I can see the goal now!

しばらく更新が止まってしまってまってますが、アンゴラのLubangoという町まで来ていて、あさってにはナミビアに進む予定です!

その次は、さぁいよいよ南アフリカだ。

厳しいところは全て終わり、最終コーナーを曲がっていよいよホームストレートに入った気分!

最後まで気を抜かず、引き続きがんばります!

Keep on Rolling.

Thrilling zone in Cameroon

(食堂のテーブルで遊ぶカメルーンのこども)

「ナイジェリアからカメルーンに入ったら何にも心配ない、とても平和になるぞ!」

以前に誰かからそう聞いたことがある。

特にナイジェリアでトラブルは無かったのだが、一番気にしたのは道端のポリスの検問だった。やたらと多く、通過する車を停めてはケチをつけてお金を取ろうとしていた。
また、なぜかポリスじゃないよくわからない奴らも釘が付いた角材や棒などを持って待ち構えており、目をつけられると襲いかかってきたり、タイヤをパンクさせようとしてくるらしい。。。バイクの機動力を活かして、捕まらないように駆け抜けまくっていた。

20 March さて、この検問もカメルーンに入れば無いぞ〜!と思っていたのだが、たくさんある。。。こっちはまともな検問だったが、突破しようとしても必ず停められるから時間が削られる。
ぜんぜん穏やかじゃない、話が違うぞ!
そう思いつつBamendaという町を目指して走っていると、理由がわかった。Mamfeという町付近の10人ぐらい軍人がいた検問にて、
「ここから先はテロリストが潜伏していて、撃たれてバイクを奪われる可能性があるから、バイクでの通行は禁止だ。車しか通れない。」
と言われた。検問の多さは、テロリストを見つけるためだったのだ。迂回路などないから、バイクごと運んでくれるトラックを捕まえるしかないが、いつになるかわからない。
あぁ、ついに治安の壁にぶつかったか。。。でも、完全に立ち入り禁止ならアウトだけど、車ならOKなんだから今が超危険ってわけじゃなくて、警戒しているってことだ。通れる可能性はある!そう思って日本から南アフリカまで走り続けたいことを伝えると、それまでの緊迫した雰囲気から称賛ムードに、そして何となく応援ムードになっていく、、、!おっ、こりゃいけるかも!?
しかし、もう一つ問題があった。Bamendaまでガソリンが持つか微妙だったのだ。この道にガソリンスタンドは見当たらず、あったとしてもまだカメルーンの通貨を持ってないから入れられない。デンジャラスゾーンの中でガス欠になってはたまらない、、、そこで軍人に、「無事に通り抜けてみせるから、そのためにガソリンあったら分けてほしい!」と言うと、リーダーっぽい人がOKと言って1Lくれた!よし、これで届く。
その先も2箇所の検問で「バイクは駄目だ、帰れ」と言われて立ち塞がれたが、交渉の末なんとか通してもらえた。『テロリスト出てくんな〜、撃ってくんな〜』と念じながら走る、緊張の区間となった。

カメルーン南西部の『英語圏』と呼ばれるエリアは、独立を求めて政府と戦っているらしい。ここを無事に自走できたのは、本当にラッキーだった。4月初めにここを通ろうとした旅人によると、俺が通過した以降に立て続けにツーリストが殺害されて、車でも通過できなくなってしまったらしい。なんてこった。。。

20 March 道中で、なんとモロッコから走ってきたという中国人女性ソロチャリダーと会った!例のやばい区間は車に乗せてもらったらしい。カメルーンでは久々に(なんとモロッコ以来!)雨に降られるようになり、熱帯ゾーンだからどしゃ降りのスコールもしばしばだ。彼女もやはり雨が大変と言っていたが、がんばってほしい。

夜間にスーパー豪雨が降った翌朝の21日、キーをONにしてもスピードメーターが点灯しない。そのまま首都のYaounde(ヤウンデ)まで走り、外して確認してみるハーネスの一本がショートして切れていた。コネクター内のギボシから交換しないとダメだろうな。ヘッドライトやメーターを取り外して無防備な間に豪雨が降っても大丈夫なよう、何か防御できるものを探した末に、イスをかぶせておく笑

宿の近くに車の修理屋があったので、そこにメーターを持っていくと、ガラクタの中から使えるパーツを探してコネクターに移植し、ハーネスをつなげてくれた。よし、復活!

