8/25 Ulan-Ude(ウランウデ)に着いています

モンゴルの首都「ウランバートル」と同じ、ウラン(この辺りの言葉で「赤い」を意味するらしい。ウランバートルは「赤い英雄」、ウランウデは「赤いウデ川」という意味らしい)が付いているように、いよいよモンゴルが近づいてきたって感じだ。景色もこれまでの森林中心から乾いた砂や草原中心になっているし、街の人々もロシア人よりもモンゴル系やアジア系が多いような感じで、これまでとは明らかに雰囲気が異なる。

この5日間ずっと雨で風も強く、寒さに震えながら走ってきた(防寒着はさらに寒くなった時のため温存している)。日本の11月〜12月ぐらいの感覚だから、日本が夏休みという季節感はすっかり消え去ってしまった。

追体験できそうな動画をアップします。(6分ちょっとあって長いです)

しかし時折晴れゾーンも顔をのぞかせます。この旅で初めて、てかすごく久しぶりに虹を見ることができました。No rain, no rainbow ってやつですね!

そしてウランウデが近くなると気候も変わり雨が降った形跡はなく、暖かく乾いた大地に。時差も日本-1時間から-2時間に変わり、違うゾーンに来たことを強く体感しました。

8/23 Comfort Hotel

今日も苦楽に満ちた、充実した一日だった。

まず、スタートしてすぐに一人のサイクリストが反対車線で停まっていたので、どうかしましたかと近づくと、ユーラシア大陸横断の世界記録に挑戦中の、ギネス記録など保有しているドイツ人、Jonas Deichmannというすごい御方だった。。!

彼のチャレンジの模様がわかるサイト

https://www.benify.se/fps/eurasiachallenge/public.do

「毎日200km走ってるよ」とサラリと言う、、この人の足はエンジン並みのパワーだ。。!

彼の走行写真とムービーを撮影したり、彼が向かう方から来たので情報提供したりと、少しだけどサポートできて光栄だった。ぜひとも世界記録を塗り替えてほしい!

その先のチタまでの道のりは、今日も雨と寒さとの勝負だった。たどり着いた市内の気温が12℃だったから、道中あった標高の高い吹きっさらしの場所は10℃以下、その中で雨に打たれながらバイクに乗っている俺の体感温度は、、、寒かった。チタ市内はいたるところで冠水していた。

外にも居れないし、とにかく宿に入ろうと探すが、安い施設には駐車場が無いところばかり。一軒、それをクリアしている、中心エリアから少し離れた場所にComfort Hotelというのを見つけた。ウソくさい名前だなぁと思いながらも、人が少ないところの方が安全だなと考え、予約して尋ねると、大当たり!

まず何より、オーナーのサーシャが最高にフレンドリーだ。

バイクは巨大ガレージに突っ込むことができて、この街でやりたかったオイル交換をガレージ内でさせてくれた。オイルは持っていたが、廃油の処理をどこかに頼まないとと思っていたので、サーシャがペットボトルを切って廃油受けを作り、処理までしてくれると言ってくれて、この宿にして本当に良かった!と思った。

また、車を出してバイク用品屋と大型スーパーにも連れて行ってくれた。ロシアでは車関連の店はよく見るが、バイクはオイルを探すことすら難しいので、とても助かった。おかげで3日前に失ったチェーンルブをゲットできた。

MOTULのペーストタイプが一本だけあった。暗いし字隠れてるから何だか分からないっすね。スプレータイプが一般的だけどはガスが入ってる分容器が大きくなるので、ひょっとしたら旅に携行するにはこっちの方がいいかも、雨にも強く流れ落ちにくそうだし、でもその分ダストもくっつやすそうだけど、とか考えつつも、缶を破裂させて右サイドバックがベトベトになってしまったから、コイツを試すことにした。

また、スーパーではロシアのお惣菜を夕食に調達した。

最後に、ボイラー室で面白い動画も撮れたので、それも載せます。

水が漏れ出すトラブルが発生しました 笑

キレイピカピカで室内のセンスも良い、サーシャと奥さんのターニャが経営するホテルはマジでComfortでした!

