Sentimental trash

ラリーマシンをイメージさせるかなり尖ったスタイリングながら、大排気量トレールマシンレベルの性能というアンバランスが面白くて、すごく個性的な一台じゃん!自分では意外と気に入っているXT660Z。知人の庭に放置されて肥やしになっているのを見るに見かねて、とりあえず預かってきてあっという間に半年ほどが経った。

自分的なは古すぎず新しすぎず、かなりおもしろい個体だと思っているので、ぜひ直して乗ってやろうと思っている一台だ。

ようやく、手をつける気になったから触ってみる。

エンジンは普通にかかる。

明らかにぶっ壊れてるのは、フロント周りだ。

電気系統が生きてるのか、チェックしてみる。ヘッドライトバルブやウインカーは付いて無いから、ハーネスからちゃんと電気が来ているかテスターで調べる。

その結果、、、一番懸念していたヘッドライト(LOWとHIGH)OK!

ウインカー、ハザード、ホーン、ブレーキ、問題なし。ただ、ポジションにテスターを当てた瞬間にヒューズが飛んだから、ここだけ問題ありかも。

とりあえず車検が通るまでの状態に仕上げるまでには、そこまで苦労しなさそうだ!と確認できて一安心です。

あと、フロントフォークから盛大にオイル漏れてるから、しっかり乗るにはここも直そう!

Boys on the Run

6月から、通勤の片道7km/往復14Kmをランニングに切り替えた。きっかけは、今年も8月に実施するモンゴルツアーに向けて、基礎体力を上げるぞ!と思い立ったからだ。

今年は9日間のツアーを2回連続で、合計23名のお客様をアテンドしながら14日間ぶっ通しで走る。特にツアー②の方がコースが難しそうだから、余力が残らないとサポートできない。

なので、ライディングのトレーニングをするよりも、まずは何よりもその技術を乗せる土台であり器となる肉体を鍛えるべし、と考えた。この思いつきはきっと良い結果に繋がる予感がしている。フィジカルが強くなれば、バイクを操るためのあらゆる動作をより強くでき、しかもより小さな負担で済むことになるはずで、それそのものがライディングレベルのアップにつながり、同時に体力と筋持久力アップは、14日間のハードワークに大きなアドバンテージになるはずだと確信している。

今年もモンゴルには、手前のスーパーテネレで行く。相模原の家に停めているMY GSと、長野の家に停めているテネレの貴重なツーショット
2010年式。モンゴルを2週間ガッツリ走るために、気になる箇所はひと通り整備してあげた。がんばって乗り切ってくれ!
去年もうちょいパワーを上げたいと感じたのでマフラーを交換してみた。フルカーボン製のレーシングマフラー、純正と比べて断然軽い
同僚に借りたステアンリングダンパーも装着!ワンオフステーを作ってくれた同僚と近藤さんに感謝!

コンテナに搭載されたモンゴルへ送るバイクたち、その数全部で24台!
今年はこんなスロープを登って直接コンテナにINした

というわけで。この炎天下だからこそより効果ありと走り始めたのだが、さすがに最初は厳しかった。もともと走るのはめちゃくちゃ得意で足には自信がある方だが、長距離をガッツリ走るなんてもう何年間もしていない。それでも5割ぐらいは昔の貯金が残ってるだろう!と考えていたが、現実は甘くなかった。

朝っぱらからいつも7km走る、なんてのは高校生以来とはいえ、43歳&長いブランクにより、もはや貯金はゼロに等しかった。走って三日目には、膝の外側にある靭帯が膝の骨との摩擦に負けて炎症を起こしてめちゃくちゃ痛くなる、いわゆる「ランナー膝」に襲われた。これはゆっくり走り二日ぐらい休息日を挟んだらすぐに治ったが、お次はふくらはぎの筋肉が硬くなって常に張っている症状が酷く、これが長引いた。騙し騙し何とか走れるぐらいに痛く、登り坂をつま先で蹴ると急激な筋肉の伸びに耐えきれずに「ビキッ!!!」と激痛が走ることも2回ほどあった。

『あー、俺の足はここまで劣化しちゃったんだな〜、、、』と、自分で笑うしかなかった。と同時に、痛いということはそれだけ非日常的な負荷を肉体に与えているということで、止めずに継続すればパワーアップが待っているし、何より辛いと感じるよりも走るのが楽しい気持ちが上回っていた。一ヶ月間、ただし毎日ではなくて週4日ペースで走り続けた結果、7月5日時点の今になってようやく足が走力をだいぶ取り戻し、調子良く走れるようになってきた。

