『Amigos da Picada』, such a nice motorcycle club in Angola!!!

11 May  DRC(コンゴ民主共和国)の町Boma(ボーマ)を出発して、アンゴラ共和国と国境の町Matadi(マタディ)を目指した。

町中でも車がスタックしている。もう少し頑張れば、こんな道ともおさらばできるはずだ。アンゴラ以南からは発展した国々になると聞いている。この日を乗り切れば最難関ゾーンが終わり、喜望峰までの道が開くぞ!そういう気持ちで進んだ。

Matadiに向かったのは、西アフリカを分断しているモンスターリバー、コンゴ川を自走で越えるためだ。長さはアフリカ第2位(1位はナイル川)、流量は世界第2位(1位はアマゾン川)とハンパないスケールのため架橋が難しいらしく、基本的には船で渡る。唯一1本だけMatadiに橋が架かっており、ここを渡れれば全行程陸路自走でアフリカ縦断できる。それにこだわりたかった。

橋が見えてきた。

なんと日本がつくった橋だったー!コンゴ川の向こう側に進めた喜びも倍増!!

DRCの出国イミグレーションでは、この旅で初めて検疫窓口があり、黄熱病の予防接種証明書 = イエローカードを登録された。なんで出国時にやるんだ?と疑問だったが、今考えればこの時すでにDRC内でエボラ出血熱患者が発生していたため、検疫が強化されてたのかもしれない。また、カルネ(バイクの輸出入書類)の書き方を間違えられ、違うじゃん!!とつっこみ直してもらったりもした。

アンゴラの入国イミグレーション施設は立派で、発展した国に戻ってきたことを感じる。しかし、ここでもカルネを間違って書かれてガッカリ。また、国境からしばらくは地図に無い荒れた道で、舗装路が中心の世界に戻る前の最後の試練となった。

でも、DRCでさんざん鍛えられたから大丈夫だった。この日で悪路との戦いが終わった!また、熱帯ゾーンを抜けて冬のアフリカを感じる朝晩寒い気候へと変わった。

13 May N’zeto(ンゼト)という町のガソリンスタンドに入ってビックリ!50台ぐらいのバイクが給油している。この旅で初めて(意外にも)の、バイククラブとの遭遇だった。

BMWのR1200GS、HONDAのAfrica TwinやVaradero、YAMAHAのSuper TENERE、DucatiのMultistradaなどなど、ほとんどのバイクが今世界中で人気の大排気量ディアルパーパスタイプ、いわゆるアドベンチャーモデル。通過したアフリカ諸国では生活の足として乗る小さなバイクばかり走っていて、このような趣味を目的とした高級車たちとはぜんぜん出会えなかったので、楽しむためにバイクに乗る文化圏に戻ってきたことを実感、嬉しかった。

このアンゴラの首都Luanda(ルアンダ)を拠点とするBIGバイククラブ『Amigos da Picada』との出会いはめちゃくちゃラッキーだった!日本から一人で走ってきた俺を超歓迎してくれて、その後行く先々の町にいるクラブメンバーがサポートしてくれたのだ。

14 – 16 May @Luanda

『Amigos da Picada』の基地に隣接する宿に泊まり、基地にたむろする彼らからビールをおごってもらいまくった笑

基地内にはビアサーバー

↓クラブのボス(Presidentと呼ばれる)、Lilio(リリオ)が「なんかあったらすぐ俺に電話しろ!」と超フレンドリーにしてくれたおかげで、クラブ全員から受け入れられた。

17 May LuandaからLobito(ロビト)という町へ。道中、お猿さん発見!

川の侵食がよくわかった場所。

Lobitoに着くと、Osvaldo(オズワルド)というメンバーが迎えてくれて、Mario(マリオ)というBMW R1200GS Adventure乗りの家に招かれた。

GSの他に、Royal Enfieldとスクーターも持っていた。

ビアサーバー付きガレージ、最高〜!!

そのまま、おやすみなさ〜い

@18 May LobitoからLubango(ルバンゴ)という町へ。

15年前に起きた内戦時の遺物、装甲車

Lubangoに着くと、Sandroというメンバーが迎えてくれて、Jose(ジョゼ)というHondaのVaradero乗りの家にお世話になった。この人とは本当に楽しい時間を過ごした!!

