Vacaciones en Madrid

24 Dec スペインの真ん中、Madridまで来た。(間のイタリアとフランスの記事は追ってアップします)ここで一度歩みを止めて、年末年始含め1月半ばまでひと休み。

滞在先は、ロシアのモンゴル大使館で出会い親しくなったスペイン人、Alfonso Victorさんのナイスなお宅。

Alfonsoはかつてパリ·ダカールラリーに4回出場したバイクのエキスパートで、クライミングやカヤックやMTBにも精通、いろいろ教えてくれてありがたい。知り合えてとてもラッキーだ!

ここで体制を整えて、、、バイク全体のチェック&メンテナンス、写真&動画データの整理&バックアップ、不要な荷物の処理と必要となる荷物の補充、残るユーラシア編ブログのアップ、この先の情報収集などなど、、、

あと約650kmまで近づいたユーラシア大陸最西端の地を踏み、そのまま南下してアフリカへと渡る計画だ。

そんな感じで一息つきます。皆さんもどうぞ良きゆく年·来る年を!

8月にロシアで会った時のAlfonso

しばらくお世話になるベッド

バイクも暖かい寝床、ガレージでお休み

かつて開催されていた世界大会、キャメルトロフィーのヘルメットをかぶった陽気なAlfonso

少年Alfonso

青年Alfonso

クリスマスパーティーで親族にも会えました

観光ではないけど輝く光を観れた、Venice

12 December 今回はVeniceで再会を果たした、この旅でできた特別な友人二人について書く。ロシア行きの船内で出会い、幾多の困難を乗り越えて俺より一足先にユーラシア大陸の横断を果たした、25歳と24歳の韓国夫婦ライダーのことを。

↑ 8月 in Russia

↑ 10月 in Switzerland

↑ 12月@Venice Airport in Italy

4ヶ月前の8月12日、鳥取の境港からウラジオストク行きの船に乗り込んだライダーは俺一人だった。船は翌日に韓国の東海(Donghae)港に寄港する。そこで、ハーレーで世界一周達成目前のスイス人、2〜300万円クラスのBMWやハーレーでモスクワまで走るツアーリーダーとリッチなお客様たち12人、そしてこの二人、ジョンウとヒョンジュが乗ってきた。ジョンウはもと陸軍兵、ヒョンジュはメガネのデザイナーだったが、二人共仕事を辞めて新しい風を求めてバイク旅に出た。

俺たちはすぐに仲良くなった。ロシアのウランウデで再会した後、俺はモンゴルへと南下し、二人はロシアを西へと進み続けてヨーロッパを目指した。

彼らのバイクはかなり古い250ccのDMC HONDA(日本のHONDAとどう関係があるのか俺は知らない)のオンロードタイプで、細いタイヤに荷物満載、ユーラシア横断は大変なチャレンジになりそうな予感がした。

そしてやはり、幾度のパンクとチェーンの断裂、多量のオイル漏れ、フレームのクラック、サスペンションの故障、リアホイールベアリングの破損、ジェネレーターの故障などなど、本当にトラブルだらけだったらしい。しかし、できる限り自分たちで修理しながら進み、宿泊は経費節減で4ヶ月間の半分はキャンプで過ごしたとのことだ。軍隊あがりのジョンウは慣れているかもしれないが、それについて来れるヒョンジュもすごい!

しかし、二人で苦労を乗り越えながらスイスまで来たある日。峠の下りコーナーにて、ヒョンジュがスピードに乗ったままスリップ転倒してしまう。

木製のガードレールを突き破り転落しかけるも、体は道路にはね返されて幸運にも手首の骨折その他裂傷と打撲で助かった。しかし、バイクは再生が難しい大ダメージを負ってしまう。

ヒョンジュがバイクを失い、大怪我をしたこのアクシデントで、旅をやめて帰国するか続けるか、三日間話し合ったらしい。結果、彼らは旅を続けた。ジョンウのバイク一台に二人乗りできるスペースをつくり、また少しでも軽くするために、バイクのサイドバッグ含む多くの荷物を捨てて再び前へと進み出す。

しかし、そんな彼らにさらなる試練が。パリでスリに遭い、資金源だったジョンウの財布とクレジットカードを失ってしまったのだ。

ますます追い込まれるも、削れるのは宿代と食費なのでキャンプ&節約を徹底し、ついに二人はユーラシア大陸の西の終着点、ポルトガルはロカ岬までたどり着いた!

