I will go back to Japan on 11 July

右胸に、カラフル模様の南アフリカ国旗と、喜望峰を縫い付けた。

目指してきた終着点はもう過去のもの、通過点に。
これから何を成すか、が大切だ。

ここにいると、「日本からバイクで走って来たんだよ!」とつい言いたくなってしまう自分がいる。

『俺たちが、どこから来たか?は重要じゃない。どこへ行くか?が重要なんだ。』

確か、KISSのジーン・シモンズの言葉だったような。

しかし、この「どこ」が意味するのは、場所というより精神や信念だろう。

旅をしていればすごい!と思っているような人をたくさん見てきた。
訪問国数の多さをステータスにしている人を。

でも、足元にあるものを大切にできる、何気ない日常を楽しめる心を育むことこそ、幸せに生きるカギだと俺は思う。

7/11(水)
18時40分 成田空港着
カタール航空 QR806
で帰国します!

I got Angola visa,thanks to special help by embassy!

6 April 引き続き今回もビザネタです。前回取るのが大変と書いたAngola(アンゴラ)のビザだが、今いるGabon(ガボン)の首都Libreville(リーブルビル)にて入手できたのだ!!!ここで取るつもりはなかったのに想定外の大ラッキー、めちゃ嬉しかったので書き残したい。

アンゴラは石油やダイヤモンドなどの天然資源の宝庫で、それらの輸出が主力産業で観光業に力を入れておらず、むしろ資源を搾取されぬよう外国人には来てほしくないらしい。こういった取得が厄介な国のビザは、申請時に自国の大使館からアンゴラ大使館宛てへの「怪しい者ではござませんのでビザを出してあげてください」という内容のレター(Recommendation Letter / 推薦状)が求められる。まずCameroon(カメルーン)の韓国大使館(俺は韓国籍なので)にてレターの作成を依頼したが、「ここでは作ったことがない」と言われて断られた。

強敵のアンゴラビザだが、Congo(コンゴ)のポイントノアールという都市なら取得しやすいという旅人内情報があり、俺もここで取得する計画でいた。コンゴには韓国大使館が無いので、その手前のGabon(ガボン)がレターを手に入れるラストチャンスになる。がしかし、ガボンの韓国大使館へ行くとタイミング悪く、「今は大使がバケーション中でいないから何もできない、3週間後に来てください」と言われる、、、!まいった。ここでそんなに待つと先の国々のビザ期間を侵食し、全く余裕がなくなってしまう。「ビザの都合で待てません」とお願いするも、「どうしようもない」という返事しかもらえず、さらに「レター無しでも取れるはずだ」と言われる始末。一応アンゴラ大使館へ行ってみるが、「ここではビザは発行できない、コンゴ行けや」と一蹴されて終わった。

翌日も諦めず朝から韓国大使館へ行く。変わらずの反応だったが待ち合いスペースに居座り、必死なことをアピールし続けた。すると、、!昼過ぎになったが、こちらの気持ちを汲んでレターを作ってくれたのだ!しかもそれだけで終わらず、職員の一人のMichel(ミシェル)が「コンゴじゃなくてここでもらえるよう我々から交渉しよう、君の手助けをすることは我々の任務だ」と、一緒にアンゴラ大使館へ行き直談判までしてくれた、、!一発大逆転、ピンチが一転して大チャンスへと変わった!

強力な援護射撃をしてくれた、右のMichel(ミシェル)と左のLilian(リリアン)。リリアンは何と大使館のデータが入ってるUSBメモリまで俺に貸してくれた!笑

日本のルールでは難しいであろう、彼らのこうした手厚いサポートのおかげで、信じられない流れでアンゴラビザが手に入った。まず、そもそもガボンでは発行できないと言われていた。また、通常ならば申請の際とても面倒で膨大なペーパーワークを課される(ポルトガル語で記入しなければならない自己推薦書とか)はずが、書類一枚書くだけで終わった。そして発行までに2〜3週間待たされるのが普通のところ、わずか4日間で手に入れることができた。。とにかく本当にラッキーだった!!

アンゴラ大使館内にて期待とともに待つ

そして晴れてゲットー!

これによって抱えていた大きな不安が一つ消え、南アフリカへと通じる道が開けたような感覚を得た。もちろんまだまだ道のりは長いし、安全面への不安は尽きない。しかし、何となく先が明るくなった気分で心も軽くなった。

日本を出てからこれまでの間、ず〜っと前に進むことばかりを優先してきた心に、遠くではなく足元を見ることに時間を使おうという余裕が生まれた気がする。これを機に頭の使い方も少し変えて、これまでとは違う角度からアフリカと触れ合えればと今思っている。

Keep on Rollig.