Jose夫妻

ゴチャゴチャと物が置いてある所の、トイレットペーパーの下から何かを引っ張り出したと思ったら、、、

カラシニコフ銃(AK-47)が出てきたー!!なんとこの人、元・特殊部隊兵で、教官まで登りつめた超タフガイだった。でも自分自身のことを「ミー」と呼ぶ愛嬌があり、とんでもなく親切な「気は優しくて力持ち」だった。

リボルバーも登場!小さいがズッシリ重く、撃鉄は親指全力でやっと引けるぐらいの強い反発力。この銃で人の体を貫通する威力があるらしい。。

それをサラッと腰に撒いたペラペラのウエストポーチにしまった。入れ物と中身のギャップがすごい!過去の歴史から、白人に対して悪意を抱いているアフリカ人もいるらしく、彼は護身用に常にこのリボルバーを携帯していた。

軍仕様のランドクルーザーには、アンゴラ内戦時の銃弾の穴が。この一発は運転席のJoseの右耳たぶをかすめ、後部座席の仲間の命を奪ったという。

19 May  Joseとツーリングに行った。「俺のセカンドバイク、YAMAHA XJ900を使ってもいいぞ?」と言ってくれたので、たまには違うバイクに乗りたかったからありがたく借りた。

なんと、元・白バイだった。Joseがポリスに銃や武術の指導をしたお返しにもらい、赤に塗り替えたそうだ。気持ち良い景色と白バイの乗り味を楽しんだ。

20 May アンゴラのカートチャンピン、Fiorio(フィオリオ)が、Can-Am Spyder(前にタイヤが二つある三輪の乗り物)に乗って登場!

Joseの孫のMarcelo(マルセロ)も連れて、今度は4人でまたツーリングに行った。

景色の良いローカルなお店で、ランチ休憩。

カンパ〜イ!

飲み干したらすかさずFoirioが次をオーダーするので、ビールが終わらない!結局ここで12時〜16時まで4時間飲んで、ニ軒目に移動して17時〜21時までまた4時間飲んで、バイクに乗って帰宅するというハチャメチャな一日になった。。。!!まさか8時間ビールを飲み続けた後に、元・白バイを運転するとは。。。!Joseの家に着いた直後に立ちゴケしそうになるも、なんとかこらえた。危ねえ〜

Joseは、2年近く前にも日本から走って来たライダーとばったり会って、泊めてあげたと語った。バイクでのアフリカ縦断、特に西ルートにチャレンジする日本人はそうはいない。ネットを見ていた限り、ここ2年の中で達成したのは一人だけのはずだ。Joseにその人の名前とバイク名を確認したら、やはり同一人物だった!!俺は直接知らない方だが、旅の情報収集にとその方のブログは読んでいた。唯一参考としていたいわば俺の“先輩”も、ここでこの人と会っていたなんて、不思議な縁もあるもんだ。

『Amigos da Picada』とは、二輪や四輪のタイヤ跡や轍でつながる友達、という意味らしい。その名の通り、めちゃくちゃ心が広い陽気な野郎たちと出会い、バイク乗りの絆っていいな〜!と改めて感じたアンゴラだった!

Keep on Rolling.

Into the wild D.R.Congo.

07 May テントをたたみ、村人から水を分けてもらって、コンゴ共和国からコンゴ民主共和国(DRC)へ行けるはずの道へとアタックする。車は入れない、バイクしか行けない幅だった。

この道で本当にいいのか?お願いだから、途切れていないでくれ!と、まだかまだかと祈るような気持ちで走る。数キロが、ものすごく長く感じる時間だった。

やがて、集落が現れた。

俺「ここはDRC??」

村人「そうだよ」

やった!!ここまで手探りな国境越えは初めてだったので、すごく嬉しかった。

デジカメに興味津々だ。

しばらく談笑していると、一人の男がや「イミグレーション」という言葉を口にした。バレーボールのユニフォーム・短パン・ビーチサンダル、ただの村人だと思っていたヤツはここのポリスだった。僻地すぎて入国イミグレは無いかも、と思っていたからラッキーだ。この小屋の一室に入る。

