Gabon #2 

1. The Equator crossing

08 April 赤道を通過し、北半球から南半球へ。太陽が北の空へと上がる世界に変わった。

お約束、北半球(左足)と南半球(右足)をまたぐ。

赤道付近の太陽は昼間に天頂・真上に来るため、影が真下に落ちて日陰を探すのが難しく、とても暑い。

影が無い!

また、東から西へと描く弧がとても高く、地平線から出入りする動きも限りなく垂直(春分・秋分の日は理論的に完全に垂直のはず)となり、その関係で日の出と日の入りの時間が短い。つまり、夜明けは東の空が明るくなったと思ったらすぐに太陽が顔を出して昇り、日没は逆にグングンと沈んでいく。そんなダイナミズムとともに走った。

2. Lambarene(town) days

09 April ガボン中部にある小さな町、Lambarene(ランバネレ)に寄る。かつて、ドイツ人のAlbert Schweitzer(アルベルト・シュバイツァー)氏(1875-1965年)が、医療に困っていたこの町に病院を建てて、人々を救うことに生涯を捧げたシュバイツァー病院を訪れた。

入口では勤務者たちがストライキをしていて、敷地内にあるミュージアムも閉館中。ガッカリしつつも、外国人医師も働いているので日本人はいないか尋ねると、併設の研究所で一人の日本人女性が働いていた!彼女に案内してもらうことで、病院について詳しく知ることができた。

創設当時の病棟が今もそのまま残っている。

こちらは結核等の伝染病患者の隔離病棟だったらしい。今は使っていない。

シュバイツァーさんはこの病院の中に眠る、コーラの空ペットが落ちてるお墓がそれ。なんだか他の人のお墓よりも質素に感じる。

日本が支援した救急車。また、マラリアなどの病気を扱うここの最新研究所も、長崎大学とJICAが建てていた。

BIOHAZARDマークが付いてる!

10 April 食堂で昼を食べているとJICA の車が停まり、二人の日本人スタッフと会った。夕食会にも誘っていただき、さらに三人のJICAスタッフ、そしてなんとも珍しい世界銀行で働く日本人の方とも会う。翌日もJICAの方のお宅で昼食をご馳走になって、日本人に囲まれた時間が続き、ガボンで何だか日本にいるような時間を過ごした笑

こんな食堂

厨房、熱源は焚き火

マニョック(キャッサバ)の葉を炒めたものと味付きご飯を頼んだ。こっちの食事は肉ばっかなので、たまにこういうので中和したくなる。

翌日の家ランチ。ごちそうさまでした!

この町では学校&教会(この二つはよく併設されている)の中に泊まらせてもらっていたので、子供たちと交流ができて癒された。

小さい女の子に多いけど、ファンキーな髪型をしてて楽しませてくれる!親が一番楽しんでるんだろうなぁ。

いっぽう、チリ毛率が限りなく100%の男たちは皆もれなく大仏ヘッドだ。

でもこれもナデナデするとゴワゴワしすぎずサラサラすぎず、いい感触だったりする笑

子供のかわいさに国や人種は関係無いし、人類共通の財産であることは疑いの余地が無いっすね!

3. West seaside villages

13 April 海と山の動物たちが見れるという『Loango Natinal Park』に行きたくて、拠点となる村のGambaを目指した。

道中、橋の無い大きな川を船で渡ったのは楽しいアトラクションだった。

道の先には突如川が出現

対岸からやってきた船。この車が降りた後、今度は俺がバイクを乗っけて対岸へと渡る。

Loango観光の窓口であるWWFのオフィスを尋ねる。しかし、不運にもアレンジできるスタッフが不在で、どうにもならず、、、残念だったが、その代わりBraveという職員が3時間ぐらい話に付き合ってくれて、いろんなことを聞けたのでここに来た価値はあった!

象牙はズッシリと重い。これは20kgぐらいだけど、アフリカ象は最大で3m、100kgぐらいになるらしい!!人間の歯と同じように中は空洞だった。

本来は木に取り付ける暗視撮影カメラをかぶり、「これで森に隠れていい映像撮りまくってきます!!」と言ったら、苦笑されて終了。

印象的だったのは、動物園についての意見だ。俺は動物の実物を見れるという点で教育的には良いと思う、と論じたが、Braveは動物を檻の中に閉じ込めるのは断固反対という立場を一貫して崩さなかった。そして、

「動物と人間の住む世界は違うのに、なぜ彼らをそこから連れて来る?見たければ、そうしたい人間たちが彼らの世界へ行けばいいんだ。」

なるほど、さすがはWWFの人だ。

15 April ただのんびりしたくて、今度は南に200kmほど移動してMayumbaという海辺の村へと向かう。途中の引き締まったダートが爽快だった。

宿の駐車場にて、PrinceとPatricという二人組に出会った。二人は医療関係の仕事でMayumbaに来ていて、大量の蚊を一匹一匹小さなガラス管に入れ仕分ける作業をしていた。

蚊は地元の若者がバイトで捕まえていた。自身をエサとして蚊の多い場所に身をさらし、血を吸いに来たやつらをひたすら延々と捕まえる笑

彼らとはよく飲んで、よくおごってもらっちゃった。赤道直下の暑い中、のどかな漁村でアフリカの海を眺めながらビールは、なんともうまかった!

