11 May DRC(コンゴ民主共和国)の町Boma(ボーマ)を出発して、アンゴラ共和国と国境の町Matadi(マタディ)を目指した。
町中でも車がスタックしている。もう少し頑張れば、こんな道ともおさらばできるはずだ。アンゴラ以南からは発展した国々になると聞いている。この日を乗り切れば最難関ゾーンが終わり、喜望峰までの道が開くぞ!そういう気持ちで進んだ。
Matadiに向かったのは、西アフリカを分断しているモンスターリバー、コンゴ川を自走で越えるためだ。長さはアフリカ第2位(1位はナイル川)、流量は世界第2位(1位はアマゾン川)とハンパないスケールのため架橋が難しいらしく、基本的には船で渡る。唯一1本だけMatadiに橋が架かっており、ここを渡れれば全行程陸路自走でアフリカ縦断できる。それにこだわりたかった。
橋が見えてきた。
なんと日本がつくった橋だったー!コンゴ川の向こう側に進めた喜びも倍増!!
DRCの出国イミグレーションでは、この旅で初めて検疫窓口があり、黄熱病の予防接種証明書 = イエローカードを登録された。なんで出国時にやるんだ?と疑問だったが、今考えればこの時すでにDRC内でエボラ出血熱患者が発生していたため、検疫が強化されてたのかもしれない。また、カルネ(バイクの輸出入書類)の書き方を間違えられ、違うじゃん!!とつっこみ直してもらったりもした。
アンゴラの入国イミグレーション施設は立派で、発展した国に戻ってきたことを感じる。しかし、ここでもカルネを間違って書かれてガッカリ。また、国境からしばらくは地図に無い荒れた道で、舗装路が中心の世界に戻る前の最後の試練となった。
でも、DRCでさんざん鍛えられたから大丈夫だった。この日で悪路との戦いが終わった!また、熱帯ゾーンを抜けて冬のアフリカを感じる朝晩寒い気候へと変わった。
13 May N’zeto(ンゼト)という町のガソリンスタンドに入ってビックリ!50台ぐらいのバイクが給油している。この旅で初めて(意外にも)の、バイククラブとの遭遇だった。
BMWのR1200GS、HONDAのAfrica TwinやVaradero、YAMAHAのSuper TENERE、DucatiのMultistradaなどなど、ほとんどのバイクが今世界中で人気の大排気量ディアルパーパスタイプ、いわゆるアドベンチャーモデル。通過したアフリカ諸国では生活の足として乗る小さなバイクばかり走っていて、このような趣味を目的とした高級車たちとはぜんぜん出会えなかったので、楽しむためにバイクに乗る文化圏に戻ってきたことを実感、嬉しかった。
このアンゴラの首都Luanda(ルアンダ)を拠点とするBIGバイククラブ『Amigos da Picada』との出会いはめちゃくちゃラッキーだった!日本から一人で走ってきた俺を超歓迎してくれて、その後行く先々の町にいるクラブメンバーがサポートしてくれたのだ。
14 – 16 May @Luanda
『Amigos da Picada』の基地に隣接する宿に泊まり、基地にたむろする彼らからビールをおごってもらいまくった笑
基地内にはビアサーバー
↓クラブのボス(Presidentと呼ばれる)、Lilio(リリオ)が「なんかあったらすぐ俺に電話しろ!」と超フレンドリーにしてくれたおかげで、クラブ全員から受け入れられた。
17 May LuandaからLobito(ロビト)という町へ。道中、お猿さん発見!
川の侵食がよくわかった場所。
Lobitoに着くと、Osvaldo(オズワルド)というメンバーが迎えてくれて、Mario(マリオ)というBMW R1200GS Adventure乗りの家に招かれた。
GSの他に、Royal Enfieldとスクーターも持っていた。
ビアサーバー付きガレージ、最高〜!!
そのまま、おやすみなさ〜い
@18 May LobitoからLubango(ルバンゴ)という町へ。
15年前に起きた内戦時の遺物、装甲車
Lubangoに着くと、Sandroというメンバーが迎えてくれて、Jose(ジョゼ)というHondaのVaradero乗りの家にお世話になった。この人とは本当に楽しい時間を過ごした!!
Jose夫妻
ゴチャゴチャと物が置いてある所の、トイレットペーパーの下から何かを引っ張り出したと思ったら、、、
カラシニコフ銃(AK-47)が出てきたー!!なんとこの人、元・特殊部隊兵で、教官まで登りつめた超タフガイだった。でも自分自身のことを「ミー」と呼ぶ愛嬌があり、とんでもなく親切な「気は優しくて力持ち」だった。
リボルバーも登場!小さいがズッシリ重く、撃鉄は親指全力でやっと引けるぐらいの強い反発力。この銃で人の体を貫通する威力があるらしい。。
それをサラッと腰に撒いたペラペラのウエストポーチにしまった。入れ物と中身のギャップがすごい!過去の歴史から、白人に対して悪意を抱いているアフリカ人もいるらしく、彼は護身用に常にこのリボルバーを携帯していた。
軍仕様のランドクルーザーには、アンゴラ内戦時の銃弾の穴が。この一発は運転席のJoseの右耳たぶをかすめ、後部座席の仲間の命を奪ったという。
19 May Joseとツーリングに行った。「俺のセカンドバイク、YAMAHA XJ900を使ってもいいぞ?」と言ってくれたので、たまには違うバイクに乗りたかったからありがたく借りた。
なんと、元・白バイだった。Joseがポリスに銃や武術の指導をしたお返しにもらい、赤に塗り替えたそうだ。気持ち良い景色と白バイの乗り味を楽しんだ。
20 May アンゴラのカートチャンピン、Fiorio(フィオリオ)が、Can-Am Spyder(前にタイヤが二つある三輪の乗り物)に乗って登場!
Joseの孫のMarcelo(マルセロ)も連れて、今度は4人でまたツーリングに行った。
景色の良いローカルなお店で、ランチ休憩。
カンパ〜イ!
飲み干したらすかさずFoirioが次をオーダーするので、ビールが終わらない!結局ここで12時〜16時まで4時間飲んで、ニ軒目に移動して17時〜21時までまた4時間飲んで、バイクに乗って帰宅するというハチャメチャな一日になった。。。!!まさか8時間ビールを飲み続けた後に、元・白バイを運転するとは。。。!Joseの家に着いた直後に立ちゴケしそうになるも、なんとかこらえた。危ねえ〜
Joseは、2年近く前にも日本から走って来たライダーとばったり会って、泊めてあげたと語った。バイクでのアフリカ縦断、特に西ルートにチャレンジする日本人はそうはいない。ネットを見ていた限り、ここ2年の中で達成したのは一人だけのはずだ。Joseにその人の名前とバイク名を確認したら、やはり同一人物だった!!俺は直接知らない方だが、旅の情報収集にとその方のブログは読んでいた。唯一参考としていたいわば俺の“先輩”も、ここでこの人と会っていたなんて、不思議な縁もあるもんだ。
『Amigos da Picada』とは、二輪や四輪のタイヤ跡や轍でつながる友達、という意味らしい。その名の通り、めちゃくちゃ心が広い陽気な野郎たちと出会い、バイク乗りの絆っていいな〜!と改めて感じたアンゴラだった!
Keep on Rolling.