Senegal⇒Mali,think about peace

14 February 偶然にも、『INTERCONTINENTAL RALLY』なるものの期間と開催国と俺の旅がモロかぶりしてた結果、もらったパッチをライディングジャケットに縫い付ける。

ベースがシンプルだからよく目立つ。選手じゃないけど、この4カ国(Spain、Morocco、Mauritania、Senegal)を走破してるから付けてもいいと。ちょい恥ずかしいけど超うれしい!

15 February SenegalからMaliへ。国境はとても静かでポリスもまったりとしていた。バイクの出国手続き = カルネへのサイン&スタンプを忘れられて、

俺「これやってください!」

ポ「あっそうだね〜、やらないと」

とノホホンな感じだった。

無事Maliに入国。税関の建物は国境からしばらく先にあり、わかりづらかった上、窓ガラスが割れて砂ぼこりが溜まり廃墟のようだった。。カルネを持って中に入るとデスクに座る職員と女性が何やら激しく言い合っている。「終わるまで時間かかるかもな〜」と不安に思っていると、デスクの横の地べたマットレス(しかもちゃんとしたベッド用の分厚くてイイやつ!)を敷いて寝ていた男がムクッと起き上がり、「ヘイッ、カモンッ!」と言ってサクッとカルネを書いてくれて、終わるとまた寝た。コイツできるヤツだな!

これで入国手続きは終わり、いざ出発!と思うが、体に力が入らない。内陸へと進むにつれて気温は上がり続け35℃ぐらい、バイクの装備を着込んでるから超暑くて汗かきまくり、軽い熱中症になっているようだ。水を飲みながら休むがいまいち変わらない。塩分を摂ろうと持っていた缶詰めのオイルサーディンを食らい、少し良くなったので出発した。

バイクに乗ると不思議と不調はどこかに消える。どうやら走りへの集中力の方が勝るようだ。

Maliを走ってまず目に入ってきたのが、豊かな緑と美しい山並みだった。

北部ではイスラム過激派が毎日戦闘をしていて、南部なら大丈夫と思いつつも警戒していた心が、この綺麗な景色と出会って和む。外務省はとにかくヤバいから会いに行くな!と止めるマリちゃんだけど、会ってみると美しいな!笑

この日は夜になってKitaという町に着き泊まった。

16 February 次の国Burkina Fasoのビザとりのため、大使館がある首都のBamakoを目指す。道中にて。

途中からスピードメーターの数字が暴れ出し、180kmとか0kmとかおかしな数字にピョンピョン変わるのを繰り返した後、0kmを表示したまま変わらなくなった。スピードメーターは使えなくても構わないが、連動する走行距離カウンター(オドメーターとトリップメーター)も動かなくなってしまうので、それはちと困る。日々と通算の何km走ったという記録が取れなくなるし、給油してから何km走ったかがわからないと次の給油タイミングが計りづらい。しかし今日は金曜日、大使館には午前中に着いてビザを申請をしないと、月曜日まで申請おあずけになって無駄に待つはめになるため修理せず、そのまま先を急ぐ。

間に合って受付に着くと、ふくよかな女性が気持ちよさげに寝ていて、呼びかけても起きない。デカい声でもう一回!起きた笑 フランス語の申請書だがこの人が親切にも書いてくれたのでラクチン、シングルエントリー90日間(こんなに長くいらないんだけどこれがミニマム)48000CFA(約9600円)、月曜日の13時にもらえることに。

宿を探して走る中、長さ4180kmで9カ国を流れる大河、ニジェール川を渡った。この橋の上でバイク専用車線が初登場し、最初はわからずルール無用な連中が好き勝手に歩道を走っていると思った笑 バイク専用車線はこの国以降その後もよく見かけた。

安宿が少ないBamakoでは貴重な安宿、『Sleeping Camel』を見つけて泊まる。ドミトリー5000CFA(約1000円)、自分のテントを貼って外で寝れば4000CFA(約800円)になった。Barもあって冷えたビールが飲める、毎日めちゃくちゃ暑いからやたらにウマい!

