一度は通り過ぎたバイクがもたらしてくれたラッキー

13 December 世界屈指の有名観光地、海上都市Veniceは、かなり楽しみにしていた。好きなマンガの一つ『ジョジョの奇妙な冒険』の名シーンの舞台でもあるので、なおさらだッ。(だから本当はヴェネツィアって書くべし、読んだ人ならわかるネタです)

操舵室のガラスに外の景色がおもいっきり反射している

あいにくの天気でも、なるほど『Veniceを見て死ね』という言葉がよくわかった。これまでの人生の中でそこそこいろんな場所に行ったが、その中でもここは特別な一つに入るだろう。

14 December 他にも見どころ満載なイタリアだが、前回投稿のAlfonso家@スペインはマドリードに24日までにはカモーン!と言われていたので、フィレンツェもローマもバッサリと切り捨てて先へと進む。

途中、歩道に停まっていた一台のバイクの前を通り過ぎた。偉そうに聞こえるかもしれないが、街で見かけるバイクはほぼ知っている。しかし、それは見たことがなかったので気になり、Uターンして戻った。

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しばらくジロジロと眺めていると、前のカフェからオーナーが出てきた。

「なぬ、日本からバイクで来ただと!?お前スゴイなー!!!」

と言った彼、Marco(マルコ)はもっとスゴイ人で、Aprilia(イタリアのバイクメーカーの一つ)のMotoGPメカニックだった!!

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かつ、自身もモトクロスを中心にスゴ腕ライダーでもあるMarcoは、このFANTIC MOTOR社がつくるバイク『CABALLERO』の走行性能をチェックしてほしいと社から頼まれて、家まで乗って帰る途中だった。

彼の住むBologna(ボローニャ)まで一緒に走り、見所を少し案内してくれて、MotoGPとは別の彼の職場 LUX Racing Service でバイクを預かってくれて、近くのメチャうまいレストランでご馳走してくれて、郊外の素敵な家に泊めてくれた。うおぉぉグラッツェーー!!!

LUX Racing Service のトロフィーやマシンたち

森や馬も持っているリ〜ッチなMarco邸!

15 December 翌朝、もはや限界せまる俺のフロントタイヤを気にしたMarcoは、替えるかどうかは別としてまぁとりあえず、と彼の師匠がやっている小さなバイク屋Dalla’s Racingに案内してくれた。LUX Racingにはレース専用タイヤしかないためだ。マドリードまで交換せずに走る覚悟だったが、このお店でまさに履き替えたかったタイヤ、HeidenauのK60 SCOUTを発見!!21インチタイヤがわずか2本しか置いていない中で、なんという巡り合わせだ。。1000kmほど使われた中古タイヤだったがその分安いはずだし、せっかく恩人のMarcoが連れてきてくれたのだ、交換を決めた。

彼らいわく、アフリカみたいなジャッキアップ

ブロックが無くなりツルツルな箇所もあるフロントタイヤ、日本からノーチェンジでトータル24,000kmぐらい使った。そしてNew!

終わった後に店主のDallas(ダラス)にいくらか尋ねると、なんとタイヤ代も工賃もいらないと言われる、、!

「俺は日本のバイクが大好きで、数え切れないほど扱ってきたけど、日本の人と話したのは初めてだ。しかも、バイクで日本から俺の店にやってきたなんて。君と出会えて楽しかったから、それで充分だ。それよりここのカベに日本から来たってサインをしてくれないか?」

この温かな言葉に、思わずウルッとなった。俺の左がハートフルな男、Dallas師匠。

すぐそばでラジコンやプラモデル屋を営むエンデューロライダーのLuca(ルカ)にも、日本製のラジコンにサインを求められた。

Aprilia、Ducati、MotoGuzzi、MVagusta、Piaggioなどなど、日本よりもずっとメーカー数が多いバイク大国イタリアにおいても、日本のバイクおよびモノづくりは最高の評価で、とても誇らしく嬉しかった!

