こんな感じのが道中たびたびある。
例えば、これはBurkina Fasoにて。
こんな感じのが道中たびたびある。
例えば、これはBurkina Fasoにて。
この国での一番の出来事は、何と言っても3月2日のテロ事件の現場至近にいた&軍に捕まり投獄されたことだ。その詳細は事件翌日に投稿したが(記事へのリンク)、あの時はまだ未解決だったから載せる気になれなかった写真を、いま公開します、、!
軍隊の基地で30人ぐらいに囲まれて写真を撮られ、誰かにウェブアップされていた。しかし、後にこの写真の存在が俺を助けてくれることになる。左に立つ超コワイ顔をしたスーツ男によって後ろ手に手錠をはめられ、かつ手錠に付いたチェーンを握られている。自由な旅人が一転して不自由な囚人へ、、我ながらすごく困った顔してる。拘束から24時間後に無事釈放されたが、実はこの再び国境警察に怪しまれ、拘束された。。
軍に捕まっている間、釈放されたら「こいつはテロリストじゃないよ」って旨の書類を作ってもらおうと考えていたが、いざ開放されたら早く帰りたい一心で依頼するのを忘れてしまった。3月4日の朝にワガドゥグを出発した後に思い出し、少し後悔するが途中複数あった検問では捕まることなく、進み続ける。16時頃ベナン国境20kmぐらい手前のNadiagouという町へ着いた。思い出深いブルキナともいよいよお別れか〜と思い、嬉しいようなさみしいような気分になっていた。
最初は通り過ぎてしまおうとしたポリスチェックで、停止を求められる。(アフリカはやたらと検問が多く、停まるとパスポートチェックやくだらない質問をされ時間を失い、お金ほしさに書類にケチを付けて罰金を取ろうとしてくることもあるので、以前からスルーできそうな所は停まらず通り過ぎてきた)何やらここがイミグレーションオフィスだというので、パスポートやバイクの登録証を所長らしき人物に渡すが、なかなか返してくれない。そして、「出国スタンプはここには無くてPama(20kmぐらい手前で通過した町)にあるから、戻らなくてはならない」と言われる。しかもバイクは置いてポリスの車に乗れと。「出国スタンプが国境からそんなに離れたところにあるなんて変だ、信じられない。ここがフロンティアのポリスチェックならここで押してくれるはずだ。」と抵抗し続けていると、次第に彼らの態度が強くなり、5人に囲まれて最後は「Stand up!!!」と命令される始末。こうなったら従うしかないが、バイクと荷物を置き去りにするのは嫌なのでせめてバイクで行かせてくれないか?と伝えるも、聞き入れてもらえない。まぁ、場所的に盗まれることはないはず。
前に三人乗れる車の真ん中に座わらされる。逃げられないように。この時点で、「あぁ疑われてる、これから取り調べが待っているな」と確信する。俺が既に一度捕まっている情報を彼らは持っていないし、伝達システムがちゃんとしている国とは思えない。その確認がとれるのはいつになるだろうか、今日中に終わるだろうか?連れて行かれている間、そんなことを考えていた。
銃を持つ二人の兵士が監視する部屋に入る。ここのボスらしき人物が現れる、明らかに敵意の視線を向けている。英語が話せる若者と他二人のポリスも含め、6対1での取り調べが始まった。軍隊の時よりこっちの方が精神的にキツかった、あたかも俺がテロリストと決めつけたように質問されるから。中でも、俺の顔写真が不鮮明なブルキナファソのビザを見て「これは偽造ビザだ」と言われた時はまいった。。いやいや俺のせいじゃなくて、おたくの大使館のプリンターがショボいんだよ!目詰まりしてるんだよ!ヘッドクリーニングしなさい!末端クラスのポリスが相手だと、質問と理解のレベルが低くて説得するのに苦労した。旅の目的は?と聞かれて「ただ世界をバイクで走りたいだけで、完全にプライベートなチャレンジだ」と答えるも、こういう自己実現のための旅をしたことがない彼らには理解できない。「金を使って苦労して、何の利益にもならなくて、それが目的だなんておかしい。他にあるんだろ?」そう疑われた。
負ける訳にはいかない。何もかもを疑ってくる姿勢にいい加減ムカつき、途中から怒鳴るような大声で回答していた。これでいい、正しいのはこちらなんだから強く出るのもこちらだ。と気張り続けるも、拘束から二時間ほどが経過し疲れてきていた。その時、スマホを手に新たなポリスが入ってきた。その画面を見てビビったが、次の瞬間にはチャンス!に変わった。画面には軍隊に捕まっている俺が映っていたのだ。げ!こんな写真が出回ってるのかよ!?まるで犯人じゃん!と最初は焦ったが、これぞ俺が無罪放免だったまぎれもない証拠だ!「ほら言った通りだろ!俺が本当にテロリストだったら今ここに来れてない!」この写真のおかげで、その後尋問の圧力は弱まっていった。
その後30分ほどで尋問は終わるが、軍と連絡がついて俺の無罪が完全に認められるまでは軟禁され、3時間後にようやく「お前は犯人じゃない」と言い渡された。時刻は21時半、バイクもここには無いし動けないので結局ここで寝ることに。ポリスと一緒にテレビでサッカーを見て、今回は牢屋じゃなくて青空ベッドを借りて寝た。
猿も登場!
