10/12-14 Bye-bye Uzbekistan! Hello Kazakhstan!(again)

ウズベキスタン北部にある最後の大きな町、Nukus以北は砂漠の中を一本の道が貫いているだけで、ただひたすらに何も無かった。国境を越えてカザフスタン最初の町Beyneuまでの約510km、ガソリンスタンドは無かった(正確には1つか2つあったが営業していない)。日本だと東京から大阪までの距離になる。

途中、まさにオアシスのようにポツンとあったトラック野郎たちが集まる大きなレストランBon Voyageに寄り、ローカルからガソリンを買えたからこの区間を突破できた。

12日 この旅三度目のカザフスタンへ入ったところで日が落ち、Bayneuまで100km近く真っ暗なガタガタ道を走る。

13日 カザフスタンでもウズベキスタンに近いこのエリアはガス燃料の車が主流で、スタンドを何軒も周るがどこもガソリン切れ、最後の1軒でも4日待って整理券を買えと言われるも、困っている旅人をアピールし粘ってその場を離れずにいるとこっそり給油してくれた!

最初強くNiet(ニィェット)=Noと言われて冷たく感じたおじさんから、「急げ急げ〜!」や「写真撮ろうぜ!」と陽気な言葉を聞けた時、ガソリン砂漠が終わったんだと実感する。

14日 カスピ海北端の町Atyrauより、日本のバイクイベント『プレミアムSSTR』にネット出演させて頂き、お世話になった風間深志さんや日本のバイク乗りの方々と久々に会話ができた。貴重な時間をありがとうございました!

(Facebookで配信したライブ動画へのリンク)

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2142738482620381&id=100006527503890

10/8-11 Interesting Uzibekistan

10/8 Samarkand(サマルカンド)を午後出発し、Bukhara(ブハラ)という街を目指す。

ウズベキスタンの車は、ほとんどがメタンガスやプロパンガスで動いていた。この車は上にボンベ乗っけてる。

日本でもタクシーはプロパンガスを使っているが、ここではガソリン車の方が少ないらしく、ガススタもメタンとプロパンばかりでまさにガススタ!

BenzinやPetrolと書かれていても営業してなかったり、ガソリンは無いと断られるところの方が多い。断られても頼みまくったら出してくれたり、普通の家から買ったりと、ガソリンGETゲームと思ってこの状況を楽しんだが、オクタン価がわからないのは嫌だ。80と書かれたのを入れるしかない時もあったが、それも定かではない。。

値段は入手先によってまちまちだが、最安でリッター50円ほどだった。ちなみにここまで高い国でもリッター80円台と、どこも日本より安くて助かっている。

ここはやってなさそうだったが、やって

いた。

こんなレトロな給油機も。

家から買ったガソリンを入れる動画。販売は違法なのだろう、本人たちは顔出しNGだった。

でもこいつらは「別に?」と写真撮らせ てくれた。

10/9 Bukharaは見所多しと聞いていたので半日ぐらい見ようかな?と思っていたところ、予想以上に良かったので丸一日見た。 写真を沢山撮ったのだが、通信速度の関係で沢山あげられないので、とりあえず数枚。キャプション無しですいません!

ネックレスを買った店の職人と偶然夕食で再会し、「ダバイ!!」(乾杯とかいろんな意味があるロシア語、ウズベキスタンも基本ロシア語)この後三人でウォッカ1.5L、一人あたり500ml、、気持ちよく眠った。

10/10はBukharaからKhiva(ヒバ)という町へ移動し、11の午前中だけ自転車を借り町をまわった。

ここも見所は多かったが午後には出発し、Yelabadという小さな町まで進んだ。

何だか、夕陽のパワーが日本よりも強い気がする。

9/29-10/7 Bye-bye Tajikistan! Hello Uzbekistan!

9/28にタジキスタンの首都Dushanbeに到着し、この先の国々のビザを取るため10/6まで8泊9日間の長居をした。

イランとウズベキスタンのビザ申請に必要な、Invitation Letterを依頼した業者から受け取るまでに、思いのほか日数がかかったのが大きい。自分の段取りに反省だ。

Dushanbeのイラン大使館の外観はこんな感じ。

↑ 来る者を拒んでいるかのような出で立ちだ!看板わかりにくすぎ〜

手に入れたイランビザ。

支払いはDushanbeに一つしかないイランの銀行に行かねばならず、大使館係員の場所の説明は適当、道行く人々に聞きまくっても誰も知らず、探し出すのに苦労した。。

ビザ待ちの足踏みだったが、滞在した「Hostel Latifa」は一泊朝食付きで4ドル(最大で7名が入るドミトリールーム)とめちゃ安く、たまに昼に宿にいると家族の昼食に混ぜてもらったり、一緒に買い物に行ったりと超アットホームでリラックスしまくり、家のような気分で過ごせた。

↑ ホテルの向かいの家の兄弟、いつもお兄ちゃんが妹のおもちゃの車を押してあげていた

この10年間たまにしか家に帰っていないさすらいの男、ウクライナ人のMykhailoがルームメイトだったのもラッキーで、様々な話を聞くことができた。

ウズベキスタン→トルクメニスタン→イランと進む予定だったが、トルクメニスタンビザはさらに二週間待つ必要があったため(しかも5日間しか滞在できないTransit VISA)、カスピ海を北から周ってアゼルバイジャンを通ってイランに入るルートに変更を決定!アゼルバイジャンビザはネットで取れる。

10/6、わが家のようにくつろぎまくったHostel Latifaのオーナー家族やルームメイトに別れを告げて、ウズベキスタンとのボーダーへ向かう。タジキスタンの出国はサクッと終わったが、ウズベキスタンは役人はみな超フレンドリーで気さくなのは良いものの、仕事が遅く(というか遊んでる感じ)バイクの登録にめちゃくちゃ待たされて、2時間かかった。。

町、人々、景色はいよいよ中東って感じだ。

今はSamarkand(サマルカンド)という町まで来た。確か小学校の国語の教科書の中の椎名誠さんの作品でサマルカンドが登場し、面白い話だったのでその名前は強く記憶に残っていた。ちなみにもう一つ名前を覚えているのは、”さまよえる湖”ロプノール湖だ。どこに存在するのかも知らなかったが、今その場所に自分の力で来たと思うと、なんだか嬉しかった!