05-15 March @Benin days #3 Japanese language school

ベナンに関して事前に唯一知っていたこと、それは『ゾマホン』という四文字だけだった。

1998年〜2002年の間やっていたTBSのテレビ番組、『ここがヘンだよ日本人』を見たことがあれば知らない人はいないと思われる。艶やかな民族衣装を身に纏い、他の外国人出演者よりワンランク上の深く鋭い発言をして、討論が激しくなると誰よりもヒートアップ!早口で叫んで何を言ってるのかわからなくなり、反対派に対して「黙れーーっ!!!」と絶叫したりと、その強烈なキャラに笑わせてもらったものだ。

正直、「おもしろい変なアフリカ人」という印象しかなかったので、ベナンに来てからネットで彼のことを調べてすごく驚いた、、!貧しい家庭に育ちながらも勉強を頑張り、ベナン初の国費留学生として日本へやって来ていて、TVタレントとしてもブレイクを果たし、最近では駐日ベナン特命全権大使、大統領特別顧問などを務めていた。また、私費でベナンに学校を建てたり医療機関への援助をしていて、国際青年会議所の『世界最優秀青年賞』や、ベナンの国民栄誉賞を受賞していた。そして何よりも驚いたのが、日本とベナン間に正式な国交が樹立されたのはゾマホンさんの活躍のおかげだそうな!つまり、国家を動かす力を持った、偉大なお方だったのだ。

普段は日本にいるらしい(ビートたけしの付き人も務めている笑)ので、本人には会えないとしても彼が建てた「たけし日本語学校」は見に行きたいと思っていたところ、首都コトヌーにある『Daruma』という日本食レストランにて学校の先生とばったり出会い、明日お邪魔します!と伝えた。

10 March 午前中は水上集落ガンビエへ行って(内容は前回の投稿を参照)参照)、午後に学校を訪問する。

表札は、ゾマホン/象真翻

所ジョージさんが寄付した車は、やっぱりアメ車!DODGE

日本語の習得に励む彼らにとっては自分の話を聞くことも良い勉強になるということで、ありがたいことに先生役になり自分の旅や考えについて話し、また彼らからもベナンについて教えてもらい、3時間ぐらい交流する時間を持てた。

中でも印象的だった生徒の話は、ベナンの大学では教師によるストライキがよく起こり、その期間が半年以上となるとその一年間は無かったことになってしまうそうだ、、つまりはまた同じ学年のやり直しで、学費も、時間も、まるまる無駄に、、、!!あと数日ストが続くとそうなってしまう生徒もいた、なんてかわいそうなんだ。。。後で調べてみると、大学に限らず公務員業界全般でストが多発しているとのことで、この国が抱える大きな問題だった。

アフリカの若者たちはイカツく見えるけど、話すと真面目な人が多いという印象だ。彼らもとても礼儀正しく、おとなしく、熱心に話を聞いてくれた。そんな彼らが目指している明るい未来が、ストによって左右されない日が来ることを強く願った。

そして何と、ゾマホンさんがちょうど今ベナンに来ているという!数日は生まれ故郷の町に行っているが、戻ってきたら学校に来るから会えるかも??とのことなので、ベナン滞在最終日にダメもとでもう一度学校を訪ねると、ちょうど帰ってくる日だという。そしてしばらく待っていると、、、会えたー!!!

奥さんのポンヌさんにも会えたー!何と東大の教授で日本語ペラペラ、ゾマホンさん以上にベナンにいないレアキャラらしい。幼くして親を亡くし、生前に教えてもらっていた料理を自分で作って売り歩き、学費を稼いで学校へ通ったというスーパー努力家だ。そこから東大教授にまで登りつめ、夫は外交官、、、!ちょっとスゴすぎるけど、この二人の存在は生徒たちにとっての最大のお手本ではないだろうか。

ゾマホンさんの甥っ子も登場!一番右

こうした機会を与えてくれた石田先生(右から二人目)、本当にありがとうございました!!