スタンプは机上にあるも押してくれず、やはりお金を要求してくる。が、もはや1対1なら負ける気はしない、適当にいなして押してもらった。本当にDRCに行けるのかわからない道を進み、不安と苦労の末に手に入れたから達成感もひとしお!下の黒いやつがそれ、フランス語だとRepublique Democratique du CongoだからR.D.Cとなっている。

ついでに交渉して、ポリスに通貨の両替もしてもらった。全部で一時間ぐらいかかったが、その間小屋の周りをぐるりと村人が取り囲み、窓やドアの隙間からずっとのぞき見していたからおもしろい。

いざ、DRCを進む。

さらなる悪路が待ち受ける。タイヤ一本乗せるのがやっとの極細な山道では、エンジンを切って両足で歩くようにして、ルートを外れないよう必死で下った。

平地に出た後は、泥道だった。

水溜りでのスリップ転倒。マフラーから側に倒れ水が入り、エンジンがかからない。人手が無くて、バイクを垂直に立てて水を抜くこともできない。苦労の末に何とか復活、マフラーが吹き出した水で地面を汚してしまった。

フルパワーでアタックして、二時間で20km進むのがやっと。どこまで続くのかわからない徐々に悪化していく道に、不安と消耗はつのる。

Sumbi(スンビ)という村に着き、ポリスの検問でいろいろ確認された後、ジュースを買ってひと休みしていると、この村で英語の先生をしているというGautuier(ゴーチェ)という男が話しかけてきた。彼はこの先のTshela(チェラ)という町に仕事で行くことがあるらしく、道の様子を聞くともっと酷いらしい。そうなると、俺一人の力だけでは突破できない箇所がありそうだ。そこで、ガソリン代と御礼を払うから、Tshelaまでのサポート同行をもちかけたところ、かなり迷った末にOKしてくれた!

結果、この判断は大正解だった。旅の中でワースト1の泥道で、どの部分を走れば進めるか見極めるのが本当に難しく、この道に慣れている彼がいたから突破できたし、二人がかりで押さないと進めない場所も何度かあった。

ビデオカメラのバッテリーが切れていて動画は撮れなかったのがちょっと残念。

また、道中のポリス検問では何度か賄賂要求があり、中にはあからさまにライフルをチラつかせてくる野郎もいたが、地元民の彼がうまく話をつけてくれて払わずに済んだ。

腹が立って、Gautuierに聞いた。

「なんでこんな道なんだ?こんな車が通れない道じゃあ途中の村々は生活物資の確保だって難しい。政府は何をやっているんだ?」

すると、こう言った。

「政府の役人は国のお金をライフラインやインフラの整備に使わないで、自分達の給料にしているのさ。俺達のことなんてどうでもいいんだ。」

Tshelaには17時頃になって到着し、ここでGautuierに御礼をして別れる。ここから今日の目的地Boma(ボーマ)という町まではまだ100km以上あったが、これまでの道よりは良くなったので、走り続けた。

20時を過ぎて、ようやくBomaの入り口まで来た。少し手前地点から激しい雷雨となり、町にも関わらず多くの道が水没していて路面が見えない。暗闇と雨で余計に見えず、予期せず深い水たまりに突っ込んで泥でスタックしそうになった。この雨の中でこれ以上進むのは危険だ、そう思って閉店したお店の軒下に避難し、缶詰を食べたり地図をチェックしたりしながら、小一時間ほど休憩と雨宿り。

すると、荷台に6人のが座ったパトカーが前で停まった。嫌な予感がする。懐中電灯で照らされ「ここで何をしてるんだ?」と聞くので、「ツーリストで雨宿りをしている」と答えると、スマホを取り上げられて「警察署に来い!!」と強制連行しようとしてきた。

過去の投稿にも書いてきたし先述のGautuierの意見のように、アフリカでは国家権力による汚職が当たり前に行われている。彼らに金品を取られないよう、正直言って対一般市民以上に警戒してきたのだが、賄賂で有名なここDRCで拘束されるのはヤバい。しかし、次にパスポートも取り上げられてしまった。もはやどうしようもない、行くしかないとバイクに近づくと、「ダメだ、ここに置いてパトカーに乗れ」と言う。

これが盗まれたり没収されたら旅は終わる。「絶対に嫌だ!」と抵抗すると、今度はバイクのキーを取ってその場から持ち去ろうとしてきた。最悪な展開だ。苦労して入国して、悪路でドロドロになりながら進み、ようやく町に着いたと思ったらズブ濡れ、最終的に知らないヤツにバイクを乗られて荷物ごと手元から消えようとしている。。。