通勤の道中で同僚が撮影してくれた、ランニング中の自分

いつまでも走れる自分で在りたい。

これは心の底からの願いだ。正直、バイクに上手く乗れることよりも大切な自己実現だ。だから、このタイミングでそこに立ち返る決心と行動ができて、本当に良かったと心底思っている。俺の性格上諦めずにいつかは再び走り出したはずだろうが、そのいつかを今に変えられて、一つの願いが叶ったような大きな充実感を既に味わえている。

モンゴルツアーが終わっても、この先ずっとランニング通勤を続けていきます。

タイトルは、銀杏BOYZの名曲より。

Psychedelic Maniac

相変わらず2週に一度、月の4〜5日で長野に来ては楽しんでいる。

家のすぐ近くにある虫倉山、正月に登った
2月にSHERCOをトレーラーで運び、群馬の榛名山の中の道とは言えないハードなオフロードを丸一日中走り回って帰宅した時

立派なガレージがある家は本当に便利で、またバイクが増えた。

昨年の後半にXT250T(1983年式)を、そしてつい最近XT660Z(2006年式)を手に入れて9台持ち、とうとう二桁までリーチとなった。

9月末、名車XT250Tを引き取ってきた場面
かつての最高技術の結晶は今乗っても魅力的だ
つい昨日、長野に運んできたXT660Z
相模原で乗る機会が少ないRTLを長野の庭の方が乗るだろう!とついでに運んできた
11月半ば、かつて雑誌の企画でDIYガレージを建てた千葉の土地に3年以上置いていたカヤックを、いい加減引き上げねばと長野に運ぶ
積む時は二人だったけど、下ろす時は一人で大変だった。でかいので車を停めてるカーポートの方に入れて保管する

こんなにいろいろ置ける長野の家が今の俺の暮らしには欠かせなく、バイクは9台のうちGSとSHERCO以外の7台を長野に置く。

【現在のラインナップたち】

・BMW R1200GS(2017年式)1200cc

・YAMAHA XT1200Z Super Tenere(2010年式)1200cc

・YAMAHA XT660Z Tenere(2009年式)660cc

・TRIUMPH 5TA(1960年式)500cc

・SHERCO SEF-R250(2017年式)250cc

・HONDA RTL250RF(2002年式)250cc

・YAMAHA TT250R(1997年式)250cc

・YAMAHA XT250T(1983年式)250cc

・YAMAHA FT-1(1970年式)50cc

言えることは、超新しい車両は少ないということ。GSとSHERCOは実用性重視のハードな乗り方をするからパフォーマンスを求めて高年式だが、その他は思い出の品だったり“触って、乗っておもしろい”視点で所有していった結果、こうなった。ただ乗れて便利なバイクならこんなに必要ない。自分で直したり手間がかかるけど、それだけの価値を持っているのに正当な扱いを受けていない、磨けば光るやつらしか興味がない。トライアル車のRTLだけは完全に練習目的だから、微妙な年式となっている。

XT250Tは、隣村の小川村の「りんりん館」を訪れた際、たまにそこに来て手伝いをしている埼玉の狭山に住む初めて会ったかたがりんりん館に置いていたバイクで、「最近ぜんぜん乗らないくてこのままじゃバイクに良くないから、ガレージあるなら持って帰る?」という予期せぬ流れだった。

良くない塗装でガソリンの垂れ跡と割れが目立っていたタンクの塗装を剥がして地金にまで削る
サフェを3回吹いた状態、いい感じ!あと2回ぐらい塗り重ねてウレタンクリアでフィニッシュ予定、自分バイクは好き勝手にできるからおもしろい

ちょっと乗って楽しんだら誰かに売って、若干の手数料だけもらって終わりにするつもりだったが、何回乗ったら「やっぱ古いバイクのフィーリングはいいね〜!!」とすっかり魅了されてしまい、所有することにした。昨日名義変更を済ませ、質の悪い塗装だったタンクを塗り替えている。走行面でダメな点は今のところ見当たらないから、やれてる箇所を小綺麗にしたら長野の家周辺をちょこまかと動き回る足にする。

XT660Zは、知り合いがヘッドライトとその周りを完全にぶっ壊してそのまま一年以上庭に放置し、生殺し状態だったやつを引き取った。知る人ぞ知るマニアックな稀少車だがパーツが入手しにくいという欠点があり、テネレ700が出てから完全に消え去ったこの660だが、俺にとってはめちゃくちゃ楽しい素材だ。