翌14日、ベナンと日本がより良い友好関係で結ばれることを祈りつつ、この国に別れを告げてナイジェリアへ向かった。

Keep on Rolling.

05-15 March @Benin days #2 Sightseeing

09 March Cotonou(コトヌー)から40kmほど西にあるOuidah(ウィダ)という町を訪ねた。
ブードゥー教の聖地であり、また奴隷貿易に関する史跡が数多く残る町。奴隷貿易が行われていた時代はベナンを始め、南サハラからの多くの奴隷がこのウィダから船に乗せられ、北アメリカやカリブ諸島、ブラジルなどに連れていかれたという。この説明は、ベナンのNPO法人IFEのウェブサイトより拝借。より詳しく知りたい方は、下記サイトをご参照!

http://npo-ife.jp/benin/guide/highlight/ouidah.html

写真を載せる。

ブードゥー教の神々の像、皆ヘンテコな姿をしている。

かつて奴隷達が船積みされ場所に建てられたモニュメント。二度とアフリカへと帰って来られない、彼らにとって最後の旅。

奴隷たちがヨーロッパの品々と交換で買われていたという広場。大きな木陰がまるで悲しい歴史を優しく包み込むかのように広がっていた。

町の見所であるこれらの場所よりも、一番思い出に残ったのは、昼間の暑さから逃れるためにビールを飲んだBarだった。

「アフリカよ、平和、愛、団結に生きよ」

こじんまりとした簡素な建物だがそれがにとても居心地良く、オープンエアな空間にBob Marleyが流れる。静かで優しくのんびりとした時間とレゲエの組み合わせは最高で、ここでの昼寝は超気持ちいい至福の一時だった。

10 March コトヌーの北のノコウエ湖にある、水上集落Ganvie(ガンビエ)へ。以下の説明は、またIFEより拝借。

アイゾ人という民族が集落を形成し、なんと人口は4万5千人という!1717年頃から、奴隷になるのを恐れて湖上に住み始めたらしい。多くの人は漁で生計を立てている。家はもちろん、学校、病院、警察、銀行も全て水上で、アフリカのべネツィアとも言われている。

ファンキー野郎がガイド!

ちびっ子は水に落っこちないか心配だ、、!

サンタ帽が特徴的な漁師少年、船の上に小さ〜い魚がとれてる

↑ 陸へと向かうガソリン調達船、黄色いのは全てガソリンを入れるポリタンク

↑ こちらは地下水を配布する給水所、真ん中の青い服を着たオジさんが右手にホースを持ち水を入れてる

羊も水上生活

モスクもある

美容院だって。こちらは女性用

そして男性用

手作りの帆が付いてる船も

べネツィアは島のようなスケールの海上都市だが、こちらガンビエは建物単位で水上に浮かぶその名の通り水上集落で、がぜんワイルドだ。似てはいないが、どこを写真に撮っても絵になると思わせる点は共通しており、満足度大でした!

Keep on Rolling.

05-15 March @Benin days #1 Work for visas

今回は、アフリカを旅する上で避けては通れぬ仕事、ビザ取りの話を中心に。

Mali(マリ)、Burkina Faso(ブルキナファソ)を抜けてBenin(ベニンじゃなくてベナンと読む)へと入ったことで、結果的に海岸沿いの小さな国々をショートカットして時間と費用(滞在やビザ代)の大幅な節約となった。(赤ピンが通過ルート)

最初から狙っていた訳ではなく、2月下旬からブルキナで開かれたマスクフェスティバル『Festima』(記事へのリンク)を観に行くためのルート変更によるラッキーだった。俺のように西側からアフリカ縦断を目指す旅人で、効率よく抜けて行きたい人にはオススメのルートと思われる、その時々の情勢によりけりだが。

