Thank you and good night.

TTRのナンバーを返納した。

バイクと国際ナンバーは残るし乗ってないから変わらないんだけど、俺をいろいろな国に連れていってくれたこいつから道を走る権利を奪うのはちょっと喪失感があった。

春の新しい風に吹かれていこう。

Let’s walk with brand new stream.

 

keep on Rolling

ひさびさに ~for a long time  

ゆっくり過ごす時間ができたから、久々にここに書く。しみったれた文章になっているけど、心は全くもってポジティブで健全で元気だ。

道祖神に入り働いて、仕事として本当にいろんな国に行かせてもらった。

◼️2018.12 – Egypt ◼️2019.02 – New Zealand ◼️04 – Cambodia ◼️06 – England & Malaysia ◼️08 – England ◼️09 – Spain ◼️ 10 – Kazakhstan ◼️11 – New Zealand ◼️12 – Dubai & South Africa ◼️2020.02 – South Africa

正直、望んでいた以上にいろいろな経験ができた。

添乗に出ていない間の仕事はほぼ100%デスクワークで、細かい業務にも慣れていると思っていた自分のさらに上をいき、それを考慮すると楽しさと苦労が半々だが、力不足が成長へのモチベーションを生み、そのように心燃える仕事に就けたのはとても幸せだ。

しかし、やはり人生それほど甘くない。

コロナウイルス、それ以上に人類が過剰反応して生み出したコロナ・クルナウイルスによって、旅行業はいま未曾有の危機にある。

夢中で働く日々から一転、会社の危機が訪れている今、この騒動が落ち着くまで勤務日数が減ることになった。

当然だ、仕事が無いのだから。

いま一度、自分は何がしたいのか、何ができるのか。どう在りたいのか、どう成りたいのか、どこに行きたいのか、そのためにはどう動いて、どう生きるべきなのか。

その段階から考えられる今が、とても大切だと感じている。

「踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道である」

本当にその通りだ。考えている暇はない、動くんだ。

もっと強い心と体を育もう!

Keep on Rolling.

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I will go back to Japan on 11 July

右胸に、カラフル模様の南アフリカ国旗と、喜望峰を縫い付けた。

目指してきた終着点はもう過去のもの、通過点に。
これから何を成すか、が大切だ。

ここにいると、「日本からバイクで走って来たんだよ!」とつい言いたくなってしまう自分がいる。

『俺たちが、どこから来たか?は重要じゃない。どこへ行くか?が重要なんだ。』

確か、KISSのジーン・シモンズの言葉だったような。

しかし、この「どこ」が意味するのは、場所というより精神や信念だろう。

旅をしていればすごい!と思っているような人をたくさん見てきた。
訪問国数の多さをステータスにしている人を。

でも、足元にあるものを大切にできる、何気ない日常を楽しめる心を育むことこそ、幸せに生きるカギだと俺は思う。

7/11(水)
18時40分 成田空港着
カタール航空 QR806
で帰国します!

I got Angola visa,thanks to special help by embassy!

6 April 引き続き今回もビザネタです。前回取るのが大変と書いたAngola(アンゴラ)のビザだが、今いるGabon(ガボン)の首都Libreville(リーブルビル)にて入手できたのだ!!!ここで取るつもりはなかったのに想定外の大ラッキー、めちゃ嬉しかったので書き残したい。

アンゴラは石油やダイヤモンドなどの天然資源の宝庫で、それらの輸出が主力産業で観光業に力を入れておらず、むしろ資源を搾取されぬよう外国人には来てほしくないらしい。こういった取得が厄介な国のビザは、申請時に自国の大使館からアンゴラ大使館宛てへの「怪しい者ではござませんのでビザを出してあげてください」という内容のレター(Recommendation Letter / 推薦状)が求められる。まずCameroon(カメルーン)の韓国大使館(俺は韓国籍なので)にてレターの作成を依頼したが、「ここでは作ったことがない」と言われて断られた。

強敵のアンゴラビザだが、Congo(コンゴ)のポイントノアールという都市なら取得しやすいという旅人内情報があり、俺もここで取得する計画でいた。コンゴには韓国大使館が無いので、その手前のGabon(ガボン)がレターを手に入れるラストチャンスになる。がしかし、ガボンの韓国大使館へ行くとタイミング悪く、「今は大使がバケーション中でいないから何もできない、3週間後に来てください」と言われる、、、!まいった。ここでそんなに待つと先の国々のビザ期間を侵食し、全く余裕がなくなってしまう。「ビザの都合で待てません」とお願いするも、「どうしようもない」という返事しかもらえず、さらに「レター無しでも取れるはずだ」と言われる始末。一応アンゴラ大使館へ行ってみるが、「ここではビザは発行できない、コンゴ行けや」と一蹴されて終わった。

