※コンゴの人々や街の様子は、のちのち書いてお伝えしたいと思います。(もはや帰国後のアップになっちゃうけど、、)これらの情報なら、他の人が書いたやつの方が立派なはずだし!、、、というわけで、とりいそぎバイクで走ったコンゴにフォーカスしてお届けします。
20 April 苦労の末に入国できたコンゴを南下する。相変わらず柔らかい土、泥水たまりだらけの道は難しく、10時過ぎに国境をスタートして6時間走り、進めたのはたったの約130kmだった。完全なオフロードタイヤではなくてオンとオフ半々の物を履いているので、泥で溝が詰まりツルツルになって苦労した。
手前からは短く見えても、けっこう長かったりする。
この日泊まったKibangouの光景。
電気も水道も止まっていた。コンゴは慢性的に電力不足で、それによりポンプが動かず水も出ない場合が多く、溜めた雨水で体を洗うのが普通だった。
21 Apr 今日も荷物満タンのバイクに乗り、たった一人見知らぬ国を進む。ピンチになっても味方が現れてくれるかわからないから、道の険しさに比例して恐怖心も増す。もしもケガや故障で動けなくなってしまったとしても、いつ誰が助けてくれるかわからないし、逆にバイクや荷物を奪われてしまうかもしれない。ワイルドを楽しみたい気持ちもあるが、それ以上に転倒・水没・負傷・消耗等々を絶対に避けたい心が上回り、攻めではなく守りの走りになる。全力で集中しつつも、心と体に一定量の余裕を残せるようペースを落として、自分を追い込まないように努めた。
Kibangouから悪路を20kmほど進むと徐々に走りやすくなり、さらに30kmほど進むと舗装路の建設途中、固くて平らな土へと変わった。やった!
これで体力と神経がすり減るアタックゾーンからひとまず脱出できた!!と、心から喜んだ。
大げさな表現だが、孤独な戦いから無事に生還することで、一生忘れないほど大きな達成感と充実感が祝福してくれる。そして、何かを学んだような、少し成長できたような気分になれて、嬉しい。
さらに約80km進んだDolisieという町に着き、まだ時間は早かったがこの二日間はすごく疲れたので、宿に入って休息。
ここコンゴ共和国(Republic of Congo)の次は、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo、DRCと略される)へと進むことになる。
最も一般的な国境越えのルートは、コンゴの首都Brazzaville(ブラザビル)から、DRCの首都Kinshasa(キンシャサ)へ、国境となるコンゴ川を船で渡る行き方。今いる沿岸部のDolisieからは約350km離れていて、道中は大量のポリスが舌なめずりをして待ちかまえる賄賂街道らしいし、船代も足元を見られて吹っかけられまくるらしいし、どの国でも大都市ほど事故事件が起きる可能性が高いし、、、等々の理由から、なるべく人目につかない超マイナーなルートからDRCに潜入したいな〜と考えていた。
問題は、道だ。コンゴは主要都市周辺以外は未舗装だと体感したし、DRCはより一層の悪路と聞いている。この両国の国境越えを、なるべく人目につかない道でやってやる!と突っ込んでいって、過酷すぎて返り討ちにあったら困るので、まずは空荷で偵察に行くことにした。
23 April 黄緑色のエリアにあった細いルートを狙う。
走った印象は、油断はできないけど苦戦はしない道、といった感じだった。
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雨が降ってきたので途中で中断、引き上げきたからその先はわからないが、ここを進むことに決めた!