Keep on Rolling.

Gabon #1

次に行く国コンゴのビザだけ取って、さっさと進むはずだった国、ガボン。ノーマークだったこの国が想定外におもしろくて、結果3月25日〜4月19日の間ほぼ1ヶ月間滞在した!

①走りやすい道路

クオリティの高いアスファルトが続き、工事中の未舗装区間が少なく、カメルーンよりも山が無くコーナーやアップダウンが無いので、ガンガンすっ飛ばせた。ジャングルのような深い緑の中を、スイスイと駆け抜ける感覚はなんとも爽快だった。

②名物、路上で売ってるBushmeat(野生肉、ジビエ)

サルやシカ、アルマジロ、ヤマネコ、クロコダイルなどの動物が、ドラム缶に刺さった棒に吊るされてワイルドに売られている。さすがにこういうのは買って食べなかったけど、レストランでガゼルは食べた、固くてちょっと臭いが強くて微妙だった。

ヘイらっしゃい!!

何でも食べちゃうからすごい。一見残酷に見えるかもしれないけど、狩猟による捕食は畜産や養殖より自然界の理にかなっている。ただし、展示方法がかわいそうに見える。。

③首都のLibreville(リーブルビル)での思い出

難関のアンゴラ共和国のビザ取得などの関係で(詳細は4月8日に投稿済、リンクはこちら)、この街には2週間近く長居してのんびりと過ごした。

●その1、よく行ったBAR。料理はその辺の屋台で買ってきて持ち込むのがガボンスタイル。この店は目の前の屋台が安ウマで居心地もよく、ほぼ毎日昼に通って常連さんになった。

このおつまみビーフが500CFA(約100円)、注文の度にかまどから塊肉を出して切るからいつもジューシーでアツアツが食べられる。ビールは600ml瓶で600CFA(約120円)

わかりづらいけど、味付きご飯の上に二種類の焼き鳥肉が乗っていて、玉ねぎマヨネーズソースがかかったガッツリめし。1000CFA(約200円)

●その2、スプロケットとチェーンの交換。スペインで買って持っておいたやつをここで使用、これで荷物がだいぶ軽くなった。

フロントスプロケはなぜかほとんど減ってなかったから、交換せずにリアのみ。

交換前。歯が4本も欠けていて、ギリギリセーフだった。。。

交換後。ここで換えれば南アフリカまで持つだろう!

●その3、ナイスなMoto shop

『POWER SPORT GABON』

(この店のFacebookページのリンク)

アフリカで良いバイク屋を見つけるのは至難だが、リーブルビルには立派なお店があった!スーパーでKTM690DUKE乗りを見つけ、いい店知らない!?と聞いたら連れて行ってくれたのが、ここ。

日本やヨーロッパ並のレベルの店で、YAMAHAやKTMのオフ車がたくさん。バギーやジェットスキーも扱い、その関係からかPolaris社のIndianやVictoryまで。その他にもBMWの1200GS、DUCATIのPanigale、MV AGUSTAのF4など、2〜300万円以上するバイクもゴロゴロあった!まさかガボンでこの手のバイクを見るとは思わなかった、売ってるってことは需要があるんだろうなぁ。

ここでエアフィルターをタダで洗浄し、またアメリカ産YAMALUBEをくれた!鉄板の滑り止めのような凹凸がイカツくてかっこいい。

気前よくやってくれたメカニックのDeLeurに、感謝だー!!

Keep on Rolling.

