Into the wild D.R.Congo.

07 May テントをたたみ、村人から水を分けてもらって、コンゴ共和国からコンゴ民主共和国(DRC)へ行けるはずの道へとアタックする。車は入れない、バイクしか行けない幅だった。

この道で本当にいいのか?お願いだから、途切れていないでくれ!と、まだかまだかと祈るような気持ちで走る。数キロが、ものすごく長く感じる時間だった。

やがて、集落が現れた。

俺「ここはDRC??」

村人「そうだよ」

やった!!ここまで手探りな国境越えは初めてだったので、すごく嬉しかった。

デジカメに興味津々だ。

しばらく談笑していると、一人の男がや「イミグレーション」という言葉を口にした。バレーボールのユニフォーム・短パン・ビーチサンダル、ただの村人だと思っていたヤツはここのポリスだった。僻地すぎて入国イミグレは無いかも、と思っていたからラッキーだ。この小屋の一室に入る。

スタンプは机上にあるも押してくれず、やはりお金を要求してくる。が、もはや1対1なら負ける気はしない、適当にいなして押してもらった。本当にDRCに行けるのかわからない道を進み、不安と苦労の末に手に入れたから達成感もひとしお!下の黒いやつがそれ、フランス語だとRepublique Democratique du CongoだからR.D.Cとなっている。

ついでに交渉して、ポリスに通貨の両替もしてもらった。全部で一時間ぐらいかかったが、その間小屋の周りをぐるりと村人が取り囲み、窓やドアの隙間からずっとのぞき見していたからおもしろい。

いざ、DRCを進む。

さらなる悪路が待ち受ける。タイヤ一本乗せるのがやっとの極細な山道では、エンジンを切って両足で歩くようにして、ルートを外れないよう必死で下った。

平地に出た後は、泥道だった。

水溜りでのスリップ転倒。マフラーから側に倒れ水が入り、エンジンがかからない。人手が無くて、バイクを垂直に立てて水を抜くこともできない。苦労の末に何とか復活、マフラーが吹き出した水で地面を汚してしまった。

フルパワーでアタックして、二時間で20km進むのがやっと。どこまで続くのかわからない徐々に悪化していく道に、不安と消耗はつのる。

Sumbi(スンビ)という村に着き、ポリスの検問でいろいろ確認された後、ジュースを買ってひと休みしていると、この村で英語の先生をしているというGautuier(ゴーチェ)という男が話しかけてきた。彼はこの先のTshela(チェラ)という町に仕事で行くことがあるらしく、道の様子を聞くともっと酷いらしい。そうなると、俺一人の力だけでは突破できない箇所がありそうだ。そこで、ガソリン代と御礼を払うから、Tshelaまでのサポート同行をもちかけたところ、かなり迷った末にOKしてくれた!

結果、この判断は大正解だった。旅の中でワースト1の泥道で、どの部分を走れば進めるか見極めるのが本当に難しく、この道に慣れている彼がいたから突破できたし、二人がかりで押さないと進めない場所も何度かあった。

ビデオカメラのバッテリーが切れていて動画は撮れなかったのがちょっと残念。

また、道中のポリス検問では何度か賄賂要求があり、中にはあからさまにライフルをチラつかせてくる野郎もいたが、地元民の彼がうまく話をつけてくれて払わずに済んだ。

腹が立って、Gautuierに聞いた。

「なんでこんな道なんだ?こんな車が通れない道じゃあ途中の村々は生活物資の確保だって難しい。政府は何をやっているんだ?」

すると、こう言った。

「政府の役人は国のお金をライフラインやインフラの整備に使わないで、自分達の給料にしているのさ。俺達のことなんてどうでもいいんだ。」

Tshelaには17時頃になって到着し、ここでGautuierに御礼をして別れる。ここから今日の目的地Boma(ボーマ)という町まではまだ100km以上あったが、これまでの道よりは良くなったので、走り続けた。

20時を過ぎて、ようやくBomaの入り口まで来た。少し手前地点から激しい雷雨となり、町にも関わらず多くの道が水没していて路面が見えない。暗闇と雨で余計に見えず、予期せず深い水たまりに突っ込んで泥でスタックしそうになった。この雨の中でこれ以上進むのは危険だ、そう思って閉店したお店の軒下に避難し、缶詰を食べたり地図をチェックしたりしながら、小一時間ほど休憩と雨宿り。

すると、荷台に6人のが座ったパトカーが前で停まった。嫌な予感がする。懐中電灯で照らされ「ここで何をしてるんだ?」と聞くので、「ツーリストで雨宿りをしている」と答えると、スマホを取り上げられて「警察署に来い!!」と強制連行しようとしてきた。

過去の投稿にも書いてきたし先述のGautuierの意見のように、アフリカでは国家権力による汚職が当たり前に行われている。彼らに金品を取られないよう、正直言って対一般市民以上に警戒してきたのだが、賄賂で有名なここDRCで拘束されるのはヤバい。しかし、次にパスポートも取り上げられてしまった。もはやどうしようもない、行くしかないとバイクに近づくと、「ダメだ、ここに置いてパトカーに乗れ」と言う。

これが盗まれたり没収されたら旅は終わる。「絶対に嫌だ!」と抵抗すると、今度はバイクのキーを取ってその場から持ち去ろうとしてきた。最悪な展開だ。苦労して入国して、悪路でドロドロになりながら進み、ようやく町に着いたと思ったらズブ濡れ、最終的に知らないヤツにバイクを乗られて荷物ごと手元から消えようとしている。。。

しかし、バイク担当者の頭が悪かったのか?不器用だったのか?ロック含めて全部で5本のキーが束になってるのだが、どれが本物なのかがわからず、一つずつ試すが入らない。

本物でも合鍵のため純正キーのようにスルッと入らず、刺すためにちょっとコツが必要だったのだ。当然教えず、なぜかそいつも聞いてこなかったから助かった。キーを奪い取った相手に対し、「開けてください」と聞くのが恥ずかしかったのかもしれない笑。5分ぐらいガチャガチャやった末に諦めて、俺がバイクを動かすことを許された。パトカーに付いて警察署へ行く。バイクと切り離されるのは何よりも怖かったから、とりあえずよかった。

その後署で尋問されて、捕まった理由がわかった。俺が休んでいたエリアは強盗などの犯罪多発地帯で、夜に軒下に潜んでいた俺を窃盗犯と疑って捕まえたのだった。夜にあそこに一時間いて、バイクも荷物も盗まれなかったのはたまたま運がよかっただけだぞ!?とまで言われてしまった。彼らは賄賂ポリスじゃなくて、ちゃんとした正義ポリスだったのだ。疑ってスンマセンでした!!

そして、結果的に捕まって良かった。ここで俺を尋問したPompidou(ポンピードゥ)という位の高いポリスと仲良くなって、面倒を見てくれたのだ。

一見とてもポリスには見えないが、市民に溶け込むためのカムフラージュで、実際はこの町の警察の司令官の一人。

安宿を教えてくれたり、国境では手続きできなかったカルネ(バイクの輸出入書類)を作成してくれたり、俺が必要なもの(壊れた靴に変わる新しい靴やSIMカード)を一緒に買いに行ったり、Barに行ったりと、Bomaで過ごした5日間毎日会ってサポートしてくれた。しまいには「俺からプレゼントだ」と、彼の部下が汚れていたバイクを洗ってくれた。

一人旅で現地人の味方ができるのは何よりも心強いが、(ちゃんとした正義の)警察の偉い人なら最強だ。この災いが転じたのおかげで、DRCの町中で何も心配なく過ごすことができたのだった。

Keep on Rolling.

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