また、この町では次の国Gabon(ガボン)ビザをゲットする。必要書類を持って大使館へ行くと、アフリカ人らしからぬせっかちな女性が30分で発行してくれた、早いー!

Keep on Rolling.

Nigeria #2

アフリカの道路ってどんな感じ?と思われてる方もいるだろう。
7カ国走ってきて、主要な道路を進む限りは以外にも田舎も含めてアスファルトだった。

ただし、そこから一本外れると町中でもボコボコの土で水溜まりだらけの場合も多い。

また、幹線道路でも工事中の未舗装な区間が何キロか続いた、アスファルトにも大きな陥没がたくさんあったり。

まぁこれはヨーロッパを除くユーラシア大陸でもそうだった。質の良くないアスファルトが水分や温度差で分解されて穴ボコになるようで、時には直径1メートル、深さ2〜30cmクラスのものもある。

小さな穴でも段差に乗り上げるような衝撃となるから、車たちは避けるために対向車線も使って蛇行運転をするから怖い。また、これも多くの国で体験したが、上り坂やカーブでも平気で追い抜きをする。そこら中で車は故障やパンクして停まってるし、壊れた車が路肩に捨てられるし、まっすぐの道のど真ん中で横転してるトラックも見かけた。

日本の道路の質の高さ、運転マナーの良さが世界トップレベルなのは間違いない。

16-18 Marchの期間滞在したBenin City(ベニンシティ、この町と区別するために隣国のBeninを『ベナン』と発音するらしい)では、セネガルから西アフリカを旅している女性チャリダーと会う。

何やら自転車の調子が悪いらしく、リアブレーキが効かなかったり、リアディレーラー(変速機)が機能していなかったり。自分もそこそこ良い自転車を持っており、前職では往復40kmをチャリ通勤していてメンテナンスもある程度できる。ブレーキはワイヤーの距離を縮めて、ディレーラーは動くべきはずのアームの根元のボルトが目一杯締め込まれ動かなくなっていたので、緩めると動くようになった。なんとこれ、自転車屋にやられたらしい、、、そして「ディレーラー内部のスプリングが壊れているから交換するしかない」と言われてしまったらしい、、、。アフリカに限らず、海外ではボルト類を力いっぱい締めたがる気がする。自分も一度、トルコにてリアアクスルシャフトのナットをインパクトドライバーでガッチガチに締められて、手持ちのモンキーレンチで緩めるのに苦労したことがある。
乗り物が不調だと快適に旅を楽しめないので、改善してあげることができてよかった!

19 March カメルーン国境に近いAbakalikiという町を目指して東へと進む。道中、突如としてバイクを高々と乗せたオブジェが出現し、テンション上がるー!!

バイクを嗜好性よりも実用性で選ぶアフリカでは、コストが安く扱いがラクな、カブとスクーターを合体させたような中華バイクばっかり走っていたので、なぜここにSUZUKIのビッグアドベンチャーバイク『DR750-BIG』が奉られているのか、不思議に思う。下に書かれていたた字を読むと、どうやらこの道がラリーか何かに使われている?た?らしい。そして、
『DISCOVER YOUR LIMITS』
のメッセージにシビれたー!!

アフリカ西ルートの単独縦断は、自分にとって達成できるかどうかわからない目標設定だ。挑むあたり、果たしてどこが自分の限界なのか?を確かめたい、そしてもしそれに直面した時には越えて進みたいと思ってきたので、自分の心情ピッタリのオブジェに出会えて嬉しかった!

20 March  Abakalikiという町の宿で、朝オイル交換をしてから出発する。今回入れたのはブルキナファソで買っていたアフリカ版のYAMALUBEで、Made in Singaporeと書かれていた。

日本やヨーロッパで売ってるYAMALUBEとパッケージデザインが違う。果たして中身=クオリティにどんな差があるのか気になったが、キャップを開けてみるとさらにアルミ紙で塞がれた二重カバーになっており、しかもアルミ紙にはYAMAHAの音叉マークの刻印があるというコダワリが。このように二重カバーされているオイルは初めてだ。また、オイルの色もサラダ油より薄く、確実に化学合成油=Syntheticだとわかる、鉱物油=Mineralではなくて(前者の方が高性能)。お〜いいじゃんアフリカYAMALUBE、これでリッター700円もしないからお買い得だろう!

