2023年の4月、Facebookで投稿した内容をいま、あえて載せてみたい。
長野で生きていく覚悟を決めていた時。
状況は変わり、神奈川と二拠点になっているけど、この時から三年近くたった今でもこの気持ちは1ミリも変わっていない。ぶれていない。
たくさん迷ってでたどり着いた境地だから。

—–
強い好奇心に誘われて旅に出て、
違う場所に心移りして、
また旅に出て、、、
繰り返し続けて、わかったことは。
というより、もともとなんとなく気が付いていたんだけれども、体で知るためには。
けっきょく、旅に出る必要があったのだ、
と今は思う。
本当は、どこにも行かなくていい。
いま、自分の目の前にある時間と世界に対して100%、夢中で生きて。
ありふれているいつもの日常だけに没頭して。
「ここが、これが、一番の幸せ」
と感じられることこそ、何よりも尊いはずだ。
そして、それはきっと。
場所ではなくて、心の在り方なのだろう。
旅に出なくても。1ミリも動かなくても。
足元にあるもので、目に見える範囲にあるものに満たされる『足るを知る』心を育むには??
けっきょくは、遠くに旅に出る必要があるのだろう。
外から見てはじめて、内側にあるものの本当の姿や価値が、わかるから。
そして、その次に思うこと。
ひたすら寺や洞窟にこもり、己のみに向き合い続けて座禅を組み、長年にわたって修行し続けた歴史の高僧たちは、一体どこへと向かい、たどり着いたのだろうか??
かつては、わからなかった。
だが今は、ぼんやりとわかりつつある。
わざわざ外に出かけて、ここには無い何かを得ようとするのではなくて。
持ち帰って来ようとするのではなくて。
彼らはきっと、目の前にある物事で楽しみ、満足できる真の豊かな心と力、想像力と創造力を、自分の内側から絶えず生み出せる、湧き出せる心の在り方に、たどり着いたのだろう。
それこそが、俺の旅の終着点だ。
そうならない限り、どこに行っても何を見ても、また違うものを求めて動くほどに乾き、いつまでも彷徨い続けるだろう。
その境地へと進むためには。
きっと、既製品にあふれゴチャゴチャしてて、心乱される場所じゃない方がいいのだろう。
そう考えて、そんな心理的理想郷に向かって歩んでいる感覚の、今です。