当初のもくろみは、今年もやる8月のモンゴルツアーで利用することだった。機敏に走れるこいつなら参加者へ良いサポートができるだろう、と考えたが、今年は二週間ぶっ続けで走るので自分にとってもスキルを上げるとても良いトレーニング機会となる。ならばやはり去年同様XT1200Zで行った方が、重くて大変な分練習になると考えを改めたが、モンゴル関係なく自分のものにすることにした。

適当なバッテリーを繋いでセルを回したところ、ちょっとグズったあとに無事エンジンがかかった。燃料ポンプかインジェクターが詰まってなくて良かった。目に目えるエラーはフロントブレーキを握った時にランプがつかないぐらいで、こことヘッドライト、あとフロントウインカーを直したらバッチリだ。アイドリングも安定してるし、メーターのバックライトが赤く光のと、前オーナーが換えたLeovinceマフラーの重低音サウンドがとても気に入っている。

写真ではわかりづらいが、赤いバックライトがめちゃくちゃクール!スケルトン状態のヘッドライト周りの再生が大変だけど楽しみ

話は変わり、最近は長野へ来ても行く機会がなかった白馬へ、今日3月12日ひさしぶりに行った。目的は二つ。一つ目は知人の雨宮国広さんが主人公の映画

『Jomonさんがやってきた』

をパタゴニア白馬ストアで上映したらおもしろい、と思ったから店長にアポをとって説明。結果、パタゴニア主催イベントでやるのはハードルが高いが、俺が主催してやるなら上映会場として白馬ストアの利用はOK、パタゴニア白馬として集客の告知協力はできるとのこと。充分だ。こうやって引き続き打算の無い関係で繋がっていられるから、かつてここで働けて本当に良かったと思っている。6月24日(火)上映予定で進めていく。

その後、昨年友人が買った

Hakuba Third Place Lodge

を訪ねた。

こぎれいでこじんまりとして居心地がよく想像以上にいい感じ!

ひさびさに会ったので互いの近況報告をしたり仕事の話をしたりと盛り上がる。

寒さと雪で必然的に動きが鈍る冬も終わり、活発的に動き回る長野ライフのシーズンが始まった。活性を上げていこう!!

Sonic Youth

大学主催の卒後20年生を集めた同窓会的なイベント『Home Coming Day』に、同級生何人かと参加してきました。ブログタイトルは、あっという間に20年たった的な想いから。

当時の二倍の年齢になったのに、このツラとは、、、!
俺は2000年に入学して(ちなみに「一般推薦」枠で現役で合格しました。高校ではオール5を取ったこともあったのだ!)、2005年に卒業した。3年生終了後にPEACE BOATに乗るために一年間休学をしている

11/3(日)13:00〜15:00の催しだったが、こんな機会でもないともはや筑波まで行かないから一泊して、思い出の場所にも足を伸ばした。

俺の時代には無かったTX・つくばエクスプレスは、新御徒町からつくば駅までたったの43分、たったの1,160円だった!東京・埼玉・千葉・茨城の4県をまたがって60km近く、この速さで特急料金もないなんて、こんなコスパのいい電車は他に知らない。この電車の存在は知ってたが乗ったことなかったから、当時「陸の孤島」と呼ばれていた筑波が今やこんなに簡単に行けるようになっていたなんて目からウロコだった
つくば駅から出るとすぐにシェアサイクルのステーションを発見して、コイツで移動する。ほんと便利になったなー!つくば駅から大学の中心エリアまでは3kmほど離れていて、敷地が南北に4kmもある大学だからチャリ無しでは授業の移動もままならないゆえ、チャリのインフラが整備されたのは素晴らしい。最高の快晴で、漕いでるとすぐに暑くなった

当時のバイト先、一年生の時に住んだ寮、その後一人暮らしをしたアパートなどを巡り、、、

俺の原点、初めてのバイクを買ったお店へ!!

気分はもう凱旋帰国!我ながら、大きくなったな〜とか調子こいて思っちゃったりw
もしかしたら潰れて無くなってるかも、、
、とか思ってたけど、逆にお店が大きくなっていて、めちゃくちゃ嬉しかった!!