この日でナイジェリアとはお別れをして、お次はカメルーンへ!

Keep on Rolling.

Nigeria #1 Cross boader

道中で聞いてきたナイジェリアの評判は、なぜか悪いものばかりだった。

「役人の腐敗レベルがヤバい」
「賄賂の要求がハンパない」
「ナイジェリア人は押しが強い」
「イスラム過激派『ボコ・ハラム』(西洋の教育は罪という意味、、過激!!)が北部で頻発にテロ活動をしている」

などなど。なので、いつも以上に気を引き締めて向かう。

最短ルートでナイジェリアへ入ると通過するLagos(ラゴス)という都市は、なにやら「アフリカ三大凶悪都市」の一つというウワサもある。他ニつはケニアのナイロビと南アフリカのヨハネスブルク、またラゴスに代わってにタンザニアのダルエスサラームがノミネートされることも。鵜呑みにはしていないが、用事が無ければ寄らない方が無難だろう。
また、ポリスが舌なめずりしながら待っている賄賂街道となるのは最も交通量が多いメインルートのはずなので、マイナーっぽい青い点を付けた道から国境を越えるとにした。しかしこのルート上には以前武装強盗が出没していた地帯があり、やはり油断はできない。

15 March ベナン出発。この日から蛍光ベストを着用する。

この先検問の数が増え、突破する難易度も上がることを見据えて、見た目の印象を少しでも明るくして捕まるリスクを減らす作戦だ。まぁこれでもイカツい感じだけど、、、さすがにブルキナファソの時のように投獄はされないとしても、いちいち怪しまれて停められて質問(フランス語だから理解できない)されるのは時間がもったいない。

この国境では、おもしろいことが起こった。知らぬ間にベナンを出国していて、ナイジェリアに入っていたのだ!てっきりベナンの出国手続きをしていると思ったら、係員が
「ナイジェリアの電話番号を書け」
と言ってきた。
「まだSIMカード持ってませんよ、ベナンにいるんだから」
とコイツ何言っちゃってんの〜って感じで答えたら、
「違う、ここはナイジェリアだぞ」

と返された。

、、、こんな簡単に出れちゃう国は初めてだった笑 引き返してベナンの出国イミグレーションを発見、スタンプをもらう。屋台みたいな建物に係員が二人いるだけ、きっと屋台と間違えてスルーしたんだな!

対するナイジェリアの入国イミグレーションにはやたら役人が多く、そしてみんな暇そうだ。バイクの持ち込み手続き含めて15人ぐらいとやりとりし、何人も「金くれ」と言ってきて、うち一人は個室に連れこもうとしてきたが、いずれも何度も断れば相手から引き下がるレベルで全て回避できた。せめて『〇〇税を支払う必要がある』とか、嘘でも言ってくれば騙される可能性があるかもしれないが、みんな飲み食いするジェスチャーの後に「金くれ」と言ってくるから単純でおもしろかった笑

全ての工程をクリアして、あとはこのバーを越えれば終わりだー!いざ出発!!とクラッチレバーを握った直後、レバーにかかるテンションがスッと消えて軽くなった、、、それはつまり、クラッチワイヤーが切れてしまった。

賄賂攻撃を防いだので、これ以上言ってこないうちに一秒でも早くこの場を去りたかったのに、ここで切れるのか〜。。たまに注油もしていたけどやはり元放置車両、予想以上に傷んでいたようだ。とりあえず今日到着を予定している町まで、このまま走れないか策を講じてみるも、できそうにない。ここに長居したくはないけど仕方がない、切れた時用に持ってきた予備ワイヤーと交換だ。まぁ、強盗が出るかもゾーンで切れなくて良かったとしよう!

イミグレの建物からほんのちょっとだけ離れ、作業に入る。

「ここを使うな、使うなら金払え」とか言ってこないか気にしたけど平気で、その場所を見張っているポリスやローカルたちは温かく見守ってくれて、写真もポリスが撮ってくれた。また、作業が終わった後は汚れた俺の手を見て、子供が石鹸と水を持ってきてくれた。

なんだ〜、いい国じゃんナイジェリア!