しかし、バイク担当者の頭が悪かったのか?不器用だったのか?ロック含めて全部で5本のキーが束になってるのだが、どれが本物なのかがわからず、一つずつ試すが入らない。

本物でも合鍵のため純正キーのようにスルッと入らず、刺すためにちょっとコツが必要だったのだ。当然教えず、なぜかそいつも聞いてこなかったから助かった。キーを奪い取った相手に対し、「開けてください」と聞くのが恥ずかしかったのかもしれない笑。5分ぐらいガチャガチャやった末に諦めて、俺がバイクを動かすことを許された。パトカーに付いて警察署へ行く。バイクと切り離されるのは何よりも怖かったから、とりあえずよかった。

その後署で尋問されて、捕まった理由がわかった。俺が休んでいたエリアは強盗などの犯罪多発地帯で、夜に軒下に潜んでいた俺を窃盗犯と疑って捕まえたのだった。夜にあそこに一時間いて、バイクも荷物も盗まれなかったのはたまたま運がよかっただけだぞ!?とまで言われてしまった。彼らは賄賂ポリスじゃなくて、ちゃんとした正義ポリスだったのだ。疑ってスンマセンでした!!

そして、結果的に捕まって良かった。ここで俺を尋問したPompidou(ポンピードゥ)という位の高いポリスと仲良くなって、面倒を見てくれたのだ。

一見とてもポリスには見えないが、市民に溶け込むためのカムフラージュで、実際はこの町の警察の司令官の一人。

安宿を教えてくれたり、国境では手続きできなかったカルネ(バイクの輸出入書類)を作成してくれたり、俺が必要なもの(壊れた靴に変わる新しい靴やSIMカード)を一緒に買いに行ったり、Barに行ったりと、Bomaで過ごした5日間毎日会ってサポートしてくれた。しまいには「俺からプレゼントだ」と、彼の部下が汚れていたバイクを洗ってくれた。

一人旅で現地人の味方ができるのは何よりも心強いが、(ちゃんとした正義の)警察の偉い人なら最強だ。この災いが転じたのおかげで、DRCの町中で何も心配なく過ごすことができたのだった。

Keep on Rolling.

Cross border from Congo to D.R.Congo,hard work again!

※コンゴの人々や街の様子は、のちのち書いてお伝えしたいと思います。(もはや帰国後のアップになっちゃうけど、、)これらの情報なら、他の人が書いたやつの方が立派なはずだし!、、、というわけで、とりいそぎバイクで走ったコンゴにフォーカスしてお届けします。

20 April 苦労の末に入国できたコンゴを南下する。相変わらず柔らかい土、泥水たまりだらけの道は難しく、10時過ぎに国境をスタートして6時間走り、進めたのはたったの約130kmだった。完全なオフロードタイヤではなくてオンとオフ半々の物を履いているので、泥で溝が詰まりツルツルになって苦労した。

手前からは短く見えても、けっこう長かったりする。

この日泊まったKibangouの光景。

電気も水道も止まっていた。コンゴは慢性的に電力不足で、それによりポンプが動かず水も出ない場合が多く、溜めた雨水で体を洗うのが普通だった。

21 Apr 今日も荷物満タンのバイクに乗り、たった一人見知らぬ国を進む。ピンチになっても味方が現れてくれるかわからないから、道の険しさに比例して恐怖心も増す。もしもケガや故障で動けなくなってしまったとしても、いつ誰が助けてくれるかわからないし、逆にバイクや荷物を奪われてしまうかもしれない。ワイルドを楽しみたい気持ちもあるが、それ以上に転倒・水没・負傷・消耗等々を絶対に避けたい心が上回り、攻めではなく守りの走りになる。全力で集中しつつも、心と体に一定量の余裕を残せるようペースを落として、自分を追い込まないように努めた。

Kibangouから悪路を20kmほど進むと徐々に走りやすくなり、さらに30kmほど進むと舗装路の建設途中、固くて平らな土へと変わった。やった!