ちなみに軍隊に捕まってる時もそうだったが、軟禁下の俺は飲食物を買うことができ、「ライスが食べたいし、コーラと水が飲みたいな〜」と言ってお金を渡すと軍人や警察がおつかいに行ってくれ、この点では彼らを使いっぱしることができて何だか偉くなったような気分だった笑 しかもちゃんと細かいお釣りまで返してくれるから、こんなとこはマジメなんだな〜と思ったりもした。
そして翌朝。国境近くのポリスチェックへと送ってもらい、無事バイクと再会し、昨日は「ここには無い」と言われた出国スタンプを押してもらった。さすがにこれ以上捕まりたくないので、「怪しい者ではありません」証明を出してくれ!と今度こそお願いするも、「心配するな、国境を越えてBenin(ベナン)に入ったら誰もあんたを捕まえないよ」と言われ、結局もらえずにこの国を出た。
Beninにて昼を食べようと店に入ったら、ポリスが食べている!こんなにドキッとするなんて、まるで悪い事した野郎みたいだな、、してないのに、、。ちょっと嫌だったが、ここで店を出たら逆に怪しまれるので座った。様子を伺うが、どうやら俺を何とも思っていないようだ!よっしゃこれで晴れて自由の身だー!!!と、ここで飲んだビールの味は格別だった、、!
Keep on Rolling.
はじめて買ったバイクは、このYAMAHAの『YB-1』。『SR50』と言ってもいいかも。笑
50ccの原付になるけど、マニュアル式のトランスミッション機構だからクラッチとシフト操作が楽しめて、2ストロークエンジンなので加速もそれなりに良かった気がする。いろいろな所に行き、数えきれない思い出を作ってくれた。もうとっくの昔に手放したけど、今でも日本でたま〜〜〜に見かけると当時のワクワク感がよみがえり、ノスタルジックかつハッピーな気分にさせてくれる。何とも愛おしい、自分にとっては特別な存在だ。
そんな風に俺が大好きなYB-1が、まさかBurkina FasoやMaliでたくさん走っているとはー!!
日本とは違う鮮やかなブルーとレッドの2カラー、100ccのエンジンだから正確には同じバイクではないし名前も『YB100』と違かったけど、その他は細かく見てもほぼ一緒!現役バリバリの車種なんだろう、新しくピカピカなものもあり、見かける度に「おおっ!!」と興奮して一人でニヤニヤしていた笑
YB-1は18年前に、スモールウィンカーやルーカステールランプを装着し少しだけ手が加えられたキレイな中古車(1996年製)をたぶん12万円ぐらいで手に入れた。そして今、さほど変わらない15万円で買った同じくYAMAHAのバイク(1995年製)で、日本からアフリカまで走ってきている。バイク人生の原点となった車両と再会し、自身のバイク力の成長を感じて何とも嬉しい気持ちになれた!!
Keep on Rolling.
