I was in jail on 2nd March night..!

※2月に走った各国の旅日記よりも先に、3月2日ブルキナファソで起きたテロの日の出来事を書きます。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

02 March ミッションカトリックと呼ばれる教会の中にある宿に泊まっていたが、そこからわずか1kmしか離れていない陸軍本部が爆破されていた。どおりで建物が揺れたわけだった。

また、フランス大使館も襲われたらしい。バイクの格好(プロテクターベスト、厚手のズボン、ミリタリーブーツ)のまんま方が安全だぜ!と、銃声も落ち着いてから様子を確認しに外に出る。しかしこの格好が不運だった。

毎日40℃になる町をこんな格好で歩いているヤツは、他に一人もいない。しかも外国人だから目立つ。テロリストと疑われ、駆けつけた軍隊に取り囲まれて捕まってしまった。。

後ろ手に手錠をかけられて、車の後部座席に投げ込まれ、横たわる俺の顔と腰の上に一人ずつ、銃を持った軍人が座る。ミリタリーキャンプに到着すると同時に30人ぐらいに囲まれて写真を撮られる。嬉しくない。。

後ろ手に手錠をかけられたまま、幹部らしき8人の円陣の中心にひざまずかされた。銃を持った兵士が周りを取り囲んでいる。俺がどんなヤツかなんて当然誰一人として知らないし、全員が疑っている。無実をしっかりと伝えなければヤバい。焦ったり興奮したら、かえって相手を刺激してしまうだろう。今の状況を頭では理解しつつ、それが感情と結びつかないようそれ以上頭を使うのは止めた。つまり、まだ見ぬ恐怖を自身で生み出して、その幻想と戦わないようにして、ドキドキしたりキョドったりせず堂々と落ち着く。このフランス語圏でどこまで説明が通じるかが心配だったが、幸い英語が話せる人も二人いて、とりあえずテロリストじゃなくてツーリストなんだ!日本からバイクで走ってきたからこんな気合いの入った格好してるんだ!ってことは伝わったらしく、骨にゴリゴリと当たって痛かった手錠を解いてくれた。

次に個室に入り、一時間半ほど細かく尋問を受けた。入国目的や渡航履歴、家族のこと、テロの前後の行動履歴などなど。これが終わると何となく俺は「シロ」だとわかってくれたのか、建物の入り口にある待ち合い室のようなエリアで座っているように指示された。いわゆる軟禁状態で、依然パスポートや携帯やカメラなどの所持品は押収されたままだ。この時点で14時頃、遅くとも夕食までには帰れるだろうなどと考えていた。

その後、俺と同じように手錠をくらった容疑者の連行は続くが、取り調べ室に入った後はどこかへ消えていき、ここで待っているのは俺一人。疑問に思いつつも、きっと俺はすぐに開放されるヤツなんだ!とか勝手に思っていた。18時頃やってきた、上半身裸で裸足の男を最後に、連行者は止まった。しばらくすると男が何やらわめきだし、その後聞こえるビシッ!バシッ!と音と共に悲鳴を上げる!ムチ打ちだった。取り調べ官になぜ彼だけ?と尋ねると、「ヤツが今回のテロリストだ!」と答えた。

しかし、その後も依然として俺は釈放されない。22時になって取調官に、今日はここに泊まるんだと言われた。今朝出発するつもりで荷物を載せたままバイクを宿に停めてきたから心配だ、帰りたいと言ったものの当然許可されず、仕方なく泊まることに。そしてベッドルームといって案内されたのは、まさかの今日捕まった全員が入ってる10m×3mほどの牢屋だった!ヤツらはここに収容されていたのか、、先客の12人(全員アフリカ人)の中にはなんと、最後にムチ打ちを食らった「裸野郎」も手錠を付けたまま居る!その瞬間、俺もまだ容疑者リストから抜けていないことに気がついた。

マジかよ、、と思いながら部屋の隅に行き、冷たい床に横たわる。トイレはなく、ペットボトルが何本も置いてある。少したつと老人が近づいてきて、服のようなものを床にひいてくれようとした。しかし下手に受け取って後で見返りを求められたらイヤなので、断わった。すると次に「裸野郎」が何やら言い寄ってきたので、シカトし続けて追い払った。するとまた最初の老人がきて、俺の横に蚊取り線香を置いてくれた!あれっ?この人マジでいい人かも??てか何で蚊取り線香持ってんの!?と疑問に思ったが、次はゴザを持ってきてくれたので敷いてもらい、そのおかげで結構ぐっすり眠らせてもらった。鉄格子の隙間から見えた満月が綺麗だったなぁ〜、、

