9/22-24 Bye-bye Kazakhstan! Hello Kyrgyzstan!

9/22 写真はキルギスまでの道中にて。

カザフスタン出国時は少しだけ荷物の中をチェックされたが、キルギスはノーチェックだった。それでも出入国スタンプを押してもらう時は、周りのカザフ、キルギス、ロシア人より細かく調べられて、どんどん追い抜かされる。かなりアウェーな気持ちになるが、そのぶん突破した時は、周りの人の数倍「やった!!」って気分を勝手に味わっているので、まぁいいだろう!

ボーダーから20kmほどにある、キルギスの首都Bishkekへ到着後、すぐイラン大使館へ行き「ビザくださーい!!」と申し出るが、Invitation Letter(イランの旅行会社から買う)を持ってないからダメダメ!とあえなく撃沈。。しかし、こうなることも想定内だ。というのも、前号で登場したSTAN tourより、かつてBishkekでInvitation Letter無しでイランビザをゲットした猛者二人組がいるという話を聞いたので、もしかしたら!?と挑戦してみたのだ。

大使館からBishkekに一つだけあるというイランの旅行会社を聞き出して向かうと、70ユーロ払ってパスポートを預ければ、3日後にこの会社がビザを貼った状態で返してくれるという。しかしモンゴルビザの時と同じく、金曜の午後の申請だから翌週月曜日の処理になり、受け取りは水曜かに木曜になってしまう。そんなに待つのは嫌だったし、もう一度カザフに入って訪れたい場所があるからパスポートが取られるのは都合が悪いので、STAN tourでもInvitation Letterの取得までなら55ドルでできることを改めて確認し、頼んだ。イランの旅行会社ではないためか、発行までに10日ほどかかってしまうようだが、もともとタジキスタンのDushanbeでトルクメニスタンビザを申請し、もらえるまでに二週間ぐらい待たなければならないようなので、この待ち時間と重ねればいいやと判断し、Dushanbeで再度イランビザを申請することにした。

9/23 STAN tourはカザフスタンの会社なので、Bishkekにあるパートナー会社に行って55ドルを支払う。ついでに少し街をブラブラした。

9/24 日帰りで再びカザフスタンへ笑 イラン大使館優先で後回しにした、紀元前13〜14世紀=3000年以上前の壁画が何千と残っている、Tamgalyという場所がどうしても見たかったのだ。小高い丘の上の壁ににあるものが多いので、軽い山登りを繰り返す。寒さに震えながら走ってきた体が、今度は軽く汗をかいた。

世界遺産なのだが、道中には看板一つ無い。壁画も囲いなどなく、目前で見れるし触れる。この土地の人々は、ここを観光地化しようとはしていないのだろう。とても素晴らしいと思う。日曜日なのに客は俺の他に10名程のツアー客だけで、彼らは俺が来たのと入れ違いで帰ったから、広大なエリアを3時間以上見学したが、貸し切り状態だった。世界遺産を貸り切ったのは、初めてだ!笑

9/17-21 世界で9番目に大きい国、Kazakhstanをゆく

9/17 首都のAstanaにたどり着き、街を見てみたかったので18日も連泊。宿で自転車借りて動いた。

泊まったNOMAD 4×4 という宿は、ウランバートルのOASIS GUEST HOUSEのようにいろいろな国の人がやって来ては去り、ドイツ、チェコ、ハンガリー、ニュージーランド、アメリカ、韓国、カナダの旅人と出会い、情報交換や飲みニケーションで楽しい時間を過ごせた。

9/19 ビザが面倒な国が近づいてくる。

当初、カザフスタンからトルクメニスタンへ入りイランへ行くつもりだったが、トルクメニスタンのビザは非常に取りにくいので、モンゴルからカザフスタンのAlmatyにあるSTAN tourという会社に相談を始めていた。やはり予定ルート通過は不可で、ウズベキスタンのボーダーからでないとトルクメニスタンへは入れないとわかる。ウズベキタンビザの取得は業者を通さないと個人では難しいらしく、さらに申請時にタジキスタンのビザ(これはネットですぐ取れる)の添付が必要、、という諸々の事情から、カザフスタンを横断せずに南下して、キルギス→タジキスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタン→イランへと抜けるルートを変更をし、カザフスタン最大の都市である南部のAlmatyを目指す。途中あったカザフっぽいと思った看板です。

一日ではたどり着けず、日没を迎えたBalkhashという湖のそばでキャンプ。静寂と星空と朝焼けの美しさが印象的だった。

9/20 16時ごろAlmatyに着く。この街には大きなバイクショップと宿とBARが一つになった、旅するライダーには最高にありがたいFREERIDERという場所があることをロシアで会ったイギリス人のエディから聞いていたので、そこにチェックイン。