これで体力と神経がすり減るアタックゾーンからひとまず脱出できた!!と、心から喜んだ。

大げさな表現だが、孤独な戦いから無事に生還することで、一生忘れないほど大きな達成感と充実感が祝福してくれる。そして、何かを学んだような、少し成長できたような気分になれて、嬉しい。

さらに約80km進んだDolisieという町に着き、まだ時間は早かったがこの二日間はすごく疲れたので、宿に入って休息。

ここコンゴ共和国(Republic of Congo)の次は、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo、DRCと略される)へと進むことになる。

最も一般的な国境越えのルートは、コンゴの首都Brazzaville(ブラザビル)から、DRCの首都Kinshasa(キンシャサ)へ、国境となるコンゴ川を船で渡る行き方。今いる沿岸部のDolisieからは約350km離れていて、道中は大量のポリスが舌なめずりをして待ちかまえる賄賂街道らしいし、船代も足元を見られて吹っかけられまくるらしいし、どの国でも大都市ほど事故事件が起きる可能性が高いし、、、等々の理由から、なるべく人目につかない超マイナーなルートからDRCに潜入したいな〜と考えていた。

問題は、道だ。コンゴは主要都市周辺以外は未舗装だと体感したし、DRCはより一層の悪路と聞いている。この両国の国境越えを、なるべく人目につかない道でやってやる!と突っ込んでいって、過酷すぎて返り討ちにあったら困るので、まずは空荷で偵察に行くことにした。

23 April  黄緑色のエリアにあった細いルートを狙う。

走った印象は、油断はできないけど苦戦はしない道、といった感じだった。

雨が降ってきたので途中で中断、引き上げきたからその先はわからないが、ここを進むことに決めた!

諸事情により5月5日から有効になるDRCビザを持っていたため(理由がわかる投稿へのリンク)、それまでは沿岸部のPoint-Noire(ポイントノアール)いう街でで過ごした。ここでの出来事は後日追って書くこととする。

06 May コンゴ➡DRC国境越えに挑む。結果、偵察した範囲よりも先が本当にきつかった、、、!!100回以上は泥水溜まりに突っ込んだはず。

走るのに必死で頭が働かず、思ったことがそのまま口に出ている。コンゴ人相手に日本語で「来い!来い!」って言っても、通じるわけがない!笑

↑ここは歩いて確かめたら、バイクが水沈しない深さだったので突っ込んだ。以下がその動画

↑ここはバイクが完全に沈没してしまう深さのため、左の木の板に乗せるしかなかったが、不安定ですごく怖かった。バランス崩してドボン!となったら一環の終わりだ。

↓こういう橋もバイクの重みで木が折れそうでヤバかった。

道中には、小さな集落が無数に点在していた。当然電気や水道は無いし、畑や牧場も見ない。コンゴ人はどこでも生きていけるんだなと思った。また、このルートを通る部外者がよほど珍しいのだろう、通り過ぎる瞬間に何かを言ってきたり止めようとしてくる人(お金が目当てだと感じた)が、過去最多だった。追い付けないスピードで駆け抜ける。

どうにか進み続け、俺が狙っている国境越えの道へと続く分岐点まで来た。しかし、とても進みたくないような獣道っぽい感じだ。

村人が集まってくる。彼らのペースにならないよう大きな声と態度でいく。「ここを進めばDRC!!??」すると、「そうだが、雨季だから川ができて妨げられている」と返ってきた、、、何てこった!!

しかし村人たちが、分岐点を折れずに直進していった先のKindouという所からDRCに行けて、そこなら川は無いぞ、という。だが、Google mapでもMaps.meでもミシュランの紙地図でも、この道は途切れていてDRCまでつながっておらず、Kindou(キンドゥ)という地名も見つけられない。

国境線の上がCongoで下がDRC。

地図を信じるか、現地人の情報を信じるか。多くの人がこの先のKindouからDRCに行けると言うので、進むことに決めた!もはや道の様子どころか本当に道があるのかすら確信がないが、ここまでやっとの思いで進んできた道を戻りたくなかったし、正直二回は通りたくない道だ。また、コンゴビザの有効期限が明日で切れてしまうので、時間も無かった。良い理由ではないが引くに引けない、退路は無いような気持ちが前を向かせた。