5 March ベナン入国。長細い小さな国だがなんだかんだ11日間滞在し、うち10日を沿岸のCotonou(コトヌー)という町で過ごした。内陸部の乾いた暑さが湿気を含むムシムシとした感じに変わり、それが日本の夏を思い出させてくれた。

町の郊外にはこんなのどかな景色が広がる。

地引き網やっていた。

一方こちらは市内。ベナンは中華製スクーターがジャンジャン走っている。

07 March Cotonou到着の翌日、まずは何よりNigeria(ナイジェリア)のビザ取りにかかる。アフリカではほとんどの国でビザが必要なので、ただ走っているだけでは先へは進めない。基本GoogleMapで大使館の場所を調べるが、間違っていたり引っ越していることも多く、ナイジェリア大使館もそうだった。人に聞いて見つける、たいそう立派な建物で厳重な警備体制だ。いつも通り「ビザちょうだい!!」と言うと、旅の目的を聞かれて答えたら、「それならトランジットビザを取ることになるが、通過した先のCameroon(カメルーン)のビザを持っていなければ発給はできないぞ」と言われてしまった。

しかしベナンにカメルーン大使館は無く、代わりに「この人に電話しろ」と個人の携帯番号を教えてもらった。この事実上の領事と会ってカメルーンビザは手に入るのだが、ビザ代50,000CFA(約10,000円)に加えて取得代行の手間賃(書類作成やカメルーン大使館まで行く旅費)としてさらに50,000CFA(最初は手間賃だけで100,000CFAと言われるも交渉した)払うことに。。誤算だったが、ここにカメルーン大使館が無い以上この人物に頼るしか打つ手はない。、西アフリカではビザ取りの苦労が付き物だし、まぁ書類一枚も書かずにただ待っていればカメビザを持ってきてくれるのは正直ラクだから、これはこれで良しとしよう!この日の午後に申請し、受け取ったのは5日後の12日だった。

13 March 午前中に再びナイジェリア大使館へ。予めオンラインで作成したビザ申請書をプリントアウトして持参、その他にも

●パスポートの全ページコピー(空欄ページ以外)

●これまで通過してきた国とその日程(8月14日〜3月13日で27ヵ国)

●ナイジェリアのホテル予約書(その場しのぎ、ビザ取得後にキャンセルした)

が必要だった。手続きを終えると16時に来たらあげると言ってくれた、その日中にくれるとは予想外だー!そしてニコニコ顔で16時に行くと、もらったのはビザじゃなく

「お前の申請書はどこだ??」

というまさかの言葉だった、、、!どうやら無くされてしまったようだ、おいおいおいっ!

「朝渡したよ!最後にサインしてなかったの見つけて、書けって言ったのあんたじゃん!」

と伝えると、それまで堂々としていた担当者に気まずい表情が。しかしすぐさま、

「心配するな、お前のビザはもう作ってあるぞ、ほら!!」

と得意気に見せてきた。

「じゃあくれよ!」

と言うと、申請書が無いと渡せないらしい。申請書無しでも作れるけど渡せないって、普通逆だろ!笑

結局、大使館のパソコンで申請サイトにアクセスして再度プリントアウト、おかげで余計な時間がかかったが、カメルーンビザに続いてナイジェリアビザもゲット!後でわかったのだが、どうやらベナン以外のナイジェリア大使館ではビザが取れない状況下にあるらしく、ここで会ったポルトガル人は他ではどこも断られたと言い、取れて大喜びしていた。また、ここでも必ずしも全員が取れるようではなく、断られている人もたくさん見た。。その時々の情勢や国同士の関係で、ビザの取得難易度は変わる。今回一発で簡単に取れたのはラッキーだった。ちなみに値段は50ドル、トランジットビザなのに有効期限はタップリ1ヶ月間もあった笑

さらにその足で、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo、以下DRC)のビザも取ってやろうと大使館へ猛ダッシュ!!まだまだ先に行く国だが、この町Cotonouの大使館だと簡単にビザが取れる(本来ならいろいろと書類を用意したりちょっと面倒なビザ)という噂を信じてトライする。

ナイジェリア大使館でのすったもんだのせいで17時を過ぎて着いたが、「OK」と受け付けてくれた!このウェルカムムードなら期待できるぞ!?そして、噂通り「トランジットビザならいろんな書類はいらないよ、写真2枚あればいい」と言ってくれて、その場で申請用紙を書き、8日間有効のトランジットビザ(DRCは大国だが通過予定の西海岸付近だと極めて小さい)を、15,000CFA(約3,000円)ですぐに作ってくれのだった!親切すぎる!