そしてすぐにSTAN tourオフィスへ行き、ウズベキスタンビザの代行申請と支払いをする。メールでやり取りしていたAlenaはめちゃめくゃ親切で、スタン各国についていろいろ教えてくれ、「夕食はここに行ったらどう!?」と、オフィス近くの日本料理店「Samurai-SUSHI」の情報もくれた笑 やっぱなんちゃって日本料理だったけど、そんなに悪くはなかった。

翌21日もFREERIDERに泊まり、タジキスタンビザをネットで入手、リアタイヤの交換(日本から履いてきたDUNLOPのD605はセンターだけ減りまくり約10000kmで昇天、この店にあったSHINKOのE700にチェンジ)、エンジンオイルを購入した。この店は日本製バイクばかり扱っており、その信頼性の高さからか、多分ロシアでJAPANを意味する「IPONE」という、日本では見たことが無いブランドのオイルを豊富に取り揃えている。

暑いエリアに入ってきたので、今使っているモンゴルで買ったVerityの10W-50クラスがほしいと思っていたところ10W-60を発見、しかもラスイチ!

ネーミングでジャケ買いした感じだけど、入れるのが楽しみだ!笑

明日はカザフスタンにサヨナラをして、キルギスに入る予定です!

9/10-11 モンゴルを横断して再びロシアへ

9/10、モンゴル西部の町Khovdから、最西部の町Ulgiiまでの道のりは、夏でも雪が残る山も見える標高の高いダートで、わかりやすい道が多かったが空気が薄いためバイクのパワーが落ち、結構タフだった。

かつてチンギスハーンが、世界に名だたるモンゴル帝国を築いてから約900年。

いまだに国をつなぐ道路が未完成なことを体感し、モンゴルという国の実情を学ぶ。彼らにとってはこれが道路かもしれないが、事実西へと進むにつれて車の数は激減していき、Bayankhongor以西で旅ライダーは一人も見なかった、たまたまだろうけど。

UlgiiではBlue Wolf Ger Campというところに泊まったが、隣接するレストランで夕食をとっていると突然生演奏が始まり、ラッキーだった。多分隣のテーブルのお金持ちそうな客が頼んだっぽい。

(携帯で撮ったので画質や音が悪くてすいません)

9/11朝起きると、隣のベッドでネコが寝ていた笑 ドアは閉めていたので、ゲルのどこかの隙間から暖を求めて入ってきたのだろう。犬はよく見るが、ネコは珍しいのでそのまま寝かせてあげた。

この街に住む、ウランバートルでお世話になった大島さんの友人のチンゾリックさん、通称チンゾーさん(面白い名前だけど、バイクや車で世界中を旅し、今はバイクやランクルのレンタル会社を経営、ゲストハウスも新規でオープンさせるやり手の実業家)と会い、冬用にほしかったキャメルとヤクのタイツを売っているお店に連れて行ってもらい、ゲットできた。また、「道端で腹が減った時はこれが最高だ、オーガニックで体にもいいぜ!」と馬肉のスモーク?のようなものと、「ロシアで金目当てでイチャモンをつけるポリスに停められたらこれを渡せ!奴らは金よりウォッカが好きだぜ!」とウォッカの小瓶三本を買ってくれた。あと、「カザフスタンにライダー仲間がいるから、困ったら俺に連絡をくれ!」と言ってくれた。感謝!!

ロシア国境前の町、ツァガンノールではバタルという男に呼び止められて「いま行ってもティータイムで閉まってるから、お前も俺ん家でチャイを飲んでいきな!」とひと休み。

国境越えの手続きはやはり面倒くさかったが、無事ロシアへ再入国、ボーダーを越えてすぐ同じTT-R、しかも同じACERBIS製のビッグタンクを装着したイギリス人ライダーのダニエルとすれ違い、冷たい雨が降っていたが二人で大喜びをした!(写真を撮ったのになぜだかデータが消えてる、残念)

最後の最後までいろんな出来事があったモンゴルよ、ありがとう!!

8/28 モンゴル大使館に現れた男

金曜日に言われた通り、9時にモンゴル大使館へ行くと10時からだと言われる。すでに2日と半日待っているので、1時間ぐらいで腹立たない私に仕上がっている。とりあえず宿に戻り、朝食をとったりタイヤの空気を入れたり朝やれなかったことを済まし、9時55分に再び訪れる。

先客の女性がいたのでモンゴルビザをとるのか聞くと、そうだと言い英語が話せた(ロシア人はほとんど英語が話せない)ので、この人に従いメインエントランスでは無い横の入り口から申請窓口に進む。一人だったらここすらわからずにいきなり右往左往しただろう。。書類を書き終えて提出しようとした時、ヨーロッパ人の男性が現れて彼女にビザはいくらか尋ねたが、知らないせいか返答に困っているように見えたので、「今日の午後ほしいなら70ドル、水曜日でいいなら30ドルですよ」と教えると、お礼の後にどこから来たのか聞かれた。「日本からバイクで来ました」と話すと彼は満面の笑みになり、「素晴らしい!俺もバイク乗りで、パリ·ダカールラリーに4回出たんだ。バイクで2回、車で2回だけど」と返された。。!

