかかってエンストして支えきなくて転倒もした。登り続けた先に平地が現れ、どうやら最高地点に出たようだ。数軒の家がある、ここがKindouか?と尋ねると、そうだった。この先道はさらに細くなっていて、16時を過ぎた今から進む気にはとてもなれず、本当は今日中にDRCに入る予定だったがここでストップ。空き家の横にテントを貼らせてもらった。

スマホ地図のGPSを見ると、現在地点はもはや国境線を越えてDRCサイドになっていた。GPSがズレているのか、この集落の位置が実際にはDRCの領土内に位置しているのか、道も集落も地図に無いからわからない。そこまで不明瞭で済まされている極細な国境を、手探りで越えようとしていた。

Keep on Rolling.

Gabon #2 

1. The Equator crossing

08 April 赤道を通過し、北半球から南半球へ。太陽が北の空へと上がる世界に変わった。

お約束、北半球(左足)と南半球(右足)をまたぐ。

赤道付近の太陽は昼間に天頂・真上に来るため、影が真下に落ちて日陰を探すのが難しく、とても暑い。

影が無い!

また、東から西へと描く弧がとても高く、地平線から出入りする動きも限りなく垂直(春分・秋分の日は理論的に完全に垂直のはず)となり、その関係で日の出と日の入りの時間が短い。つまり、夜明けは東の空が明るくなったと思ったらすぐに太陽が顔を出して昇り、日没は逆にグングンと沈んでいく。そんなダイナミズムとともに走った。

2. Lambarene(town) days

09 April ガボン中部にある小さな町、Lambarene(ランバネレ)に寄る。かつて、ドイツ人のAlbert Schweitzer(アルベルト・シュバイツァー)氏(1875-1965年)が、医療に困っていたこの町に病院を建てて、人々を救うことに生涯を捧げたシュバイツァー病院を訪れた。

入口では勤務者たちがストライキをしていて、敷地内にあるミュージアムも閉館中。ガッカリしつつも、外国人医師も働いているので日本人はいないか尋ねると、併設の研究所で一人の日本人女性が働いていた!彼女に案内してもらうことで、病院について詳しく知ることができた。

創設当時の病棟が今もそのまま残っている。

こちらは結核等の伝染病患者の隔離病棟だったらしい。今は使っていない。

シュバイツァーさんはこの病院の中に眠る、コーラの空ペットが落ちてるお墓がそれ。なんだか他の人のお墓よりも質素に感じる。

日本が支援した救急車。また、マラリアなどの病気を扱うここの最新研究所も、長崎大学とJICAが建てていた。

BIOHAZARDマークが付いてる!

10 April 食堂で昼を食べているとJICA の車が停まり、二人の日本人スタッフと会った。夕食会にも誘っていただき、さらに三人のJICAスタッフ、そしてなんとも珍しい世界銀行で働く日本人の方とも会う。翌日もJICAの方のお宅で昼食をご馳走になって、日本人に囲まれた時間が続き、ガボンで何だか日本にいるような時間を過ごした笑

こんな食堂

厨房、熱源は焚き火

マニョック(キャッサバ)の葉を炒めたものと味付きご飯を頼んだ。こっちの食事は肉ばっかなので、たまにこういうので中和したくなる。

翌日の家ランチ。ごちそうさまでした!

この町では学校&教会(この二つはよく併設されている)の中に泊まらせてもらっていたので、子供たちと交流ができて癒された。

小さい女の子に多いけど、ファンキーな髪型をしてて楽しませてくれる!親が一番楽しんでるんだろうなぁ。

いっぽう、チリ毛率が限りなく100%の男たちは皆もれなく大仏ヘッドだ。

でもこれもナデナデするとゴワゴワしすぎずサラサラすぎず、いい感触だったりする笑

子供のかわいさに国や人種は関係無いし、人類共通の財産であることは疑いの余地が無いっすね!

3. West seaside villages

13 April 海と山の動物たちが見れるという『Loango Natinal Park』に行きたくて、拠点となる村のGambaを目指した。

道中、橋の無い大きな川を船で渡ったのは楽しいアトラクションだった。

道の先には突如川が出現

対岸からやってきた船。この車が降りた後、今度は俺がバイクを乗っけて対岸へと渡る。

Loango観光の窓口であるWWFのオフィスを尋ねる。しかし、不運にもアレンジできるスタッフが不在で、どうにもならず、、、残念だったが、その代わりBraveという職員が3時間ぐらい話に付き合ってくれて、いろんなことを聞けたのでここに来た価値はあった!

象牙はズッシリと重い。これは20kgぐらいだけど、アフリカ象は最大で3m、100kgぐらいになるらしい!!人間の歯と同じように中は空洞だった。

本来は木に取り付ける暗視撮影カメラをかぶり、「これで森に隠れていい映像撮りまくってきます!!」と言ったら、苦笑されて終了。

印象的だったのは、動物園についての意見だ。俺は動物の実物を見れるという点で教育的には良いと思う、と論じたが、Braveは動物を檻の中に閉じ込めるのは断固反対という立場を一貫して崩さなかった。そして、

「動物と人間の住む世界は違うのに、なぜ彼らをそこから連れて来る?見たければ、そうしたい人間たちが彼らの世界へ行けばいいんだ。」

なるほど、さすがはWWFの人だ。

15 April ただのんびりしたくて、今度は南に200kmほど移動してMayumbaという海辺の村へと向かう。途中の引き締まったダートが爽快だった。

宿の駐車場にて、PrinceとPatricという二人組に出会った。二人は医療関係の仕事でMayumbaに来ていて、大量の蚊を一匹一匹小さなガラス管に入れ仕分ける作業をしていた。

蚊は地元の若者がバイトで捕まえていた。自身をエサとして蚊の多い場所に身をさらし、血を吸いに来たやつらをひたすら延々と捕まえる笑

彼らとはよく飲んで、よくおごってもらっちゃった。赤道直下の暑い中、のどかな漁村でアフリカの海を眺めながらビールは、なんともうまかった!

Keep on Rolling.