3.11

6年ぶりに被災地に行ってきました。

最近死んでしまった知人のお坊さんの写真と共に。

震災以来、犠牲者の供養に人生を捧げていた方で、生きていたら今年もこの日絶対に被災地に行っていただろう。だから代わり連れて行ってあげたかった。もちろん自分も久々に行きたかった。

3月10日に宮城県石巻市に入り、就労支援のNPOを運営している知人と会って、11日に行きたい場所を巡った。

▶︎石巻市立大川小学校

震災遺構となり周辺が整備され、建物やグランドには近づけなくなっていた。しばらくすると新北上大橋の麓に集結していた僧侶と遺族たちがお経をあげ始めたので、故人のお坊さんにも参加してもらった。

( ↓ 6年前に訪れた大川小はこんな感じでした)

▶︎さんさん商店街 → 南三陸旧防災対策庁舎

綺麗で立派になって、仮設商店街感はなくなっていたのが嬉しかった。防災対策庁舎のある公園と橋でつながり徒歩で行き来できるようになっていた。

橋を渡る。

かつては更地にポツンとあった防災対策庁舎は、かさ上げされた公園の中のモニュメントに。

( ↓ 6年前はこんな感じでした。建物の後ろにかさ上げ工事の土台が作られ始めていた)

再び今の防災対策庁舎。再塗装されて少し小綺麗になったように感じたが、間近で見れるねじ曲がった鉄骨が凄まじさを鮮明に物語る。

↑ すぐ近くの海側にある高野会館も残されていた。

▶︎五十鈴神社(いすずじんじゃ)

・・・南三陸町戸倉に暮らす知人一家と再会し、経営しているレストランでランチを食べて話を聞いた。

震災時刻の14時46分をどこで迎えようかと思っていたところ、一家に誘われて五十鈴神社へ。当時小学生だった子供たち3人が学校からここへ避難し、一夜を明かして命拾いした場所だった。

境遇を共にした人達が集まり、久々の再会を喜んでいた。

みなさんと一緒に一分間のサイレンを聞きながら、海に向かい黙祷をすることができた。

その後一人で何とも穏やかで平和なこの日の海に行き、改めて故人のお坊さんを偲ぶ。

その後福島県南相馬市へ移動し知人宅に泊まり、翌日6号線を下道で南下しながら原発被害の最深部である浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町 の現状を車窓で見ながら帰った。  脇道には入っていないが、ゴーストタウン状態は依然変わっていない。

帰りがてら寄った南相馬だったが、知人には思いっきり生き方に喝を入れられ、気合い入れてもらった。正直最近、この先どう進もうかけっこう悩んでいたのだが、そのヒントがもらえた。

やはり旅の醍醐味は、道草や想定外の出来事やハプニングにこそある。

願わくばそんなことが起きてほしいな、とは思っていたが、きっと導いてくれたのだろう。

ありがとう。

生きている以上、浮き沈み続けるのだ。

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