友人に会いにGrazへ

5 December  4年前にゴビ砂漠を一緒に旅した友人、スラニー京子さん夫婦に会いにAustriaはGraz(グラーツ)を目指す。

この時期の北上は凍結や雪のリスクもあり少し迷ったが、こんな機会でもないとなかなか会えない。それに多少のリスクなら乗り越えて進む旅の方がおもしろい。山岳国家のオーストリアにあって、グラーツが山中に位置していなくてラッキーだ。

途中で一泊したCroatiaの首都Zagreb(ザグレブ)の夜はなかなかきれいだった。

そして翌日、無事二人に会うことができた!京子さんは翻訳家、旦那さんのWolfgangさんは大学教授。ビールが有名なオーストリアで、ビールに合う美味しい料理をご馳走になってしまいながら、思い出話や旅のこれまでとこれからに花が咲いた。

町歩きも楽しんだ。ザグレブでもそうだったけど、屋台のビールとソーセージに惹かれて吸い込まれる〜。

町のシンボル、時計塔は高台にあって町を一望できる。

グラーツ駅の天井はド派手!

さすがはKTMの祖国オーストリア、メチャメチャでかいバイク用品専門店があった!

しかし、売り場の3分の2はウェアやヘルメットなど人間用のアイテム=ファッション重視な印象で、工具やスペアパーツ類といったバイクのための品揃えは正直いま一つに思えた。例えばオイルドレンボルトのワッシャーリングが無かったり、パンク修理キットはチューブレス用しか無かったり。こんなに大きなお店なのに置いてないとは意外だった。

やっぱ、日本のバイク用品店の品揃えってすごいぜ!!と感心、 in オーストリアでした。

ボスニアで見た影と光

1 December  Bosnia and Herzegovina(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のMostar(モスタル)という町へ。中学〜高校時代に見たニュースが記憶に残る、この国の今が知りたかった。

独立を巡って数々の紛争が起きた旧ユーゴスラビア共和国の中でも、第二次世界大戦以降のヨーロッパで最悪とまで言われるらしい、1993〜95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。旅の相棒バイクは1995年製だから、この国に平和が訪れた年に生まれた同い年だ。下の三枚の写真はWar photo s museum のもの。

美しい山と川があり、こじんまりして落ち着くモスタルは居心地良く、ボスニア人は道端の人も店員さんも、皆とても愛想良く優しく親切だった。また、泊まったHostel Golden Bridgeのオーナーや客にも恵まれた。

キリスト教区とイスラム教区を結ぶ橋(スタリ·モスト)。紛争時には破壊されたが今は再生した、まさに平和の架け橋だ。

Hostelのオーナー、ステファンは見ての通り楽しくてフレンドリーヤツだった!

そんな町だが、いまだに銃弾の穴があいた建物や廃墟もたくさん見かけた。

かつてスナイパーたちが狙撃基地として使っていたというビルに、壁をよじ登って侵入し、街を眺めてみた。

その爪跡が、決して遠くはない近い過去の出来事だったのだと思わせる。壮絶な悲劇の記憶が漂う町に生き、争うことの不徳を心底知っているボスニアの人々。その優しさがどこから来ているのか、少しわかったような気がした。

追憶のDubrovnik

28 November バルカン半島の海岸沿いを北西へと進む。次の目的地はCroatiaのDubrovnik(ドゥブロヴニク)、ここにはイスタンブールと同じく14年前にピースボートで訪れていた。その時に見た景色は忘れられない素晴らしい思い出となっている。

特に、当時はまだスルジ山のケーブルカーが内戦で破壊されたままだったから徒歩で登り、疲れた後に廃墟の頂上駅から真逆に美しい街と海、沖に停泊する我々の母船を見下ろしたことが、とても幻想的だった。せっかくだから、その時の写真は帰国後に載せられればいいと思っている。

Albaniaから向かってくる途中、Montenegroという国をこの旅初となる同日中の出入国、一日も滞在せずに通り抜けた。この国も海あり山ありと美しい国だったが、日本から南アフリカまでの長い道中いちいち寄ってると本題が終わらないのでスルーも大切、ちょっと停まって写真だけ撮った。

モンテネグロ版モンサンミッシェルといわれる、Stevi Stefan(ステヴィステファン)

Kotor(コトル)という街がある穏やかな湾

翌日のドゥブロヴニクは、14年前と同じく曇天だった。三日いたうちの二日は強い雨で、とてもオレンジの屋根とブルーの海が光り輝く本来の景色は望めず、けっきょくスルジ山からの景色を再び眺めないまま街を出た。