Londela-Kaye(ロンデラ-カイ)という村で検問が出現。ここがイミグレーションだと言うので出国スタンプを要求すると、離れた小屋からポリスを応援に呼び、三人がかりで一万円近くの賄賂を請求してきた。英語が通じないが、国籍を確認されて紙に金額を書いてきたので、どうやら「外国人は出国時にこの金額を払わないといけないルールになっている」と言っているようだ。「外国人だからビザ代を払って入国した、なんで出国するのにそれ以上の金額を支払う必要があるの?」と言うも、言葉がわからないので通じず、抵抗するが彼らも引かない。思わぬタイムロスだ、まいったな。。。すると業を煮やした彼らが、英語を話せる上司に応援を求めて電話をかけたのだが、ラッキーにもこの上司が俺の味方になった笑「いいか、ここを出て先に進めば違うポリスステーションがあるから、そこへ行くんだ」と教えてくれたので、電話を切ってすぐに脱出!急いで先へと進みポリスステーションを発見、ここにいた別のポリス(優しくてカツアゲ野郎たちとは大違い!)スムーズにスタンプをもらうとさっきの奴らが追いかけて来たが時すでに遅し、俺の勝ちだ!!

出国手続きが済んだことに一安心するも、以前として道のりは険しい。地図上最後の村(といっても数軒の家があるだけ)Mbiongoで、ついにKindouという看板が登場。

その先から急な登りが始まった、山間部にある国境が近づいてきた証拠だ。山登りの途中、石に引っかかってエンストして支えきなくて転倒もした。登り続けた先に平地が現れ、どうやら最高地点に出たようだ。数軒の家がある、ここがKindouか?と尋ねると、そうだった。この先道はさらに細くなっていて、16時を過ぎた今から進む気にはとてもなれず、本当は今日中にDRCに入る予定だったがここでストップ。空き家の横にテントを貼らせてもらった。

スマホ地図のGPSを見ると、現在地点はもはや国境線を越えてDRCサイドになっていた。GPSがズレているのか、この集落の位置が実際にはDRCの領土内に位置しているのか、道も集落も地図に無いからわからない。そこまで不明瞭で済まされている極細な国境を、手探りで越えようとしていた。

Keep on Rolling.

05-15 March @Benin days #1 Work for visas

今回は、アフリカを旅する上で避けては通れぬ仕事、ビザ取りの話を中心に。

Mali(マリ)、Burkina Faso(ブルキナファソ)を抜けてBenin(ベニンじゃなくてベナンと読む)へと入ったことで、結果的に海岸沿いの小さな国々をショートカットして時間と費用(滞在やビザ代)の大幅な節約となった。(赤ピンが通過ルート)

最初から狙っていた訳ではなく、2月下旬からブルキナで開かれたマスクフェスティバル『Festima』(記事へのリンク)を観に行くためのルート変更によるラッキーだった。俺のように西側からアフリカ縦断を目指す旅人で、効率よく抜けて行きたい人にはオススメのルートと思われる、その時々の情勢によりけりだが。

5 March ベナン入国。長細い小さな国だがなんだかんだ11日間滞在し、うち10日を沿岸のCotonou(コトヌー)という町で過ごした。内陸部の乾いた暑さが湿気を含むムシムシとした感じに変わり、それが日本の夏を思い出させてくれた。

町の郊外にはこんなのどかな景色が広がる。

地引き網やっていた。

一方こちらは市内。ベナンは中華製スクーターがジャンジャン走っている。

07 March Cotonou到着の翌日、まずは何よりNigeria(ナイジェリア)のビザ取りにかかる。アフリカではほとんどの国でビザが必要なので、ただ走っているだけでは先へは進めない。基本GoogleMapで大使館の場所を調べるが、間違っていたり引っ越していることも多く、ナイジェリア大使館もそうだった。人に聞いて見つける、たいそう立派な建物で厳重な警備体制だ。いつも通り「ビザちょうだい!!」と言うと、旅の目的を聞かれて答えたら、「それならトランジットビザを取ることになるが、通過した先のCameroon(カメルーン)のビザを持っていなければ発給はできないぞ」と言われてしまった。