宿にて、United Nations = 国連の職員で、ここ以北はテロリストが暴れている最前線の町Moptiに翌日から行くドイツ人のSebastian(セボ)と仲良くなった。

旅話をしながら一緒に飲み、Mopti近くのDjenneという町にある『泥のモスク』を見に行きたいけど治安的に行けるか?と聞いてみると、国連のネットワークを駆使して調べてくれた。結果、テロリストの先行部隊はバイクを好んで使うので、奪われて彼らの手に渡るのを阻止するため、途中のポリスチェックから先は通行許可が降りず帰らされるとのことだった。また、バスや車でなら行くことはできるが、2週間前にBurkina Faso側から来たバスが不運にも地雷を踏んで30人ぐらい亡くなっているらしい。というわけで何やらリスクが高そうなので、『泥のモスク』は行かないことにする。

また、巨大なキャンピングトラックで世界中を夫婦で旅するオーストラリア人のAllenとも親しくなった。トラックのアートはアボリジニースタイルで、奥さんが描いたという。

先述のスピードメーターの動作不良の原因は、配線の一本がチェーンにヒットして切れていた。

俺の1995年製TT250Rは、この時代のオフ車初のフロントスプロケットからセンサーでスピードを拾うデジタルピックアップで、トルコでスプロケットを交換した時の配線の取り回しが正しくなく、ジワジワとチェーン寄りに動いてここで切れたようだ。切れた配線をつなぐツールは今手元に無い。Allenに持ってないか相談してみると、両端を鋭角にカットした短い針金を用意し、切れた部分に差し込んでつないでくれた!知らないテクニックを一つ学ぶ。

あと、この宿に住み着いていたチビウサギとも仲良くなった笑

20 February 前日にBurkina Fasoのビザを受け取って、この日Bamakoを出発してSikassoという町に一泊、翌21にBurkina Fasoへと入った。

Maliの治安について、滞在したKita〜Bamako〜Sikassoに限っての話にはなるが、他のアフリカの町と何ら変わらない平和な時間が流れていた。暴動や争い事は見かけず、危険な目にも遭わなかった。夜のBamakoを歩いた時はすごく暗くて警戒したが、何事もなかった。

やはり、どこの国でも人々は争い事を望まず、平和に暮らしたいのだ。普通と違う特殊な環境で育った者だけが、好戦的になって自分の利益のために他人を襲う。「治安が悪い」と称される国でも、そこに暮らす市民は我々と変わらぬ善悪の心を持ち、他人に危害を加えるのは悪い事という常識の中で生きている。「日本は安全で海外は危ない」そんなことはない、どの国だって良い人もいて悪い人もいる。エリアとタイミングによってリスクは変わるから、それを見極めて選択すればいい。一方的にレッテルを貼り、真実を見ようとしない方がよっぽど危険で、争いを生むのは常にそんな心の持ち主のはずだ。

Keep on Rolling.

I was in jail on 2nd March night..!

※2月に走った各国の旅日記よりも先に、3月2日ブルキナファソで起きたテロの日の出来事を書きます。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

02 March ミッションカトリックと呼ばれる教会の中にある宿に泊まっていたが、そこからわずか1kmしか離れていない陸軍本部が爆破されていた。どおりで建物が揺れたわけだった。

また、フランス大使館も襲われたらしい。バイクの格好(プロテクターベスト、厚手のズボン、ミリタリーブーツ)のまんま方が安全だぜ!と、銃声も落ち着いてから様子を確認しに外に出る。しかしこの格好が不運だった。

毎日40℃になる町をこんな格好で歩いているヤツは、他に一人もいない。しかも外国人だから目立つ。テロリストと疑われ、駆けつけた軍隊に取り囲まれて捕まってしまった。。

後ろ手に手錠をかけられて、車の後部座席に投げ込まれ、横たわる俺の顔と腰の上に一人ずつ、銃を持った軍人が座る。ミリタリーキャンプに到着すると同時に30人ぐらいに囲まれて写真を撮られる。嬉しくない。。

後ろ手に手錠をかけられたまま、幹部らしき8人の円陣の中心にひざまずかされた。銃を持った兵士が周りを取り囲んでいる。俺がどんなヤツかなんて当然誰一人として知らないし、全員が疑っている。無実をしっかりと伝えなければヤバい。焦ったり興奮したら、かえって相手を刺激してしまうだろう。今の状況を頭では理解しつつ、それが感情と結びつかないようそれ以上頭を使うのは止めた。つまり、まだ見ぬ恐怖を自身で生み出して、その幻想と戦わないようにして、ドキドキしたりキョドったりせず堂々と落ち着く。このフランス語圏でどこまで説明が通じるかが心配だったが、幸い英語が話せる人も二人いて、とりあえずテロリストじゃなくてツーリストなんだ!日本からバイクで走ってきたからこんな気合いの入った格好してるんだ!ってことは伝わったらしく、骨にゴリゴリと当たって痛かった手錠を解いてくれた。