「世界一過酷なラリー」と称されるパリダカは、尊敬するバイク冒険家で、幸運にも7月までその下で働くことができた風間深志さんが過去二回出場しており、その三男の晋之介さんも今年出場したので、その意味で親近感がある。年齢的に風間深志さんに近いようにも見えたので、もしかしたらと1982年=風間深志さんが日本人として二輪部門初出場を果たした年は?と尋ねると、「俺もパリダカにいたし、日本人がいたのを覚えているよ!」と。。!まさかロシアのモンゴル大使館で、知り合いを知るスペイン人に出会うとは!

彼の名前はAlfonso Victorといい、アフリカはもちろん南極含めて世界中を旅した経験を持ち、今回もとりあえずロシアとモンゴルをブラつこうとウラジオストクからシベリア横断鉄道に乗ってやってきていた。彼は待っても構わないから水曜日の発給で、俺は早くモンゴルに行きたいから今日の発給で申請するもビザの出来上がりは今日の17時と言われ、またしても時間ができた。バイクをきっかけにすぐに意気投合したAlfonsoは、「私が知っているヨーロッパやアフリカの情報、そしてオススメの道や場所を君に何でも教えよう!あとバイク見せて」と言った。

この時点で、この日もウランウデに泊まることに決めた。ビザを受け取れる17時まで荷物とバイクの保管場所が無いこと、受け取った後モンゴルとの国境の町キャフタへ向かっても時間的にボーダーは閉まっており宿を探さねばならないこと、ウランウデで泊まってる宿が一泊800円程なので延泊しても痛くはないこと、そしてAlfonsoと少しでも長く話して多くの情報を入手した方が有意義だと考えたからだ。

結局、23時過ぎまで12時間以上ずっと話した。「スペインまで来たら一緒にバイクで走ろうぜ、ヨーロッパ中を案内してあげよう!」と言われ、旅先で何より頼りになる「現地に住む友人」(しかもバイクと旅の達人)をつくることができた!私がモンゴルで滞在する予定の、日本人の味戸さんが営む「OASIS」を紹介したところ彼もそこに泊まろうと言い、ウランバートルでの再会を約束して別れた。

モンゴルビザ待ちによるウランウデでのストップは、結果的にとても大きな出会いをもたらしてくれた。

8/27 Ulan-Udeで待機中

早くモンゴルに行きたいんだけれども、今晩も街中にゲルのカフェもあるウランウデに泊まる。

というのも、ここで発表だが自分は韓国籍である。従って、ビザの要·不要国家が日本国籍の場合とは異なり、モンゴルにはビザが必要なのだ。でも逆にというか、日本人は必要で取得が面倒と言われるロシアビザは無くてもオッケーだ。なのでこの先、「あれ、この国ビザ必要?」ってところで自分がビザを取るケースは、韓国籍なことに起因する。

ウランウデには金曜日の午後に着いた。朝出発する時金曜と気が付いて予想はしていたのだが、申請の受付は午前中で終了しており、月曜日の9時にまたおいでと言われてしまった。

思わぬ足止めをくらったが、入出国がいつになるかわからないこの旅では、入りたい国の手前の国でビザを取りながら進んでいくので、ビザの発給待ちが発生することは充分に承知している。しかし、一発目からとは。

バイクの汚れを落としたり、バッグを洗ったり、ブーツにオイルを塗ったりといったケアや、街をブラブラした。

着いた時は道中に比べ暖かく感じたのだけど、人々が薄手のダウンやコートを着ているぐらいに寒い。冬はどうなっちゃうんだろう。。

バカでかいレーニンの頭だけのオブジェがありました。聞いた話だけどモスクワよりも西にある約6000km以上も離れたサンクト·ペテルブルクで作り、ここまで運んできたそうな。

ロシアのバイク野郎達がジムカーナやってました!

エマージェンシーサイドスタンドなるつっかえ棒、ジャッキが無いこの旅で重宝してます。こんな風にタイヤを浮かせてチェーンの注油、パンクしたらチューブ交換など。わかりにくいけどリアタイヤが少し浮いている。

準備は万端、明日ビザが取れ次第モンゴル目指してリスタートします!入国は多分あさって。