しかしベナンにカメルーン大使館は無く、代わりに「この人に電話しろ」と個人の携帯番号を教えてもらった。この事実上の領事と会ってカメルーンビザは手に入るのだが、ビザ代50,000CFA(約10,000円)に加えて取得代行の手間賃(書類作成やカメルーン大使館まで行く旅費)としてさらに50,000CFA(最初は手間賃だけで100,000CFAと言われるも交渉した)払うことに。。誤算だったが、ここにカメルーン大使館が無い以上この人物に頼るしか打つ手はない。、西アフリカではビザ取りの苦労が付き物だし、まぁ書類一枚も書かずにただ待っていればカメビザを持ってきてくれるのは正直ラクだから、これはこれで良しとしよう!この日の午後に申請し、受け取ったのは5日後の12日だった。

13 March 午前中に再びナイジェリア大使館へ。予めオンラインで作成したビザ申請書をプリントアウトして持参、その他にも

●パスポートの全ページコピー(空欄ページ以外)

●これまで通過してきた国とその日程(8月14日〜3月13日で27ヵ国)

●ナイジェリアのホテル予約書(その場しのぎ、ビザ取得後にキャンセルした)

が必要だった。手続きを終えると16時に来たらあげると言ってくれた、その日中にくれるとは予想外だー!そしてニコニコ顔で16時に行くと、もらったのはビザじゃなく

「お前の申請書はどこだ??」

というまさかの言葉だった、、、!どうやら無くされてしまったようだ、おいおいおいっ!

「朝渡したよ!最後にサインしてなかったの見つけて、書けって言ったのあんたじゃん!」

と伝えると、それまで堂々としていた担当者に気まずい表情が。しかしすぐさま、

「心配するな、お前のビザはもう作ってあるぞ、ほら!!」

と得意気に見せてきた。

「じゃあくれよ!」

と言うと、申請書が無いと渡せないらしい。申請書無しでも作れるけど渡せないって、普通逆だろ!笑

結局、大使館のパソコンで申請サイトにアクセスして再度プリントアウト、おかげで余計な時間がかかったが、カメルーンビザに続いてナイジェリアビザもゲット!後でわかったのだが、どうやらベナン以外のナイジェリア大使館ではビザが取れない状況下にあるらしく、ここで会ったポルトガル人は他ではどこも断られたと言い、取れて大喜びしていた。また、ここでも必ずしも全員が取れるようではなく、断られている人もたくさん見た。。その時々の情勢や国同士の関係で、ビザの取得難易度は変わる。今回一発で簡単に取れたのはラッキーだった。ちなみに値段は50ドル、トランジットビザなのに有効期限はタップリ1ヶ月間もあった笑

さらにその足で、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo、以下DRC)のビザも取ってやろうと大使館へ猛ダッシュ!!まだまだ先に行く国だが、この町Cotonouの大使館だと簡単にビザが取れる(本来ならいろいろと書類を用意したりちょっと面倒なビザ)という噂を信じてトライする。

ナイジェリア大使館でのすったもんだのせいで17時を過ぎて着いたが、「OK」と受け付けてくれた!このウェルカムムードなら期待できるぞ!?そして、噂通り「トランジットビザならいろんな書類はいらないよ、写真2枚あればいい」と言ってくれて、その場で申請用紙を書き、8日間有効のトランジットビザ(DRCは大国だが通過予定の西海岸付近だと極めて小さい)を、15,000CFA(約3,000円)ですぐに作ってくれのだった!親切すぎる!

いつからいつまで有効のビザにするかが問題だったが、かなり先の5月5日から12日までの8日間に設定した。この国の一つ手前のコンゴ共和国(同じコンゴだが別の国でこちらはRepublic of the Congo、以下コンゴ)にて、世界最高峰に取るのが難しく時間を要するAngola(アンゴラ)ビザ取得に挑むため、そこで最悪1ヶ月待っても平気な時間を用意したのだ。

これによって、5月5日まではDRCに入れないという縛りができてしまうが、コンゴでアンゴラビザが取れるまで粘るつもりで余裕ある時間設定にした。もしもビザが早めに取れたら逆に時間が余ってしまうが、その場合はのんびり過ごすとしよう。事務的な作業で面倒に感じるビザ取りだけど、これが無いと先には進めない。そのための算段や苦労も、旅ならではの醍醐味だろう。

こうしてこの町Cotonouでは、カメルーン、ナイジェリア、コンゴ民主共和国という3ヵ国のビザを取ることができた!

Keep on Rolling.