翌日も諦めず朝から韓国大使館へ行く。変わらずの反応だったが待ち合いスペースに居座り、必死なことをアピールし続けた。すると、、!昼過ぎになったが、こちらの気持ちを汲んでレターを作ってくれたのだ!しかもそれだけで終わらず、職員の一人のMichel(ミシェル)が「コンゴじゃなくてここでもらえるよう我々から交渉しよう、君の手助けをすることは我々の任務だ」と、一緒にアンゴラ大使館へ行き直談判までしてくれた、、!一発大逆転、ピンチが一転して大チャンスへと変わった!

強力な援護射撃をしてくれた、右のMichel(ミシェル)と左のLilian(リリアン)。リリアンは何と大使館のデータが入ってるUSBメモリまで俺に貸してくれた!笑

日本のルールでは難しいであろう、彼らのこうした手厚いサポートのおかげで、信じられない流れでアンゴラビザが手に入った。まず、そもそもガボンでは発行できないと言われていた。また、通常ならば申請の際とても面倒で膨大なペーパーワークを課される(ポルトガル語で記入しなければならない自己推薦書とか)はずが、書類一枚書くだけで終わった。そして発行までに2〜3週間待たされるのが普通のところ、わずか4日間で手に入れることができた。。とにかく本当にラッキーだった!!

アンゴラ大使館内にて期待とともに待つ

そして晴れてゲットー!

これによって抱えていた大きな不安が一つ消え、南アフリカへと通じる道が開けたような感覚を得た。もちろんまだまだ道のりは長いし、安全面への不安は尽きない。しかし、何となく先が明るくなった気分で心も軽くなった。

日本を出てからこれまでの間、ず〜っと前に進むことばかりを優先してきた心に、遠くではなく足元を見ることに時間を使おうという余裕が生まれた気がする。これを機に頭の使い方も少し変えて、これまでとは違う角度からアフリカと触れ合えればと今思っている。

Keep on Rollig.

Senegal⇒Mali,think about peace

14 February 偶然にも、『INTERCONTINENTAL RALLY』なるものの期間と開催国と俺の旅がモロかぶりしてた結果、もらったパッチをライディングジャケットに縫い付ける。

ベースがシンプルだからよく目立つ。選手じゃないけど、この4カ国(Spain、Morocco、Mauritania、Senegal)を走破してるから付けてもいいと。ちょい恥ずかしいけど超うれしい!

15 February SenegalからMaliへ。国境はとても静かでポリスもまったりとしていた。バイクの出国手続き = カルネへのサイン&スタンプを忘れられて、

俺「これやってください!」

ポ「あっそうだね〜、やらないと」

とノホホンな感じだった。

無事Maliに入国。税関の建物は国境からしばらく先にあり、わかりづらかった上、窓ガラスが割れて砂ぼこりが溜まり廃墟のようだった。。カルネを持って中に入るとデスクに座る職員と女性が何やら激しく言い合っている。「終わるまで時間かかるかもな〜」と不安に思っていると、デスクの横の地べたマットレス(しかもちゃんとしたベッド用の分厚くてイイやつ!)を敷いて寝ていた男がムクッと起き上がり、「ヘイッ、カモンッ!」と言ってサクッとカルネを書いてくれて、終わるとまた寝た。コイツできるヤツだな!

これで入国手続きは終わり、いざ出発!と思うが、体に力が入らない。内陸へと進むにつれて気温は上がり続け35℃ぐらい、バイクの装備を着込んでるから超暑くて汗かきまくり、軽い熱中症になっているようだ。水を飲みながら休むがいまいち変わらない。塩分を摂ろうと持っていた缶詰めのオイルサーディンを食らい、少し良くなったので出発した。

バイクに乗ると不思議と不調はどこかに消える。どうやら走りへの集中力の方が勝るようだ。

Maliを走ってまず目に入ってきたのが、豊かな緑と美しい山並みだった。

北部ではイスラム過激派が毎日戦闘をしていて、南部なら大丈夫と思いつつも警戒していた心が、この綺麗な景色と出会って和む。外務省はとにかくヤバいから会いに行くな!と止めるマリちゃんだけど、会ってみると美しいな!笑