イスタンブールもそうだったが、再来した今回は初めて訪れた時の強烈な感動は無く、期待していた分正直あれ??と思った。心のどこかで今回は晴れを願っていたが、たとえ晴れたとしてもあの時ほどの興奮を味わえただろうか。経験値が上がり、感受性は21歳時よりも下がってしまったからだろう。

しかし、鉛色の空でも冷たい雨でも、ドゥブロヴニクは俺の記憶の中で永遠に輝き続ける存在だ。

Albania #2

25 November シーサイドタウンSarandeから沿岸部を北上し、首都のTiranaを目指す。

海といえば、トルコのボスポラス海峡で3ヶ月ぶりにオープンな海(カスピ海はクローズな海)と会った時、強烈なまでの潮の香りを感じて思わず「懐かしいなぁー!!」と大声をあげたが、それ以来ずっと沿岸部を走るも潮の香りは感じない。小さなことだけど、これが体の慣れかと改めてよく分かった。

Tiranaまでの道中、しばらくは海沿いの山々の中を走り、ワインディングと景色が楽しめる。雲が近い。

いたるところで目にするアルバニアの国旗は、そのデザインとカラーがちょいワル(死語使います)でカッコいいと思う!

冷戦時代の遺産、核シェルターがAlbaniaには沢山あるらしい。内部が歴史博物館になっている一つの中に入る、展示内容は暗〜い。

オイルがほしかったところ、ヤマハの看板を掲げるちゃんとしたバイク屋があった!YAMALUBEのFULL SYNTHETICが10ユーロだったので、2本ゲットー!

気に入ったレストラン、TEK。100円〜400円程度の一品料理が豊富で美味しいし、生ビールも日本の大ジョッキに近いサイズで120円、久々に居酒屋に来た気分だったー!

西ヨーロッパと比べると物価が安く、一昔前のような雰囲気が味わえ、人々の距離感も(自分的には)近すぎず冷たすぎずちょうどよく英語も通じ、自然も豊かなアルバニアはとっても魅力的だった。アジア人は全然いなかったので、やはりマイナーなのだろう。 中央アジア以来久々に全く知らない国に来たが、その分ドキドキワクワクが大きく、未知を知るという旅の醍醐味をこの国で楽しんだ!

Albania #1

23 November 俺も含め、アルバニアってどこよ?な人も多いはず。

ルート上にある通過国としてなんにも知らないで行ったけど、美しいアドリア海と山々の自然景観が素晴らしく、予想以上に気に入った!写真はSarandeという町とその周辺で撮影したもの。

ギリシャとの国境からSarandeへの道中はアップダウンやワインディングが楽しめて、とんでもなくキレイな水を生む神秘的な泉、BLUE EYEもある。

天気よし景色よし道たのし、いや〜いいじゃんアルバニア!しかし、良いことばかりそう長くは続かないものだ。注意力散漫になってしまっていたのだろう、緩やかな下り坂の右コーナーでコケてしまった。

良くないのは承知しているが、ブレーキパッドの消耗スピードの関係で、旅の途中からリアブレーキは本当に必要な時以外使わないようにしている。荷物もあって後ろが重いので、フロントと比較にならないぐらい早くリアパッドが減りまくるからだ。またタイヤの減りも同じで、リアは早々に死んでカザフスタンで一回交換したが、フロントはユーラシア横断まで待つかも?と無交換、しかしもう限界は近い。ライディングに集中していれば、進入スピードとコーナー角度と下り坂とタイヤ状況を考慮し、リアブレーキも使ってクリアしたはずだったが、フロントのみで行ってしまった。しかも、コーナーに入ってから少し先の対抗車線の車の存在に気付き、膨らまないようにと途中でよりブレーキを強めバイクを寝かせた結果、一瞬でフロントタイヤから滑った。バイクごと対抗車線まで流れたが、幸いにも車の手前で停まって体もバイクも無事、しかし大切なライディングウェアが破けてしまった。

こんなこともあろうかと日本から針と糸を持ってきていたので、補修する。右膝部分が10cmぐらい縦に裂けたズボンは(足はプロテクターのおかげで無傷)縫い合わせ、小さな穴で済んだジャケットの袖はアルバニア国旗のパッチを縫い付けて塞いだ。

カッコいい国旗のデザインでよかった。アルバニアでやっちまったことを忘れないために!