いつからいつまで有効のビザにするかが問題だったが、かなり先の5月5日から12日までの8日間に設定した。この国の一つ手前のコンゴ共和国(同じコンゴだが別の国でこちらはRepublic of the Congo、以下コンゴ)にて、世界最高峰に取るのが難しく時間を要するAngola(アンゴラ)ビザ取得に挑むため、そこで最悪1ヶ月待っても平気な時間を用意したのだ。

これによって、5月5日まではDRCに入れないという縛りができてしまうが、コンゴでアンゴラビザが取れるまで粘るつもりで余裕ある時間設定にした。もしもビザが早めに取れたら逆に時間が余ってしまうが、その場合はのんびり過ごすとしよう。事務的な作業で面倒に感じるビザ取りだけど、これが無いと先には進めない。そのための算段や苦労も、旅ならではの醍醐味だろう。

こうしてこの町Cotonouでは、カメルーン、ナイジェリア、コンゴ民主共和国という3ヵ国のビザを取ることができた!

Keep on Rolling.

Burkina Faso’s Big Memories #3

この国での一番の出来事は、何と言っても3月2日のテロ事件の現場至近にいた&軍に捕まり投獄されたことだ。その詳細は事件翌日に投稿したが(記事へのリンク)、あの時はまだ未解決だったから載せる気になれなかった写真を、いま公開します、、!

軍隊の基地で30人ぐらいに囲まれて写真を撮られ、誰かにウェブアップされていた。しかし、後にこの写真の存在が俺を助けてくれることになる。左に立つ超コワイ顔をしたスーツ男によって後ろ手に手錠をはめられ、かつ手錠に付いたチェーンを握られている。自由な旅人が一転して不自由な囚人へ、、我ながらすごく困った顔してる。拘束から24時間後に無事釈放されたが、実はこの再び国境警察に怪しまれ、拘束された。。

軍に捕まっている間、釈放されたら「こいつはテロリストじゃないよ」って旨の書類を作ってもらおうと考えていたが、いざ開放されたら早く帰りたい一心で依頼するのを忘れてしまった。3月4日の朝にワガドゥグを出発した後に思い出し、少し後悔するが途中複数あった検問では捕まることなく、進み続ける。16時頃ベナン国境20kmぐらい手前のNadiagouという町へ着いた。思い出深いブルキナともいよいよお別れか〜と思い、嬉しいようなさみしいような気分になっていた。

最初は通り過ぎてしまおうとしたポリスチェックで、停止を求められる。(アフリカはやたらと検問が多く、停まるとパスポートチェックやくだらない質問をされ時間を失い、お金ほしさに書類にケチを付けて罰金を取ろうとしてくることもあるので、以前からスルーできそうな所は停まらず通り過ぎてきた)何やらここがイミグレーションオフィスだというので、パスポートやバイクの登録証を所長らしき人物に渡すが、なかなか返してくれない。そして、「出国スタンプはここには無くてPama(20kmぐらい手前で通過した町)にあるから、戻らなくてはならない」と言われる。しかもバイクは置いてポリスの車に乗れと。「出国スタンプが国境からそんなに離れたところにあるなんて変だ、信じられない。ここがフロンティアのポリスチェックならここで押してくれるはずだ。」と抵抗し続けていると、次第に彼らの態度が強くなり、5人に囲まれて最後は「Stand up!!!」と命令される始末。こうなったら従うしかないが、バイクと荷物を置き去りにするのは嫌なのでせめてバイクで行かせてくれないか?と伝えるも、聞き入れてもらえない。まぁ、場所的に盗まれることはないはず。