21 February Mali最後の町となった、Sikassoの一角の様子。変なオブジェ!笑
市場から裏路地、そしてまた市場へ。
お次は、Burkina Faso(ブルキナファソ)という聞き慣れない名前の国へ。ここの税関の流れが何だかとても面倒で、国境から先3ヵ所で停まりバイクの登録をして、うち1ヵ所にて書類を発行してもらい、登録料5000CFA(約1000円)支払った。 そこにすごくピカピカでアフリカらしからぬ、しかしアフリカツインが停まってた笑
しかし、町中でこんないいバイクに乗ってる人など誰もいない。大体みんなスクータータイプに乗っていて、こんな風にデカいガスタンクをワイルドに積んだりするからちょっと怖い。。
この日はBobo-Dioulassoという町に泊まる。Maliと比べて店や道が整っている印象で、少しだけ発展しているように感じる。しかし、そのせいか安宿探しに苦戦し、4〜5軒訪ねるもなかなか予算に合う宿が見つからない。郊外を突っ走っている時はまだ平気なのだが、混み合う町中でストップ&ゴーを繰り返し、バイクウェアフル装備で乗ったり降りたり訪ねたりの動きを繰り返すと暑くてしんどい。辛くなってきたところで、レストランの店員さんがミッションカトリック = 教会なら安いぞ!と教えてくれて、そこを見つけて泊まった。教会内といっても宿泊棟は独立していて完全に普通の宿で、ツインベッド.トイレ&シャワー付き.朝食付きで7000CFA(約1400円)と相場より断然お得、以降この国ではミッションカトリックばかりにお世話になった。
ベッドの上に浮かぶ白いのは蚊帳で、マラリア対策。『Lalium(ラリアム)』ってマラリア予防薬も飲んでいる。
当初のプランでは、Burkina Fasoを通る予定は無かったのだが、2月下旬から3月上旬にDedougouという町にて、西アフリカの6つの国(ブルキナファソ、コートジボワール、セネガル、トーゴ、ベナン、マリ)3000以上のマスクが集結する、2年に一回のフェスティバルがあると教わり、ぜひ観たい!!と思ってやって来た。つまり、マスクフェス『Festima』(Festival International des Masques et des Arts de Dédougou)のためにこの国へ来たのだ。
24日が初日でセレモニー的内容が多く、25日から本格的なマスク&ダンスが始まった。この日は自分の誕生日で、とても楽しく思い出に残る記念となった。生意気にもMCの横で、PAセットの上に座って楽しむ。
このマスクはマリのドゴン族、本来ならば高いツアー代を払って現地に行かねば観れず、しかしそれ以上に今はマリ北部の治安悪化によって彼らの村へ行くこと自体難しいので、観れてラッキーだった!
以下はどの部族のマスクかはわからないけど、いずれも見応えありだった。
夜まで続く。
誇らしげに観客を椅子がわりにして座るマスク。座られたオジサン喜ぶ!
11日間続くお祭りだけど、2日間で大満足できました!!
Keep on Rolling,
※2月に走った各国の旅日記よりも先に、3月2日ブルキナファソで起きたテロの日の出来事を書きます。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
02 March ミッションカトリックと呼ばれる教会の中にある宿に泊まっていたが、そこからわずか1kmしか離れていない陸軍本部が爆破されていた。どおりで建物が揺れたわけだった。
また、フランス大使館も襲われたらしい。バイクの格好(プロテクターベスト、厚手のズボン、ミリタリーブーツ)のまんま方が安全だぜ!と、銃声も落ち着いてから様子を確認しに外に出る。しかしこの格好が不運だった。
毎日40℃になる町をこんな格好で歩いているヤツは、他に一人もいない。しかも外国人だから目立つ。テロリストと疑われ、駆けつけた軍隊に取り囲まれて捕まってしまった。。
後ろ手に手錠をかけられて、車の後部座席に投げ込まれ、横たわる俺の顔と腰の上に一人ずつ、銃を持った軍人が座る。ミリタリーキャンプに到着すると同時に30人ぐらいに囲まれて写真を撮られる。嬉しくない。。