Keep on Rolling.

05-15 March @Benin days #3 Japanese language school

ベナンに関して事前に唯一知っていたこと、それは『ゾマホン』という四文字だけだった。

1998年〜2002年の間やっていたTBSのテレビ番組、『ここがヘンだよ日本人』を見たことがあれば知らない人はいないと思われる。艶やかな民族衣装を身に纏い、他の外国人出演者よりワンランク上の深く鋭い発言をして、討論が激しくなると誰よりもヒートアップ!早口で叫んで何を言ってるのかわからなくなり、反対派に対して「黙れーーっ!!!」と絶叫したりと、その強烈なキャラに笑わせてもらったものだ。

正直、「おもしろい変なアフリカ人」という印象しかなかったので、ベナンに来てからネットで彼のことを調べてすごく驚いた、、!貧しい家庭に育ちながらも勉強を頑張り、ベナン初の国費留学生として日本へやって来ていて、TVタレントとしてもブレイクを果たし、最近では駐日ベナン特命全権大使、大統領特別顧問などを務めていた。また、私費でベナンに学校を建てたり医療機関への援助をしていて、国際青年会議所の『世界最優秀青年賞』や、ベナンの国民栄誉賞を受賞していた。そして何よりも驚いたのが、日本とベナン間に正式な国交が樹立されたのはゾマホンさんの活躍のおかげだそうな!つまり、国家を動かす力を持った、偉大なお方だったのだ。

普段は日本にいるらしい(ビートたけしの付き人も務めている笑)ので、本人には会えないとしても彼が建てた「たけし日本語学校」は見に行きたいと思っていたところ、首都コトヌーにある『Daruma』という日本食レストランにて学校の先生とばったり出会い、明日お邪魔します!と伝えた。

10 March 午前中は水上集落ガンビエへ行って(内容は前回の投稿を参照)参照)、午後に学校を訪問する。

表札は、ゾマホン/象真翻

所ジョージさんが寄付した車は、やっぱりアメ車!DODGE

日本語の習得に励む彼らにとっては自分の話を聞くことも良い勉強になるということで、ありがたいことに先生役になり自分の旅や考えについて話し、また彼らからもベナンについて教えてもらい、3時間ぐらい交流する時間を持てた。

中でも印象的だった生徒の話は、ベナンの大学では教師によるストライキがよく起こり、その期間が半年以上となるとその一年間は無かったことになってしまうそうだ、、つまりはまた同じ学年のやり直しで、学費も、時間も、まるまる無駄に、、、!!あと数日ストが続くとそうなってしまう生徒もいた、なんてかわいそうなんだ。。。後で調べてみると、大学に限らず公務員業界全般でストが多発しているとのことで、この国が抱える大きな問題だった。

アフリカの若者たちはイカツく見えるけど、話すと真面目な人が多いという印象だ。彼らもとても礼儀正しく、おとなしく、熱心に話を聞いてくれた。そんな彼らが目指している明るい未来が、ストによって左右されない日が来ることを強く願った。

そして何と、ゾマホンさんがちょうど今ベナンに来ているという!数日は生まれ故郷の町に行っているが、戻ってきたら学校に来るから会えるかも??とのことなので、ベナン滞在最終日にダメもとでもう一度学校を訪ねると、ちょうど帰ってくる日だという。そしてしばらく待っていると、、、会えたー!!!

奥さんのポンヌさんにも会えたー!何と東大の教授で日本語ペラペラ、ゾマホンさん以上にベナンにいないレアキャラらしい。幼くして親を亡くし、生前に教えてもらっていた料理を自分で作って売り歩き、学費を稼いで学校へ通ったというスーパー努力家だ。そこから東大教授にまで登りつめ、夫は外交官、、、!ちょっとスゴすぎるけど、この二人の存在は生徒たちにとっての最大のお手本ではないだろうか。

ゾマホンさんの甥っ子も登場!一番右

こうした機会を与えてくれた石田先生(右から二人目)、本当にありがとうございました!!

翌14日、ベナンと日本がより良い友好関係で結ばれることを祈りつつ、この国に別れを告げてナイジェリアへ向かった。

Keep on Rolling.