前に三人乗れる車の真ん中に座わらされる。逃げられないように。この時点で、「あぁ疑われてる、これから取り調べが待っているな」と確信する。俺が既に一度捕まっている情報を彼らは持っていないし、伝達システムがちゃんとしている国とは思えない。その確認がとれるのはいつになるだろうか、今日中に終わるだろうか?連れて行かれている間、そんなことを考えていた。

銃を持つ二人の兵士が監視する部屋に入る。ここのボスらしき人物が現れる、明らかに敵意の視線を向けている。英語が話せる若者と他二人のポリスも含め、6対1での取り調べが始まった。軍隊の時よりこっちの方が精神的にキツかった、あたかも俺がテロリストと決めつけたように質問されるから。中でも、俺の顔写真が不鮮明なブルキナファソのビザを見て「これは偽造ビザだ」と言われた時はまいった。。いやいや俺のせいじゃなくて、おたくの大使館のプリンターがショボいんだよ!目詰まりしてるんだよ!ヘッドクリーニングしなさい!末端クラスのポリスが相手だと、質問と理解のレベルが低くて説得するのに苦労した。旅の目的は?と聞かれて「ただ世界をバイクで走りたいだけで、完全にプライベートなチャレンジだ」と答えるも、こういう自己実現のための旅をしたことがない彼らには理解できない。「金を使って苦労して、何の利益にもならなくて、それが目的だなんておかしい。他にあるんだろ?」そう疑われた。

負ける訳にはいかない。何もかもを疑ってくる姿勢にいい加減ムカつき、途中から怒鳴るような大声で回答していた。これでいい、正しいのはこちらなんだから強く出るのもこちらだ。と気張り続けるも、拘束から二時間ほどが経過し疲れてきていた。その時、スマホを手に新たなポリスが入ってきた。その画面を見てビビったが、次の瞬間にはチャンス!に変わった。画面には軍隊に捕まっている俺が映っていたのだ。げ!こんな写真が出回ってるのかよ!?まるで犯人じゃん!と最初は焦ったが、これぞ俺が無罪放免だったまぎれもない証拠だ!「ほら言った通りだろ!俺が本当にテロリストだったら今ここに来れてない!」この写真のおかげで、その後尋問の圧力は弱まっていった。

その後30分ほどで尋問は終わるが、軍と連絡がついて俺の無罪が完全に認められるまでは軟禁され、3時間後にようやく「お前は犯人じゃない」と言い渡された。時刻は21時半、バイクもここには無いし動けないので結局ここで寝ることに。ポリスと一緒にテレビでサッカーを見て、今回は牢屋じゃなくて青空ベッドを借りて寝た。

猿も登場!

ちなみに軍隊に捕まってる時もそうだったが、軟禁下の俺は飲食物を買うことができ、「ライスが食べたいし、コーラと水が飲みたいな〜」と言ってお金を渡すと軍人や警察がおつかいに行ってくれ、この点では彼らを使いっぱしることができて何だか偉くなったような気分だった笑 しかもちゃんと細かいお釣りまで返してくれるから、こんなとこはマジメなんだな〜と思ったりもした。

そして翌朝。国境近くのポリスチェックへと送ってもらい、無事バイクと再会し、昨日は「ここには無い」と言われた出国スタンプを押してもらった。さすがにこれ以上捕まりたくないので、「怪しい者ではありません」証明を出してくれ!と今度こそお願いするも、「心配するな、国境を越えてBenin(ベナン)に入ったら誰もあんたを捕まえないよ」と言われ、結局もらえずにこの国を出た。

Beninにて昼を食べようと店に入ったら、ポリスが食べている!こんなにドキッとするなんて、まるで悪い事した野郎みたいだな、、してないのに、、。ちょっと嫌だったが、ここで店を出たら逆に怪しまれるので座った。様子を伺うが、どうやら俺を何とも思っていないようだ!よっしゃこれで晴れて自由の身だー!!!と、ここで飲んだビールの味は格別だった、、!

Keep on Rolling.