同じ囚人ならばあんな余裕とホスピタリティあるわけがない。この牢屋の寮母さん的な立場なのかも??おじいちゃんだけど。翌朝早く、牢屋の前のドアが開く音がして「よっしゃ!出られるか!?」と期待したが、新たに若い男が投げ込まれてきて計14人に増えた。この男もショーパンツのみを身に着け、背中にはムチ打ちを受けた傷があった。男はおそらく「話をさせろ!!」的なことを叫びながら牢屋のドアを何十発も殴り、軍人を呼ぼうと怒り狂っていた。

ムチ打ちされたのならば、軍はこの「裸野郎2号」も犯人と断定したのか?しかし理不尽な扱いに対して怒っているように見えるし、最初の「裸野郎1号」と知り合いな素振りは一切見られなかった。それは彼らの演技かもしれないが、これほどの規模の事件なら当然複数犯だろう。また人は見た目ではわからないが、「1号」はテロリストとは思い難い、気弱そうな痩せた青年だ。やがて、俺を除いた13人の中に果たして本当に「真犯人」はいるのか?もしかしたら全員俺と同じく冤罪かも??とか考えてしまった。それほど、皆どこにでもいる人のように見えたのは事実だ。。

8時頃に俺だけ牢屋から昨日の待ち合い室に移動させてもらった時、今度こそ帰れる!!と確信した。そして拘束されてから丸24時間がたった正午12時、晴れて自由の身となれた。すごく身近に起きた今回のテロ事件の真犯人が裁かれること、また自分と同じ冤罪者が必ずや釈放されること、そして改めて犠牲者の方々へのご冥福を心から祈りたい。

旅立ちへの想い(出発前10日前の8月2日に書いたもの)

以下の文章は、

金本幸洋オリジナルデザインTシャツ

を、自分の手で発送できた方々(8月初めまでのご購入者)へTシャツと一緒にお届けした、納品書に綴ったメッセージです。

アフリカへと渡り後半戦を走り出した今、自分はなぜここへ来ているのかを振り返り、またより多くの方へお伝えしたくて、このタイミングでブログ内に掲載しました。熱い想いがタップリ詰まってます!

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この度はご支援いただき、心より御礼申し上げます!

ごく普通にいるただのバイク好きな自分ですが、だからこそ、そんな奴がどこまでできるのか?
できないんじゃなくて、やってないだけなんじゃないのか?
を知りたくて、確かめたくて、行ってきます。

自分は生来の冒険野郎ではありません。学生時代は、サラリーマン以外の生き方はきっとできないなと考えていたし、大学卒業後は一般企業に就職しました。なので、社会という仕組みの中で頑張る面白さや、今の日本経済を支えることの大切さも、知っているつもりです。

それを理解していながらも、違う方向に進みたい自分の気持ちがどうしても捨てきれず、社会的地位や見られ方を一切気にしない心がようやく出来上がった今、裸一貫になった気持ちで真の自己実現を果たしに行ってきます。
マストなアイテムや装備、予防接種などはひと通り準備しましたが、ソフトもハードも、これといってスペシャルな手は加えずに、なるべく今の状態のままで出ていくイメージです。その方が、いろいろと付け加えるよりも今回の目的を果たしやすいと考えたので。

相棒は、ポンコツ状態を15万円で買った20年以上前のTT250Rというマシンで、ヤバそうな部分はひと通り直していますが、さてどうなることやら!?って感じです。
大排気量の新しいバイクも持っていますが、時には道なき道も走る今回の旅において、自身の技量では操りきれない瞬間も多いと想定し、軽い割にパワーがあるTTで行きます。また、自分で直した箇所が多いこいつの方がトラブル時も安心だし、愛着があって旅の相棒っていう気がします。

実は、バイクはどちらかといえば不便な乗り物だと思っています。
よく聞く話になりますが、寒いし、濡れるし、汚れるし、疲れるし、荷物積めないし、危ないし、、、
バイク歴が長くなるにつれて、どんどん強く感じます笑
でも、この不便さこそがバイクにしかない素晴らしさであり、最大の魅力だと考えています。これほど、等身大の自分を表現してくれるものは、無いと。
乗りこなすのは自分の腕だし、雨も、風も、温度も、香りも、風景も、時には危険も。
出会う全てを、文字通り生身で、全身で受け止めることができます。
困難が多いからこそ、その中でたまに出会えるひと時の喜び、例えば絶景の中を心地よいスピードで駆け抜ける瞬間などが、日常では味わえない強烈な輝きを放ち、胸に深く刻み込まれます。同じ目的地でも、バイクで無事にたどり着く喜びと充実感は、他の乗り物では味わえません。
この乗り物のタイヤは、例えるならば刀の刃のような少ない面積で、地面をつかまえて逃さぬようにして走らねばなりません。その不安定さゆえ、地面を滑るような自由な感覚をもたらしてくれるのです。
それは、世の中にローリスク・ハイリターンは無い。ハイリスクを選択しないと、ハイリターンは得られない、ということを自分に教えてくれました。