8/23 Let’s start today

宿のレストランから上がってくる何ともうまそうな匂いに誘われ、時間優先でとらないことが多かった朝食を今朝はしっかりとチャージ。

生の野菜がうれしい!値段は300円弱也。

チェルヌイシェフスクという町は、珍しくバイクユーザーが多かった。

今日も元気に走ります!

8/21の出来事 Heavy Weather

激しい雨が降ったり止んだりしていた。

この雨の後だったら昨日の道はまず通れなかっただろうな。これから街を出る道は荒れてないだろうか?など頭を巡らせながら、バイクの元へ。無事だった!

バイクをかくまってもらった工場のボスに礼を言い、約束の200ルーブルを渡すと彼は受け取らなかった。それどころでない。右側のスイングアーム下の地面だけはっきりと濡れているので、気になって触るとグリスのようだ。。まさか、どこか破損して漏れ出してるのか??と、泥だらけの車体から場所を見つけるべく覗き込むと、ライトで照らしながら俺よりも必死なぐらい真剣に探してくれようとしている。しかし、どこだか分からない。。そしたら、「君のバイクはどこかおかしいから、今すぐにこのトラックに積んで修理に出そう」と言うのだ!!(ジェスチャーからの推測)仕事始めの月曜日の朝だ、普通ならばとりあえず早く出て行ってもらって、後は自分で解決してくださいってはずなのに、なんて優しい人なんだ!申し訳ないけど仕方ないかなと思った時、右サイドバックから液体が滴った瞬間、理解できた。原因は右サイドバックに入れたチェーンルブの缶が中で破裂して漏れていたのだった!常に固い表情の彼も、この時は笑顔を見せてくれた。最高に強くて格好良くて優しい男との別れに、この旅で初めて涙が出た。

(蚊に刺された右まぶたが腫れております)

昨晩教えてもらった道を目指すも悪い予感は的中し、通るはずだった道が今朝の大雨で水没して進めない。

迂回路を探し、昨日よりはまだマシな泥と池の道を経由しつつも、ようやくこの街から抜け出すことができたのだった。

慣れ親しんだアスファルトロード帰ってきた時、すごくホッとした。この二日間の出来事は、「ロシアの延々と続く単調な道には飽きた」と思っていた自分への、ロシアの大地からの洗礼かもしれない。そう思ったら、走りやすいこの道への感謝の気持ちが生まれ、そして楽しくなった。

この日はすごく天候が悪く、その先も大雨、濃霧、雷、突風と戦った。が、これもロシアの大地からの洗礼の続きだと思い、「俺が悪い!」と思えばぜんぜん辛くなかった。

(もう一つ動画がありますがアップロードできなかったので、追々やります)

マグダガチという街は 苦しみと喜び両方で忘れ得ぬ思い出をくれた。ありがとう!

この夜はガソリンスタンドの横にバイクを突っ込みのにちょうどいい小屋を見つけ、日に日に一緒になって汚れていくも、思い出と愛着が増えていく相棒を眺めながら眠りました。

8/20の出来事

この日は最後の最後に、大きなドラマが待ち受けていた。

(今回長くてすいませんが、良かったら最後までお付き合いください!)

何の問題もなく、今日もただひたすらに西へと走り続ける。こんなにアスファルトをかっ飛ばし続けるなら、ロシアはブロックタイヤだと減りがもったいないから、ロードタイヤ履いてくれば良かった、と冗談半分に考えながら。ちょうど今日の走りを終わりたいぐらいの所に、地図で777という名前のモーテルを発見。

縁起の良い名前だし、ロシアンモーテルデビューしてみるか!と意気込むも、フロントの女性から「Net(ニィェット)」=No、空いてないと連呼される。隣りにカフェも併設していたので、前日成功した『食べるから店の横にテント張らせて』攻撃を仕掛けるも、Netで反撃されてやむなく退散する。

この時期のロシアは20時半ぐらいまで明るいが、19時を過ぎていたので走るのはやめて、しかもこの日夕方からおそらく15℃近くまで気温が下がりかなり体が冷えたので、最寄りで泊まれそうなところを探すと、10kmほど戻ったマグダガチという街には宿が2軒ある。