05-15 March @Benin days #3 Japanese language school

ベナンに関して事前に唯一知っていたこと、それは『ゾマホン』という四文字だけだった。

1998年〜2002年の間やっていたTBSのテレビ番組、『ここがヘンだよ日本人』を見たことがあれば知らない人はいないと思われる。艶やかな民族衣装を身に纏い、他の外国人出演者よりワンランク上の深く鋭い発言をして、討論が激しくなると誰よりもヒートアップ!早口で叫んで何を言ってるのかわからなくなり、反対派に対して「黙れーーっ!!!」と絶叫したりと、その強烈なキャラに笑わせてもらったものだ。

正直、「おもしろい変なアフリカ人」という印象しかなかったので、ベナンに来てからネットで彼のことを調べてすごく驚いた、、!貧しい家庭に育ちながらも勉強を頑張り、ベナン初の国費留学生として日本へやって来ていて、TVタレントとしてもブレイクを果たし、最近では駐日ベナン特命全権大使、大統領特別顧問などを務めていた。また、私費でベナンに学校を建てたり医療機関への援助をしていて、国際青年会議所の『世界最優秀青年賞』や、ベナンの国民栄誉賞を受賞していた。そして何よりも驚いたのが、日本とベナン間に正式な国交が樹立されたのはゾマホンさんの活躍のおかげだそうな!つまり、国家を動かす力を持った、偉大なお方だったのだ。

普段は日本にいるらしい(ビートたけしの付き人も務めている笑)ので、本人には会えないとしても彼が建てた「たけし日本語学校」は見に行きたいと思っていたところ、首都コトヌーにある『Daruma』という日本食レストランにて学校の先生とばったり出会い、明日お邪魔します!と伝えた。

10 March 午前中は水上集落ガンビエへ行って(内容は前回の投稿を参照)参照)、午後に学校を訪問する。

表札は、ゾマホン/象真翻

所ジョージさんが寄付した車は、やっぱりアメ車!DODGE

日本語の習得に励む彼らにとっては自分の話を聞くことも良い勉強になるということで、ありがたいことに先生役になり自分の旅や考えについて話し、また彼らからもベナンについて教えてもらい、3時間ぐらい交流する時間を持てた。

中でも印象的だった生徒の話は、ベナンの大学では教師によるストライキがよく起こり、その期間が半年以上となるとその一年間は無かったことになってしまうそうだ、、つまりはまた同じ学年のやり直しで、学費も、時間も、まるまる無駄に、、、!!あと数日ストが続くとそうなってしまう生徒もいた、なんてかわいそうなんだ。。。後で調べてみると、大学に限らず公務員業界全般でストが多発しているとのことで、この国が抱える大きな問題だった。

アフリカの若者たちはイカツく見えるけど、話すと真面目な人が多いという印象だ。彼らもとても礼儀正しく、おとなしく、熱心に話を聞いてくれた。そんな彼らが目指している明るい未来が、ストによって左右されない日が来ることを強く願った。

そして何と、ゾマホンさんがちょうど今ベナンに来ているという!数日は生まれ故郷の町に行っているが、戻ってきたら学校に来るから会えるかも??とのことなので、ベナン滞在最終日にダメもとでもう一度学校を訪ねると、ちょうど帰ってくる日だという。そしてしばらく待っていると、、、会えたー!!!

奥さんのポンヌさんにも会えたー!何と東大の教授で日本語ペラペラ、ゾマホンさん以上にベナンにいないレアキャラらしい。幼くして親を亡くし、生前に教えてもらっていた料理を自分で作って売り歩き、学費を稼いで学校へ通ったというスーパー努力家だ。そこから東大教授にまで登りつめ、夫は外交官、、、!ちょっとスゴすぎるけど、この二人の存在は生徒たちにとっての最大のお手本ではないだろうか。

ゾマホンさんの甥っ子も登場!一番右

こうした機会を与えてくれた石田先生(右から二人目)、本当にありがとうございました!!

翌14日、ベナンと日本がより良い友好関係で結ばれることを祈りつつ、この国に別れを告げてナイジェリアへ向かった。

Keep on Rolling.

05-15 March @Benin days #2 Sightseeing

09 March Cotonou(コトヌー)から40kmほど西にあるOuidah(ウィダ)という町を訪ねた。
ブードゥー教の聖地であり、また奴隷貿易に関する史跡が数多く残る町。奴隷貿易が行われていた時代はベナンを始め、南サハラからの多くの奴隷がこのウィダから船に乗せられ、北アメリカやカリブ諸島、ブラジルなどに連れていかれたという。この説明は、ベナンのNPO法人IFEのウェブサイトより拝借。より詳しく知りたい方は、下記サイトをご参照!

http://npo-ife.jp/benin/guide/highlight/ouidah.html

写真を載せる。

ブードゥー教の神々の像、皆ヘンテコな姿をしている。

かつて奴隷達が船積みされ場所に建てられたモニュメント。二度とアフリカへと帰って来られない、彼らにとって最後の旅。

奴隷たちがヨーロッパの品々と交換で買われていたという広場。大きな木陰がまるで悲しい歴史を優しく包み込むかのように広がっていた。

町の見所であるこれらの場所よりも、一番思い出に残ったのは、昼間の暑さから逃れるためにビールを飲んだBarだった。

「アフリカよ、平和、愛、団結に生きよ」

こじんまりとした簡素な建物だがそれがにとても居心地良く、オープンエアな空間にBob Marleyが流れる。静かで優しくのんびりとした時間とレゲエの組み合わせは最高で、ここでの昼寝は超気持ちいい至福の一時だった。