この日は夜になってKitaという町に着き泊まった。

16 February 次の国Burkina Fasoのビザとりのため、大使館がある首都のBamakoを目指す。道中にて。

途中からスピードメーターの数字が暴れ出し、180kmとか0kmとかおかしな数字にピョンピョン変わるのを繰り返した後、0kmを表示したまま変わらなくなった。スピードメーターは使えなくても構わないが、連動する走行距離カウンター(オドメーターとトリップメーター)も動かなくなってしまうので、それはちと困る。日々と通算の何km走ったという記録が取れなくなるし、給油してから何km走ったかがわからないと次の給油タイミングが計りづらい。しかし今日は金曜日、大使館には午前中に着いてビザを申請をしないと、月曜日まで申請おあずけになって無駄に待つはめになるため修理せず、そのまま先を急ぐ。

間に合って受付に着くと、ふくよかな女性が気持ちよさげに寝ていて、呼びかけても起きない。デカい声でもう一回!起きた笑 フランス語の申請書だがこの人が親切にも書いてくれたのでラクチン、シングルエントリー90日間(こんなに長くいらないんだけどこれがミニマム)48000CFA(約9600円)、月曜日の13時にもらえることに。

宿を探して走る中、長さ4180kmで9カ国を流れる大河、ニジェール川を渡った。この橋の上でバイク専用車線が初登場し、最初はわからずルール無用な連中が好き勝手に歩道を走っていると思った笑 バイク専用車線はこの国以降その後もよく見かけた。

安宿が少ないBamakoでは貴重な安宿、『Sleeping Camel』を見つけて泊まる。ドミトリー5000CFA(約1000円)、自分のテントを貼って外で寝れば4000CFA(約800円)になった。Barもあって冷えたビールが飲める、毎日めちゃくちゃ暑いからやたらにウマい!

宿にて、United Nations = 国連の職員で、ここ以北はテロリストが暴れている最前線の町Moptiに翌日から行くドイツ人のSebastian(セボ)と仲良くなった。

旅話をしながら一緒に飲み、Mopti近くのDjenneという町にある『泥のモスク』を見に行きたいけど治安的に行けるか?と聞いてみると、国連のネットワークを駆使して調べてくれた。結果、テロリストの先行部隊はバイクを好んで使うので、奪われて彼らの手に渡るのを阻止するため、途中のポリスチェックから先は通行許可が降りず帰らされるとのことだった。また、バスや車でなら行くことはできるが、2週間前にBurkina Faso側から来たバスが不運にも地雷を踏んで30人ぐらい亡くなっているらしい。というわけで何やらリスクが高そうなので、『泥のモスク』は行かないことにする。

また、巨大なキャンピングトラックで世界中を夫婦で旅するオーストラリア人のAllenとも親しくなった。トラックのアートはアボリジニースタイルで、奥さんが描いたという。

先述のスピードメーターの動作不良の原因は、配線の一本がチェーンにヒットして切れていた。

俺の1995年製TT250Rは、この時代のオフ車初のフロントスプロケットからセンサーでスピードを拾うデジタルピックアップで、トルコでスプロケットを交換した時の配線の取り回しが正しくなく、ジワジワとチェーン寄りに動いてここで切れたようだ。切れた配線をつなぐツールは今手元に無い。Allenに持ってないか相談してみると、両端を鋭角にカットした短い針金を用意し、切れた部分に差し込んでつないでくれた!知らないテクニックを一つ学ぶ。

あと、この宿に住み着いていたチビウサギとも仲良くなった笑

20 February 前日にBurkina Fasoのビザを受け取って、この日Bamakoを出発してSikassoという町に一泊、翌21にBurkina Fasoへと入った。

Maliの治安について、滞在したKita〜Bamako〜Sikassoに限っての話にはなるが、他のアフリカの町と何ら変わらない平和な時間が流れていた。暴動や争い事は見かけず、危険な目にも遭わなかった。夜のBamakoを歩いた時はすごく暗くて警戒したが、何事もなかった。

やはり、どこの国でも人々は争い事を望まず、平和に暮らしたいのだ。普通と違う特殊な環境で育った者だけが、好戦的になって自分の利益のために他人を襲う。「治安が悪い」と称される国でも、そこに暮らす市民は我々と変わらぬ善悪の心を持ち、他人に危害を加えるのは悪い事という常識の中で生きている。「日本は安全で海外は危ない」そんなことはない、どの国だって良い人もいて悪い人もいる。エリアとタイミングによってリスクは変わるから、それを見極めて選択すればいい。一方的にレッテルを貼り、真実を見ようとしない方がよっぽど危険で、争いを生むのは常にそんな心の持ち主のはずだ。

Keep on Rolling.