次に個室に入り、一時間半ほど細かく尋問を受けた。入国目的や渡航履歴、家族のこと、テロの前後の行動履歴などなど。これが終わると何となく俺は「シロ」だとわかってくれたのか、建物の入り口にある待ち合い室のようなエリアで座っているように指示された。いわゆる軟禁状態で、依然パスポートや携帯やカメラなどの所持品は押収されたままだ。この時点で14時頃、遅くとも夕食までには帰れるだろうなどと考えていた。

その後、俺と同じように手錠をくらった容疑者の連行は続くが、取り調べ室に入った後はどこかへ消えていき、ここで待っているのは俺一人。疑問に思いつつも、きっと俺はすぐに開放されるヤツなんだ!とか勝手に思っていた。18時頃やってきた、上半身裸で裸足の男を最後に、連行者は止まった。しばらくすると男が何やらわめきだし、その後聞こえるビシッ!バシッ!と音と共に悲鳴を上げる!ムチ打ちだった。取り調べ官になぜ彼だけ?と尋ねると、「ヤツが今回のテロリストだ!」と答えた。

しかし、その後も依然として俺は釈放されない。22時になって取調官に、今日はここに泊まるんだと言われた。今朝出発するつもりで荷物を載せたままバイクを宿に停めてきたから心配だ、帰りたいと言ったものの当然許可されず、仕方なく泊まることに。そしてベッドルームといって案内されたのは、まさかの今日捕まった全員が入ってる10m×3mほどの牢屋だった!ヤツらはここに収容されていたのか、、先客の12人(全員アフリカ人)の中にはなんと、最後にムチ打ちを食らった「裸野郎」も手錠を付けたまま居る!その瞬間、俺もまだ容疑者リストから抜けていないことに気がついた。

マジかよ、、と思いながら部屋の隅に行き、冷たい床に横たわる。トイレはなく、ペットボトルが何本も置いてある。少したつと老人が近づいてきて、服のようなものを床にひいてくれようとした。しかし下手に受け取って後で見返りを求められたらイヤなので、断わった。すると次に「裸野郎」が何やら言い寄ってきたので、シカトし続けて追い払った。するとまた最初の老人がきて、俺の横に蚊取り線香を置いてくれた!あれっ?この人マジでいい人かも??てか何で蚊取り線香持ってんの!?と疑問に思ったが、次はゴザを持ってきてくれたので敷いてもらい、そのおかげで結構ぐっすり眠らせてもらった。鉄格子の隙間から見えた満月が綺麗だったなぁ〜、、

同じ囚人ならばあんな余裕とホスピタリティあるわけがない。この牢屋の寮母さん的な立場なのかも??おじいちゃんだけど。翌朝早く、牢屋の前のドアが開く音がして「よっしゃ!出られるか!?」と期待したが、新たに若い男が投げ込まれてきて計14人に増えた。この男もショーパンツのみを身に着け、背中にはムチ打ちを受けた傷があった。男はおそらく「話をさせろ!!」的なことを叫びながら牢屋のドアを何十発も殴り、軍人を呼ぼうと怒り狂っていた。

ムチ打ちされたのならば、軍はこの「裸野郎2号」も犯人と断定したのか?しかし理不尽な扱いに対して怒っているように見えるし、最初の「裸野郎1号」と知り合いな素振りは一切見られなかった。それは彼らの演技かもしれないが、これほどの規模の事件なら当然複数犯だろう。また人は見た目ではわからないが、「1号」はテロリストとは思い難い、気弱そうな痩せた青年だ。やがて、俺を除いた13人の中に果たして本当に「真犯人」はいるのか?もしかしたら全員俺と同じく冤罪かも??とか考えてしまった。それほど、皆どこにでもいる人のように見えたのは事実だ。。

8時頃に俺だけ牢屋から昨日の待ち合い室に移動させてもらった時、今度こそ帰れる!!と確信した。そして拘束されてから丸24時間がたった正午12時、晴れて自由の身となれた。すごく身近に起きた今回のテロ事件の真犯人が裁かれること、また自分と同じ冤罪者が必ずや釈放されること、そして改めて犠牲者の方々へのご冥福を心から祈りたい。

旅立ちへの想い(出発前10日前の8月2日に書いたもの)

以下の文章は、

金本幸洋オリジナルデザインTシャツ

を、自分の手で発送できた方々(8月初めまでのご購入者)へTシャツと一緒にお届けした、納品書に綴ったメッセージです。

アフリカへと渡り後半戦を走り出した今、自分はなぜここへ来ているのかを振り返り、またより多くの方へお伝えしたくて、このタイミングでブログ内に掲載しました。熱い想いがタップリ詰まってます!