当時俺がお世話になった笑顔が素敵な茨弁(いばべん・茨城弁のこと)ガンガンなお兄さんは独立して残念ながらもう居なかったけど、オーナーさんから三店舗あるツクバオートは全てまだ健在だと聞いてますます嬉しくなった。もはや帰ってもいいや!ってぐらい大満足しました♪

お次は開店と同時に、つけ麺『丸長』へ。ここの近くに住んでた親友の家で飲んで泊まった翌日は必ず行った、酸味のあるスープが二日酔いの胃に優しい人気店
イエイ!

その後は今回の目的であるHome Coming Dayへ参加する。全部で500人ぐらいかな?思ったより参加者は少なかったが、フリーで地ビールや地酒や食べ物が楽しめる良いイベントでした!

来年までは参加資格があるから、仲間たちとは来年もこようぜ!となった

終了後は俺たちが拠点としていた第二学群の建物を目指しつつ、学園祭開催中の大学内をぶらつく。

中央図書館では、死んだ親父の名前「忠孝ただたか」を冠する特別企画が開催中だった。今回は時間が無かったが、期間中にもっかい来て見ようかと真剣に悩んでいる
図書館の中にはスタバが入っていた。恥ずかしいが、俺の時代からは考えられない進歩だ!
俺が在籍した比較文化学類、通称「比文ひぶん」の出展を発見
この辺はよく見た景色でよく覚えている
一番よく使った建物
その後、事あるごとに集まってたお好み焼き屋へ行き、ホテルではベイスターズvsソフトバンクの試合をTVで観ながら超盛り上がった。当時もよく飲みながら誰かの家で野球やらサッカーやらオリンピックやらを観てたな

川崎生まれの俺にとって、は 横浜の優勝の瞬間はHome Coming Dayと同じぐらい最高でした!!

俺たちの代は来年まで参加権利があるから、来年もまた来ようぜ!と誓い解散する。

最高の天気にも恵まれ、本当に楽しい時間だった。来年はもっと早くからお誘いをがんばって、もっとたくさんの仲間たちを集めたい!

NEW TATTOO

今回の話題は、もはや確実にこのタイトルしかない。

Motley Crue の名曲中の、名曲。

この誰しもの心の琴線に触れる歌と、自分が新たなタトゥーを入れたことの紹介。

右腕にはすでに、旅を通じて学んだ究極のパワーであり、その強さと輝きをほんの少しでもいいから我が身に宿したい、という憧れでトライバルな感じの太陽が刻まれている。

左腕はそのままにしてきたが、最近ぼちぼち入れたいという気持ちになってきて、こういう内側から湧き出してくる感覚を重視している俺なのでやることにした。

俺の体の一部として刻みこんで、一生過ごしてもいいと思えるような物、存在、イメージ。今となっては、もはやバイク以外は無いなと思える環境に行き着いたからそれを刻みたい衝動に襲われたから、と表現する方が正しいか、な。

原画。右腕内側にある太陽と左右のバランスをあわせて円形。あらゆるものは循環するのだから、やっぱ丸がいい

そして5年前に右腕に太陽を彫ってもらったのと同じお店、とても信頼できる町田の「STROKER TATTOO」へ。

これが施術室
この電動ドリルで皮膚を切り、そこにインクを落とすのだ
彫った直後。出血があまりなく、周りの皮膚もちょっと赤みをおびている程度なんて、自分で想像してないかった穏やかな術後。前はもっとひどかった。彫る道具や腕が進化したのか、それとも俺の耐性が上がっているのか??

ギアのような、タイヤのような、そしてそこに疾走感があるようなイメージを刻んだ。今はまだ皮膚の下にまでインクが沈下してないからなんかタトゥーシールみたいにハッキリクッキリしすぎているけど、一ヶ月くらいたてば色が落ち着いて皮膚に完全に馴染むから、そしたら右腕も含めてタトゥーの写真をアップしたいと思います!

※タトゥーを彫られる痛さについて。俺が彫った腕の内側だと、顔は痛みに歪むが声を上げずに耐えられるレベル。そんな痛みに約2時間半ほど耐え続ける、痛みの感じ方には個人差もあるようだが。

内側にあたる部位、つまり普段は自分の体の皮膚と接していて(内腿や脇などもそうなる)、服やら物体やらと触れ合ったり擦れ合ったしない箇所の皮膚は弱くて柔らかいので、痛い方らしい。

最後にお店のステッカーをもらった。Stroker Tatooを和訳すると、鼓動彫になるらしい!なんとなく、バイクっぽくていいじゃん!と思いました