CROSS ROAD

前回、9月からTouratech JAPANのフルタイムスタッフになると書いたが、至った経緯を残したい。

2022年8月、長野に完全移住する直前に行っていた、Touratech JAPAN Mongolia Desert Challengeでのひとコマ。

まず、人手不足のツアラテックから2月の終わりに「戻ってこない??」と誘われたのが事の発端だ。もちろん、俺はずっと住むと腹を決めて長野に移住してきたし、今の環境と暮らしが大好きだから、それを手放す選択肢はまずあり得なかった。

ただ、その当時パタゴニアと掛け持ちで働いていた中条の古民家旅館での仕事を、これ以上続けても成長は難しいと感じだしたタイミングでもあった。また、春になって4ヶ月ぶりに(人生で初のバイク冬眠だった)バイクに乗り、「これだ!これなんだ!!」と改めてその素晴らしさを認識し、バイクへのモチベーションがガツンと上がったタイミングでの話でもあった。

そこで。ちょっと大変だけど頑張れば、週3日白馬のパタゴニアで働いて、土日は主に(全部の土日は無理だけど)神奈川の相模原にあるツアラテックで働くこともできなくないだろう!と決めた。ツアラテックでは、スタッフや常連と一緒に走ることも含めて仕事の一部のようなものだから、自然とスキルアップできるのも大きな魅力だ。

しかし、あくまでも新しいスタッフが入社するまでのサポートスタッフのつもりで、働いても一年ぐらいのつもりだった。ベースはあくまでも長野なのだ。パタゴニア白馬ストアのスタッフや待遇もすごく好きで、長く続けたいし。ゴールデンウィークいっぱいで中条の古民家旅館は退職し、以後週2日は相模原のツアラテックへ行ったり来たりする生活がスタートする。

しかしある日、社長の太郎さんから高橋店長が遅くとも年内には退職するんだよ、と思いもよらない話を聞かされる。そして、店長職を引き継がないか?と打診された。当然断ったが、話には続きがあり、新しい店長には将来的に会社も担ってもらいたいという予想外の相談だった、、、!

即答はできず、一日考えた末に。俺は引き受けることにした。しかし、長野の家は手放さずに。相模原にも家を借りて、仕事のためにここに住み、理想の生活や自然暮らしは長野で描くことに決めた。この地に根を張るつもりの長野に、月何日か遊びに来て過ごす暮らしになってしまうが、、、そして、大好きなパタゴニア白馬店も退職してしまうが。。。でも、長野にも家を持ち続けるんだから、自分のベースを神奈川と長野に広げたんだ、と納得することにした。俗に言う二拠点生活というやつだろう。本当は一本化したいのだけど、一箇所でまとめ上げられないのだから、いた仕方なし。

正直言うと、2021年9月に道祖神を退職してから2年近く定職につかず、いよいよもっと稼がないと、と考えていたことも大きい。また、しばらくずっとアルバイト君でいた気楽な立場にもそろそろ飽きてきて、責任ある仕事にも飢えていた。本当は長野での起業が理想だが、何ができるのか悩んでいた。理想の環境や暮らしは移り住めば手に入るが、事業的な成功は必ずしもその地で実現できるかわからない。それらを一つの場所に集約できればベストだが、俺は二つに分けた方がうまくいくかもしれないな。なら試してみることにしたのだ。

40代はこれまでの経験を活かして、自分の裁量でできる仕事を確立できたら、という野望を持っていたこともある。すでにある会社を引き継ぐとしたら、何もかも思い通りにはいかないだろうが、少なくとも既存のプラットフォーム(ブランドイメージ、製品、販路、顧客、ノウハウ、システム、インフラなどなど)を利用できるのは、大きなメリットでもある。その上で、自分なりの色を出して、新しい展開をしていけばいい。大きな船の舵をとる船長、そんなポジションに付けるチャンスは誰にもあるわけではないので、俺がどこまで進めるか挑戦してみたい!と心が動いた。

6月の道祖神のマン島TTレース添乗員の仕事にしても、5月のSSTRゲスト出演にしても、今回のツアラテックの話にしても。けっきょく俺はバイク関係で重宝されるのなら、そこに向かった方がシンプルだし、自分にとってプロになれる唯一の分野なのは疑う余地がない。パタゴニアとツアラテックに力を分散させないで一つに集中させたら、もっと活躍できるのは自分が一番良くわかっている。

と、いうわけで。将来の自由な時間を手に入れるために、今しばらく、久しぶりに本気で仕事をがんばってみます。

昨日、近くの山の上から見た雨上がりの風景。
風雲急を告げるような躍動する風雲を眺めて、これまでの、そしてこの先の自分の人生と勝手に重ね合わせていた。

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