10 March コトヌーの北のノコウエ湖にある、水上集落Ganvie(ガンビエ)へ。以下の説明は、またIFEより拝借。

アイゾ人という民族が集落を形成し、なんと人口は4万5千人という!1717年頃から、奴隷になるのを恐れて湖上に住み始めたらしい。多くの人は漁で生計を立てている。家はもちろん、学校、病院、警察、銀行も全て水上で、アフリカのべネツィアとも言われている。

ファンキー野郎がガイド!

ちびっ子は水に落っこちないか心配だ、、!

サンタ帽が特徴的な漁師少年、船の上に小さ〜い魚がとれてる

↑ 陸へと向かうガソリン調達船、黄色いのは全てガソリンを入れるポリタンク

↑ こちらは地下水を配布する給水所、真ん中の青い服を着たオジさんが右手にホースを持ち水を入れてる

羊も水上生活

モスクもある

美容院だって。こちらは女性用

そして男性用

手作りの帆が付いてる船も

べネツィアは島のようなスケールの海上都市だが、こちらガンビエは建物単位で水上に浮かぶその名の通り水上集落で、がぜんワイルドだ。似てはいないが、どこを写真に撮っても絵になると思わせる点は共通しており、満足度大でした!

Keep on Rolling.

Burkina Faso’s Big memories #1

21 February Mali最後の町となった、Sikassoの一角の様子。変なオブジェ!笑

市場から裏路地、そしてまた市場へ。

お次は、Burkina Faso(ブルキナファソ)という聞き慣れない名前の国へ。ここの税関の流れが何だかとても面倒で、国境から先3ヵ所で停まりバイクの登録をして、うち1ヵ所にて書類を発行してもらい、登録料5000CFA(約1000円)支払った。 そこにすごくピカピカでアフリカらしからぬ、しかしアフリカツインが停まってた笑

しかし、町中でこんないいバイクに乗ってる人など誰もいない。大体みんなスクータータイプに乗っていて、こんな風にデカいガスタンクをワイルドに積んだりするからちょっと怖い。。

この日はBobo-Dioulassoという町に泊まる。Maliと比べて店や道が整っている印象で、少しだけ発展しているように感じる。しかし、そのせいか安宿探しに苦戦し、4〜5軒訪ねるもなかなか予算に合う宿が見つからない。郊外を突っ走っている時はまだ平気なのだが、混み合う町中でストップ&ゴーを繰り返し、バイクウェアフル装備で乗ったり降りたり訪ねたりの動きを繰り返すと暑くてしんどい。辛くなってきたところで、レストランの店員さんがミッションカトリック = 教会なら安いぞ!と教えてくれて、そこを見つけて泊まった。教会内といっても宿泊棟は独立していて完全に普通の宿で、ツインベッド.トイレ&シャワー付き.朝食付きで7000CFA(約1400円)と相場より断然お得、以降この国ではミッションカトリックばかりにお世話になった。

ベッドの上に浮かぶ白いのは蚊帳で、マラリア対策。『Lalium(ラリアム)』ってマラリア予防薬も飲んでいる。

当初のプランでは、Burkina Fasoを通る予定は無かったのだが、2月下旬から3月上旬にDedougouという町にて、西アフリカの6つの国(ブルキナファソ、コートジボワール、セネガル、トーゴ、ベナン、マリ)3000以上のマスクが集結する、2年に一回のフェスティバルがあると教わり、ぜひ観たい!!と思ってやって来た。つまり、マスクフェス『Festima』(Festival International des Masques et des Arts de Dédougou)のためにこの国へ来たのだ。

24日が初日でセレモニー的内容が多く、25日から本格的なマスク&ダンスが始まった。この日は自分の誕生日で、とても楽しく思い出に残る記念となった。生意気にもMCの横で、PAセットの上に座って楽しむ。

このマスクはマリのドゴン族、本来ならば高いツアー代を払って現地に行かねば観れず、しかしそれ以上に今はマリ北部の治安悪化によって彼らの村へ行くこと自体難しいので、観れてラッキーだった!

以下はどの部族のマスクかはわからないけど、いずれも見応えありだった。

夜まで続く。

誇らしげに観客を椅子がわりにして座るマスク。座られたオジサン喜ぶ!

11日間続くお祭りだけど、2日間で大満足できました!!

Keep on Rolling,