「便利で」「効率的」になり過ぎた世の中で、人間は本当に良い方向に進んでいるのだろうか?
ネットで調べられる結果ばかりに踊らされ、このままでは先が見えない物に立ち向かう勇気や思考回路が、どんどん失われてしまうのではないか?
心身の健康こそが誰にとっても一番の幸せなはずで、それを得るために大切なのは・・・澄んだ空気と水を吸収し、有害な化学物質ではなく栄養価の豊富な食べ物を摂り、よく体を動かし、なるべくストレスフリーな生活を送り、なるべく外の明るさに合わせて寝起きする・・・等々、単純明快な方法のはずだが、人間自身で遠ざかっていくように見える。医療技術の発展よりも、ライフスタイルの改善の方が優先で重要かつ効果的だ。

・・・バイクのように不便さを楽しむ心はいろいろな考えを生み、このまま書き続けるとずっと続いちゃうので、この辺で終わりにします笑
旅先では、見たこと考えたことを下記ブログで発信していきますので、よかったら是非見てください!

https://freerider.jp

最後に、とあるバイク雑誌の付録だった本で見かけた、大好きな言葉を書きます。
「答えなんて、無い。むしろ乗らない理由を教えほしい。」
こんな風に心を空っぽにして、その中に沢山のものを詰めて帰ってこれるように。
そして旅行というよりは修行という気分で、思いっ切り楽しみ、また苦しみもがいて、自分を磨いてきます。

改めまして、こんな自分をサポートしていただき本当にありがとうございました!
行ってきます!!

2017年8月2日
金本 幸洋

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ボスニアで見た影と光

1 December  Bosnia and Herzegovina(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のMostar(モスタル)という町へ。中学〜高校時代に見たニュースが記憶に残る、この国の今が知りたかった。

独立を巡って数々の紛争が起きた旧ユーゴスラビア共和国の中でも、第二次世界大戦以降のヨーロッパで最悪とまで言われるらしい、1993〜95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。旅の相棒バイクは1995年製だから、この国に平和が訪れた年に生まれた同い年だ。下の三枚の写真はWar photo s museum のもの。

美しい山と川があり、こじんまりして落ち着くモスタルは居心地良く、ボスニア人は道端の人も店員さんも、皆とても愛想良く優しく親切だった。また、泊まったHostel Golden Bridgeのオーナーや客にも恵まれた。

キリスト教区とイスラム教区を結ぶ橋(スタリ·モスト)。紛争時には破壊されたが今は再生した、まさに平和の架け橋だ。

Hostelのオーナー、ステファンは見ての通り楽しくてフレンドリーヤツだった!

そんな町だが、いまだに銃弾の穴があいた建物や廃墟もたくさん見かけた。

かつてスナイパーたちが狙撃基地として使っていたというビルに、壁をよじ登って侵入し、街を眺めてみた。

その爪跡が、決して遠くはない近い過去の出来事だったのだと思わせる。壮絶な悲劇の記憶が漂う町に生き、争うことの不徳を心底知っているボスニアの人々。その優しさがどこから来ているのか、少しわかったような気がした。

NAVIGATION MAPについて

ここまでの14ヵ国約22,000km、どうやって道を調べて進んできたか。

ズバリ言うわよ、、!

普通にスマホのMAPアプリでーす!!

ただし、自分なりの旅のこだわり・楽しみ方として、ナビ機能は使わないようにしている。つまり、ハンドルなど常に見える位置に地図アプリを開いたスマホをセットして、ルートガイドを見ながらその指示通りに進むことはしないようにしている。せっかく思いっきり自由気ままに走っていい旅に出たのだから、ナビをフォローすることすら縛りや制約に感じるからだ。また、走っている時間こそが俺の旅の時間なんだから、その景色をたとえ一秒でも長く見たいのだ。機械の画面ではなくて。

したがって、スマホの地図情報を頭にインプットし、そのイメージと目の前に登場する現実を比較して、太陽の位置などの自然情報も使いながら進んでいく。わからなくなったら安全な場所に停まって地図を確認する。やはり時には道を間違えてしまうが、自分はそれが旅っちゅうもんよー!と思っている。この、「停まって確認する」と「道を間違えたらやり直す」はナビを使えばやらなくて済むが、考え方は人それぞれ。順風満帆にミス無く目的地へ一直線よりも、さぁ行けるかな!?という気持ちで道中を楽しみたいのだ。タイムトライアルではなく、ましてや約束の時間や場所すら持たないから可能で、贅沢な時間の使い方かもしれない。