諸事情により5月5日から有効になるDRCビザを持っていたため(理由がわかる投稿へのリンク )、それまでは沿岸部のPoint-Noire(ポイントノアール)いう街でで過ごした。ここでの出来事は後日追って書くこととする。
06 May コンゴ➡DRC国境越えに挑む。結果、偵察した範囲よりも先が本当にきつかった、、、!!100回以上は泥水溜まりに突っ込んだはず。
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走るのに必死で頭が働かず、思ったことがそのまま口に出ている。コンゴ人相手に日本語で「来い!来い!」って言っても、通じるわけがない!笑
↑ここは歩いて確かめたら、バイクが水沈しない深さだったので突っ込んだ。以下がその動画
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↑ここはバイクが完全に沈没してしまう深さのため、左の木の板に乗せるしかなかったが、不安定ですごく怖かった。バランス崩してドボン!となったら一環の終わりだ。
↓こういう橋もバイクの重みで木が折れそうでヤバかった。
道中には、小さな集落が無数に点在していた。当然電気や水道は無いし、畑や牧場も見ない。コンゴ人はどこでも生きていけるんだなと思った。また、このルートを通る部外者がよほど珍しいのだろう、通り過ぎる瞬間に何かを言ってきたり止めようとしてくる人(お金が目当てだと感じた)が、過去最多だった。追い付けないスピードで駆け抜ける。
どうにか進み続け、俺が狙っている国境越えの道へと続く分岐点まで来た。しかし、とても進みたくないような獣道っぽい感じだ。
村人が集まってくる。彼らのペースにならないよう大きな声と態度でいく。「ここを進めばDRC!!??」すると、「そうだが、雨季だから川ができて妨げられている」と返ってきた、、、何てこった!!
しかし村人たちが、分岐点を折れずに直進していった先のKindouという所からDRCに行けて、そこなら川は無いぞ、という。だが、Google mapでもMaps.meでもミシュランの紙地図でも、この道は途切れていてDRCまでつながっておらず、Kindou(キンドゥ)という地名も見つけられない。
国境線の上がCongoで下がDRC。
地図を信じるか、現地人の情報を信じるか。多くの人がこの先のKindouからDRCに行けると言うので、進むことに決めた!もはや道の様子どころか本当に道があるのかすら確信がないが、ここまでやっとの思いで進んできた道を戻りたくなかったし、正直二回は通りたくない道だ。また、コンゴビザの有効期限が明日で切れてしまうので、時間も無かった。良い理由ではないが引くに引けない、退路は無いような気持ちが前を向かせた。
Londela-Kaye(ロンデラ-カイ)という村で検問が出現。ここがイミグレーションだと言うので出国スタンプを要求すると、離れた小屋からポリスを応援に呼び、三人がかりで一万円近くの賄賂を請求してきた。英語が通じないが、国籍を確認されて紙に金額を書いてきたので、どうやら「外国人は出国時にこの金額を払わないといけないルールになっている」と言っているようだ。「外国人だからビザ代を払って入国した、なんで出国するのにそれ以上の金額を支払う必要があるの?」と言うも、言葉がわからないので通じず、抵抗するが彼らも引かない。思わぬタイムロスだ、まいったな。。。すると業を煮やした彼らが、英語を話せる上司に応援を求めて電話をかけたのだが、ラッキーにもこの上司が俺の味方になった笑「いいか、ここを出て先に進めば違うポリスステーションがあるから、そこへ行くんだ」と教えてくれたので、電話を切ってすぐに脱出!急いで先へと進みポリスステーションを発見、ここにいた別のポリス(優しくてカツアゲ野郎たちとは大違い!)スムーズにスタンプをもらうとさっきの奴らが追いかけて来たが時すでに遅し、俺の勝ちだ!!
出国手続きが済んだことに一安心するも、以前として道のりは険しい。地図上最後の村(といっても数軒の家があるだけ)Mbiongoで、ついにKindouという看板が登場。
その先から急な登りが始まった、山間部にある国境が近づいてきた証拠だ。山登りの途中、石に引っかかってエンストして支えきなくて転倒もした。登り続けた先に平地が現れ、どうやら最高地点に出たようだ。数軒の家がある、ここがKindouか?と尋ねると、そうだった。この先道はさらに細くなっていて、16時を過ぎた今から進む気にはとてもなれず、本当は今日中にDRCに入る予定だったがここでストップ。空き家の横にテントを貼らせてもらった。
スマホ地図のGPSを見ると、現在地点はもはや国境線を越えてDRCサイドになっていた。GPSがズレているのか、この集落の位置が実際にはDRCの領土内に位置しているのか、道も集落も地図に無いからわからない。そこまで不明瞭で済まされている極細な国境を、手探りで越えようとしていた。
Keep on Rolling.