お世話になりっぱなしだったので、Marcoの職場に戻った後、せめてもの御礼にと事故車両からエンジンを降ろす作業を昼過ぎまで手伝う。

そして、特別な時用に取っておいたヘッドライト上のスペースには、記念すべき一枚目としてLUX Racing Serviceのステッカーが飾られた。

毎年一回、仕事でMotoGPの日本戦に来ているMarco。ありったけの感謝を伝えて、「今度は10月に日本で会おう、恩返しするよ!」と再会を誓い、別れたのだった。

観光ではないけど輝く光を観れた、Venice

12 December 今回はVeniceで再会を果たした、この旅でできた特別な友人二人について書く。ロシア行きの船内で出会い、幾多の困難を乗り越えて俺より一足先にユーラシア大陸の横断を果たした、25歳と24歳の韓国夫婦ライダーのことを。

↑ 8月 in Russia

↑ 10月 in Switzerland

↑ 12月@Venice Airport in Italy

4ヶ月前の8月12日、鳥取の境港からウラジオストク行きの船に乗り込んだライダーは俺一人だった。船は翌日に韓国の東海(Donghae)港に寄港する。そこで、ハーレーで世界一周達成目前のスイス人、2〜300万円クラスのBMWやハーレーでモスクワまで走るツアーリーダーとリッチなお客様たち12人、そしてこの二人、ジョンウとヒョンジュが乗ってきた。ジョンウはもと陸軍兵、ヒョンジュはメガネのデザイナーだったが、二人共仕事を辞めて新しい風を求めてバイク旅に出た。

俺たちはすぐに仲良くなった。ロシアのウランウデで再会した後、俺はモンゴルへと南下し、二人はロシアを西へと進み続けてヨーロッパを目指した。

彼らのバイクはかなり古い250ccのDMC HONDA(日本のHONDAとどう関係があるのか俺は知らない)のオンロードタイプで、細いタイヤに荷物満載、ユーラシア横断は大変なチャレンジになりそうな予感がした。

そしてやはり、幾度のパンクとチェーンの断裂、多量のオイル漏れ、フレームのクラック、サスペンションの故障、リアホイールベアリングの破損、ジェネレーターの故障などなど、本当にトラブルだらけだったらしい。しかし、できる限り自分たちで修理しながら進み、宿泊は経費節減で4ヶ月間の半分はキャンプで過ごしたとのことだ。軍隊あがりのジョンウは慣れているかもしれないが、それについて来れるヒョンジュもすごい!

しかし、二人で苦労を乗り越えながらスイスまで来たある日。峠の下りコーナーにて、ヒョンジュがスピードに乗ったままスリップ転倒してしまう。

木製のガードレールを突き破り転落しかけるも、体は道路にはね返されて幸運にも手首の骨折その他裂傷と打撲で助かった。しかし、バイクは再生が難しい大ダメージを負ってしまう。

ヒョンジュがバイクを失い、大怪我をしたこのアクシデントで、旅をやめて帰国するか続けるか、三日間話し合ったらしい。結果、彼らは旅を続けた。ジョンウのバイク一台に二人乗りできるスペースをつくり、また少しでも軽くするために、バイクのサイドバッグ含む多くの荷物を捨てて再び前へと進み出す。

しかし、そんな彼らにさらなる試練が。パリでスリに遭い、資金源だったジョンウの財布とクレジットカードを失ってしまったのだ。

ますます追い込まれるも、削れるのは宿代と食費なのでキャンプ&節約を徹底し、ついに二人はユーラシア大陸の西の終着点、ポルトガルはロカ岬までたどり着いた!

↑ 11月 in Portugal ヘッドライトも点かなくなっていた

本当はもっともっと旅を続けたかった彼らだが、道中での度々の修理費用、ヒョンジュの事故の治療費(保険に加入していたが返金されるのは帰国して申請後なので、スイスにて高〜〜〜い治療費を現金で支払った)、さらに財布をスられて資金的に厳しくなってしまい、12月12日にVeniceから帰国することを決断、そして俺はうまいこと11日にVeniceへとたどり着いたのだった。

ポルトガルから空路でVeniceに11日に着いた彼らは、その日も空港のそばの森の中でキャンプをして、再会とお別れのランチをする2kmほど離れたレストランに空港のカートを押して現れた笑

二人をロカ岬まで運んだジョンウのバイクは、持ち帰る資金が無いため泣く泣くポルトガルの空港に置き去られた。

二人にとっては一生の思い出のバイクだ。そのまま捨てられてしまうのがもったいないので、これからポルトガルに行く俺がどうにかできないかと考えた。イランの宿にてポルトガル人のRenatoという友人ができ、ポルトガルで再会する約束をしているので、彼や友人が引き取って第二の人生を与えられないか相談してみるつもりだ。そして、ジョンウのバイクの鍵を受けとった。

そしてそれ以上に、困難を乗り越えていく二人の強いハートと、ポジティブなエネルギーがもらえた素晴らしい日となった!この鍵を見るたびに勇気が湧いてくる。