後ろ手に手錠をかけられたまま、幹部らしき8人の円陣の中心にひざまずかされた。銃を持った兵士が周りを取り囲んでいる。俺がどんなヤツかなんて当然誰一人として知らないし、全員が疑っている。無実をしっかりと伝えなければヤバい。焦ったり興奮したら、かえって相手を刺激してしまうだろう。今の状況を頭では理解しつつ、それが感情と結びつかないようそれ以上頭を使うのは止めた。つまり、まだ見ぬ恐怖を自身で生み出して、その幻想と戦わないようにして、ドキドキしたりキョドったりせず堂々と落ち着く。このフランス語圏でどこまで説明が通じるかが心配だったが、幸い英語が話せる人も二人いて、とりあえずテロリストじゃなくてツーリストなんだ!日本からバイクで走ってきたからこんな気合いの入った格好してるんだ!ってことは伝わったらしく、骨にゴリゴリと当たって痛かった手錠を解いてくれた。
次に個室に入り、一時間半ほど細かく尋問を受けた。入国目的や渡航履歴、家族のこと、テロの前後の行動履歴などなど。これが終わると何となく俺は「シロ」だとわかってくれたのか、建物の入り口にある待ち合い室のようなエリアで座っているように指示された。いわゆる軟禁状態で、依然パスポートや携帯やカメラなどの所持品は押収されたままだ。この時点で14時頃、遅くとも夕食までには帰れるだろうなどと考えていた。
その後、俺と同じように手錠をくらった容疑者の連行は続くが、取り調べ室に入った後はどこかへ消えていき、ここで待っているのは俺一人。疑問に思いつつも、きっと俺はすぐに開放されるヤツなんだ!とか勝手に思っていた。18時頃やってきた、上半身裸で裸足の男を最後に、連行者は止まった。しばらくすると男が何やらわめきだし、その後聞こえるビシッ!バシッ!と音と共に悲鳴を上げる!ムチ打ちだった。取り調べ官になぜ彼だけ?と尋ねると、「ヤツが今回のテロリストだ!」と答えた。
しかし、その後も依然として俺は釈放されない。22時になって取調官に、今日はここに泊まるんだと言われた。今朝出発するつもりで荷物を載せたままバイクを宿に停めてきたから心配だ、帰りたいと言ったものの当然許可されず、仕方なく泊まることに。そしてベッドルームといって案内されたのは、まさかの今日捕まった全員が入ってる10m×3mほどの牢屋だった!ヤツらはここに収容されていたのか、、先客の12人(全員アフリカ人)の中にはなんと、最後にムチ打ちを食らった「裸野郎」も手錠を付けたまま居る!その瞬間、俺もまだ容疑者リストから抜けていないことに気がついた。
マジかよ、、と思いながら部屋の隅に行き、冷たい床に横たわる。トイレはなく、ペットボトルが何本も置いてある。少したつと老人が近づいてきて、服のようなものを床にひいてくれようとした。しかし下手に受け取って後で見返りを求められたらイヤなので、断わった。すると次に「裸野郎」が何やら言い寄ってきたので、シカトし続けて追い払った。するとまた最初の老人がきて、俺の横に蚊取り線香を置いてくれた!あれっ?この人マジでいい人かも??てか何で蚊取り線香持ってんの!?と疑問に思ったが、次はゴザを持ってきてくれたので敷いてもらい、そのおかげで結構ぐっすり眠らせてもらった。鉄格子の隙間から見えた満月が綺麗だったなぁ〜、、
同じ囚人ならばあんな余裕とホスピタリティあるわけがない。この牢屋の寮母さん的な立場なのかも??おじいちゃんだけど。翌朝早く、牢屋の前のドアが開く音がして「よっしゃ!出られるか!?」と期待したが、新たに若い男が投げ込まれてきて計14人に増えた。この男もショーパンツのみを身に着け、背中にはムチ打ちを受けた傷があった。男はおそらく「話をさせろ!!」的なことを叫びながら牢屋のドアを何十発も殴り、軍人を呼ぼうと怒り狂っていた。
ムチ打ちされたのならば、軍はこの「裸野郎2号」も犯人と断定したのか?しかし理不尽な扱いに対して怒っているように見えるし、最初の「裸野郎1号」と知り合いな素振りは一切見られなかった。それは彼らの演技かもしれないが、これほどの規模の事件なら当然複数犯だろう。また人は見た目ではわからないが、「1号」はテロリストとは思い難い、気弱そうな痩せた青年だ。やがて、俺を除いた13人の中に果たして本当に「真犯人」はいるのか?もしかしたら全員俺と同じく冤罪かも??とか考えてしまった。それほど、皆どこにでもいる人のように見えたのは事実だ。。
8時頃に俺だけ牢屋から昨日の待ち合い室に移動させてもらった時、今度こそ帰れる!!と確信した。そして拘束されてから丸24時間がたった正午12時、晴れて自由の身となれた。すごく身近に起きた今回のテロ事件の真犯人が裁かれること、また自分と同じ冤罪者が必ずや釈放されること、そして改めて犠牲者の方々へのご冥福を心から祈りたい。