アプリはお約束の Google Map ではなく、ほぼ MAPS.ME ばかりを使っている。理由として、

①MAPS.ME の地図の方が自分には見やすい

*Google Map ↓

*MAPS.ME ↓

②オフラインデータのダウンロードが簡単

オフライン(ネットに接続できない環境)で詳細な地図を見るには、あらかじめ対象エリアのMAPデータをスマホ内にダウンロードする必要があるが、エリアをいちいち手動で切り取る Google Map に対して、MAPS.ME はあらかじめエリア分けされているので手間いらず&切り取り漏れが起きない。

(ちなみに念のため、GPSはネット通信ではなくGPS独自の通信のため、ネットにつながっていなくても使え、通信料もかかりません)

*Google Map ↓

*MAPS.ME ↓

ただし、MAPS.MEの情報はたまに間違っている時があり(特にお店関係で潰れてたり変わってたりする)、地図の信頼性からいえばGoogle Mapの方が上だから使い分けも必要。

最初はよりアドベンチャー気分を味わうべく、GARMINの etrex をメインで使おうかと思っていたが、地図の見やすさと操作性でスマホの方が勝り、GARMINはスマホが壊れた時用の補欠君となっている。

*GARMIN etrex ↓

(MAPS.ME、Google Mapと同じ場所を表示している)

その他、いちおうアナログの地図としてMICHELINロードマップのヨーロッパ版とアフリカ版を持つ。

500mlビール瓶との比較、デカいんですよ〜。実用性はデジタルにはかなわないが眺める楽しさはこっちの方が上、なんとなく温かみも感じる。書き込みや汚れも含めて世界でただ一つ俺だけの地図となり、地図本来の役割を越えた存在価値を持つ大切なアイテムだ。

お前たちよ、これからもよろしくー!

17-22 November in Greece

トルコ⇆ギリシャのボーダーでは、双方とも面倒な質問や荷物チェックなど一切なく、速攻でパスポートにスタンプをくれた。ここがアジアとヨーロッパ間の一つの関所だと勝手に思っていたので、意外だった。ただし、ヨーロッパ内を走るには『Green Card』なる自賠責保険(人身事故の時に被害者を守るための保険)に入らなければならず、ギリシャ入国時にそれを買う。ここでは1ヶ月間有効で100ユーロのものしか選択肢は無く、途中で切れてしまうので後々どこか保険会社を探してで再加入せねば。

ギリシャのターゲットはアテネのみに絞り、ハイライトのパルテノン神殿@アクロポリスの丘と、オリンピックの聖地へ行った。

パルテノン神殿があるアクロポリスでは、神の存在について意識させられた。

それまでスッキリと晴れていたはずの空が、登っていくにつれて風が強くなり、丘の上では様々な色の雲に囲まれて虹も見たせいもある。

怒る人もいるだろうが、信仰心は人それぞれなので。俺は神の存在を信じていない。神が人をつくったんじゃなくて、人が神をつくったと思っている。でも、完全なる唯物論者や科学主義者でもない。神でも他のものでも、何かを強く信じる人の心がつくり出す、物の理を超えた大きなパワーはあると信じている。真実や答えに執着せずこれぐらいのゆるさで、”どっちもアリ”みたいなあんばいが自分にはちょうどシックリくるのだ。

続いて、パルテノン神殿からオリンピックスタジアムの間にあるゼウス神殿。もともとパルテノン神殿よりも大きかったが、柱や乗っかってた部分がゴート族によって壊されて今はこんな感じ。

これは敷地のすぐ横にある門

そして〜!なんと紀元前6世紀に陸上トラックが造られた(総大理石の観客席は紀元後144年に追加で建造)、競技場の聖地Panathenaic studium。スポーツ大好きな俺には正直こっちの方が行けて感動したー!!

観客席の下からミュージムの中へ。

各大会のポスターとトーチ(昔はない)が見れる。近代オリンピック第一回1896年大会のポスター

こちらは1900年の第二回大会

年代と国によるデザインの違いがおもしろい。

そしてこの日この聖地にて、一人のアスリートによる偉大なる世界記録が生まれるはずだったが、誰もタイムを計ってかった、むしろ観てもなかったので生まれなかった〜、、!

ギリシャを出たあとは、美しいエーゲ海沿いを走った。いつかまた来れたら、今度はのんびり島巡りでもしたいな〜。