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この度はご支援いただき、心より御礼申し上げます!

ごく普通にいるただのバイク好きな自分ですが、だからこそ、そんな奴がどこまでできるのか?
できないんじゃなくて、やってないだけなんじゃないのか?
を知りたくて、確かめたくて、行ってきます。

自分は生来の冒険野郎ではありません。学生時代は、サラリーマン以外の生き方はきっとできないなと考えていたし、大学卒業後は一般企業に就職しました。なので、社会という仕組みの中で頑張る面白さや、今の日本経済を支えることの大切さも、知っているつもりです。

それを理解していながらも、違う方向に進みたい自分の気持ちがどうしても捨てきれず、社会的地位や見られ方を一切気にしない心がようやく出来上がった今、裸一貫になった気持ちで真の自己実現を果たしに行ってきます。
マストなアイテムや装備、予防接種などはひと通り準備しましたが、ソフトもハードも、これといってスペシャルな手は加えずに、なるべく今の状態のままで出ていくイメージです。その方が、いろいろと付け加えるよりも今回の目的を果たしやすいと考えたので。

相棒は、ポンコツ状態を15万円で買った20年以上前のTT250Rというマシンで、ヤバそうな部分はひと通り直していますが、さてどうなることやら!?って感じです。
大排気量の新しいバイクも持っていますが、時には道なき道も走る今回の旅において、自身の技量では操りきれない瞬間も多いと想定し、軽い割にパワーがあるTTで行きます。また、自分で直した箇所が多いこいつの方がトラブル時も安心だし、愛着があって旅の相棒っていう気がします。

実は、バイクはどちらかといえば不便な乗り物だと思っています。
よく聞く話になりますが、寒いし、濡れるし、汚れるし、疲れるし、荷物積めないし、危ないし、、、
バイク歴が長くなるにつれて、どんどん強く感じます笑
でも、この不便さこそがバイクにしかない素晴らしさであり、最大の魅力だと考えています。これほど、等身大の自分を表現してくれるものは、無いと。
乗りこなすのは自分の腕だし、雨も、風も、温度も、香りも、風景も、時には危険も。
出会う全てを、文字通り生身で、全身で受け止めることができます。
困難が多いからこそ、その中でたまに出会えるひと時の喜び、例えば絶景の中を心地よいスピードで駆け抜ける瞬間などが、日常では味わえない強烈な輝きを放ち、胸に深く刻み込まれます。同じ目的地でも、バイクで無事にたどり着く喜びと充実感は、他の乗り物では味わえません。
この乗り物のタイヤは、例えるならば刀の刃のような少ない面積で、地面をつかまえて逃さぬようにして走らねばなりません。その不安定さゆえ、地面を滑るような自由な感覚をもたらしてくれるのです。
それは、世の中にローリスク・ハイリターンは無い。ハイリスクを選択しないと、ハイリターンは得られない、ということを自分に教えてくれました。

「便利で」「効率的」になり過ぎた世の中で、人間は本当に良い方向に進んでいるのだろうか?
ネットで調べられる結果ばかりに踊らされ、このままでは先が見えない物に立ち向かう勇気や思考回路が、どんどん失われてしまうのではないか?
心身の健康こそが誰にとっても一番の幸せなはずで、それを得るために大切なのは・・・澄んだ空気と水を吸収し、有害な化学物質ではなく栄養価の豊富な食べ物を摂り、よく体を動かし、なるべくストレスフリーな生活を送り、なるべく外の明るさに合わせて寝起きする・・・等々、単純明快な方法のはずだが、人間自身で遠ざかっていくように見える。医療技術の発展よりも、ライフスタイルの改善の方が優先で重要かつ効果的だ。

・・・バイクのように不便さを楽しむ心はいろいろな考えを生み、このまま書き続けるとずっと続いちゃうので、この辺で終わりにします笑
旅先では、見たこと考えたことを下記ブログで発信していきますので、よかったら是非見てください!

https://freerider.jp

最後に、とあるバイク雑誌の付録だった本で見かけた、大好きな言葉を書きます。
「答えなんて、無い。むしろ乗らない理由を教えほしい。」
こんな風に心を空っぽにして、その中に沢山のものを詰めて帰ってこれるように。
そして旅行というよりは修行という気分で、思いっ切り楽しみ、また苦しみもがいて、自分を磨いてきます。

改めまして、こんな自分をサポートしていただき本当にありがとうございました!
行ってきます!!

2017年8月2日
金本 幸洋

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