空港もあり鉄道も走っているので、大きな街だなと思い向かった。

そして、幹線道路のR297看板を右折して側道に入ると、、村へと続く道は、ど真ん中に大穴が空いた泥の池の連続だったのだ。

完全に面食らうも、幹線道路から村へと入る道が未舗装路な景色はよく見ていたので、さほど気にせず進み始めた。というのも、最初は上の写真のような道幅いっぱいの池ではなく、避ければ進めるレベルだったし、ハードルを乗り越える楽しみを抱いた。しかし、5箇所ぐらい通過してから完全に池の中を進まざるを得ないものが出現した。

オフロード未熟者の自分は、こんな道を進んだ経験が無い。どのぐらい深いか予測がつかない。荷物は満載で二人乗りに近い重量、池の真ん中で水没やスタックしてもしもバイクが横っ倒しになったら、荷物はおろかバイクも水吸って終わりかも。街まではまだ遠いので、誰も通らないこの道で夜を明かすことになるのか。。など一気に不安になり、この道を進んできたことを後悔した。しかし先を見ると、目の前の池を通過できれば普通の道になっているように見えたので、少しでも浅そうなラインを予測して突っ込み、なんとか突破することができた!

しかし、実際には手前からはわからなかっただけで、また泥の池で塞がれていた。後戻りすることも少し考えたが、いまギリギリで渡れたところをもう一度行けるか不安だったし、何よりも「大きな街につながる道がこんなにもグチャグチャなわけがない、きっとこれが最後だ」と思い込んでいた。

結局、それから10回ぐらい水の中に突っ込むしか道が無いところがあり、大小含めて全部で30個ぐらいの池を通過した。途中2回スタックしたが、バイクを降りて全力で押しながらアクセルを回し、よろけつつもコケずに何とか突破することができた。。!冷え切っていたはずの体は汗ダクで、何よりもやっぱブロックタイヤ履いといて良かった!!と心から思った。しかし、今思えばまるで侵入を拒むような道に感じる。。

その先に進む。が、一向に空港も街も見えてこない。ここまで来たら行くしかないんだ!ととにかく突き進むと、遠くにボロボロの家々が見えてきた。まさか潰れた街なのか??と、最後は泥の中に50cmぐらいの深い轍がそこかしこについた道を100mぐらい走り、ようやく街の中へ。家々はまるで廃墟のようにボロボロで、街の中の道路も未舗装ガタガタ、照明もまばらで薄暗いが、人々がいた。

これはヤバい街に来てしまった、、と思いつつも、他に行くあてが無いのでとりあえず地図で見つけた宿の一つに向かう。たどり着くと外観が悪いので、さてどうしたもんかと躊躇していたところ、「Do you need a help?」と英語が聞こえた。振り向くと若い男女がいて、女性の方が英語が話せた。男性がバイク乗りだったから話しかけてきてくれたのだ。見せてくれた写真は、同じヤマハのセローだった。

彼女に仕方なくこの街に泊まることになったことを説明し、治安を尋ねたところ、やはり危険な街でありこのままでは荷物もバイクも奪われてしまうだろう、と言われた。そしてそれを逃れるためには、今すぐもう一つの宿(いま目の前にある宿はヤバイと言った)に行って部屋に入った方がいい、と。彼らに礼を言い、その宿へ向かう。

たどり着き、受付の女性に今晩泊まりたいとグーグル翻訳を駆使して伝えるも、5秒ぐらい無反応の後に好意的では無い表情でロシア語の返事が。突然泥だらけで現れた外国人に関わりたくないのか。。

頼みの綱が無くなりそうで困ったと思ったところ、同じアジア系の顔をした英語がわかる男性客が現れ、仲介をしてくれた!彼の仲介のおかげで良い方向に転じ、そしてとりあえず泊まれることになるが、バイクがヤバいとのこと。バイクがヤバい、つまりヤバイクならばここには泊まれない、、しかし今から別の宿を探すのは厳しいと思い、ガレージなどに入れてほしいと頼んだところ、受付の女性が隣りにある工場の長に電話をして、その工場の長が来て中へと隠してくれたのだ!ただし200ルーブル=約400円払うことになったが、断れるわけがなかった。ちなみに、ホテル代は1000ルーブル=約2000円、これでも緊急対応分を乗せた値段なのだろう。

21日の朝、無事バイクと共にスタートできたら、街の様子を写真に撮ってアップしたい。今日はその余裕が無かった。

違う道を通る脱出ルートは、自分を助けてくれたアジア系の彼に聞いている。