↑ 11月 in Portugal ヘッドライトも点かなくなっていた

本当はもっともっと旅を続けたかった彼らだが、道中での度々の修理費用、ヒョンジュの事故の治療費(保険に加入していたが返金されるのは帰国して申請後なので、スイスにて高〜〜〜い治療費を現金で支払った)、さらに財布をスられて資金的に厳しくなってしまい、12月12日にVeniceから帰国することを決断、そして俺はうまいこと11日にVeniceへとたどり着いたのだった。

ポルトガルから空路でVeniceに11日に着いた彼らは、その日も空港のそばの森の中でキャンプをして、再会とお別れのランチをする2kmほど離れたレストランに空港のカートを押して現れた笑

二人をロカ岬まで運んだジョンウのバイクは、持ち帰る資金が無いため泣く泣くポルトガルの空港に置き去られた。

二人にとっては一生の思い出のバイクだ。そのまま捨てられてしまうのがもったいないので、これからポルトガルに行く俺がどうにかできないかと考えた。イランの宿にてポルトガル人のRenatoという友人ができ、ポルトガルで再会する約束をしているので、彼や友人が引き取って第二の人生を与えられないか相談してみるつもりだ。そして、ジョンウのバイクの鍵を受けとった。

そしてそれ以上に、困難を乗り越えていく二人の強いハートと、ポジティブなエネルギーがもらえた素晴らしい日となった!この鍵を見るたびに勇気が湧いてくる。

Sloveniaの雪とスーパー鍾乳洞と

10 December 東欧最後の国となるSloveniaの首都Ljubljana(リュブリャナ)は、雪に覆われていた。ただでさえ美しいと感じるその街並みを、雪化粧がよりパワーアップしてくれる。

これ以上降ったら嫌だな!と思うギリギリで終わってくれた。

寝かせなければいいけど、寝かせると死ぬぞ!のサイン。

道路の横でソリやスキーをしてる。

次の国Italyへと向かう途中には、シュコツィアン洞窟郡というものがある。フツーの鍾乳洞ならわざわざ入らないが、なんでも世界的に最も有名な鍾乳洞らしいので行ってみると、凄かった!

とにかく、メチャメチャでかいのだ。地底なのにとてつもなく巨大な空間があり、轟々と水しぶきをあげた川が遥か下に流れる、深い渓谷や吊り橋が存在していた。地表にあっても大きいと思うぐらいの渓谷だ。信じられないものを目の前にして、過去の価値観がくつがえり、地底人っているかも?と思ってしまった。

外に出ると、地表から地下へと流れ込む川の入り口があった。

何があるのか知らなかったSloveniaにて、こんなダイナミックな自然スポットを楽しみました!

友人に会いにGrazへ

5 December  4年前にゴビ砂漠を一緒に旅した友人、スラニー京子さん夫婦に会いにAustriaはGraz(グラーツ)を目指す。

この時期の北上は凍結や雪のリスクもあり少し迷ったが、こんな機会でもないとなかなか会えない。それに多少のリスクなら乗り越えて進む旅の方がおもしろい。山岳国家のオーストリアにあって、グラーツが山中に位置していなくてラッキーだ。

途中で一泊したCroatiaの首都Zagreb(ザグレブ)の夜はなかなかきれいだった。

そして翌日、無事二人に会うことができた!京子さんは翻訳家、旦那さんのWolfgangさんは大学教授。ビールが有名なオーストリアで、ビールに合う美味しい料理をご馳走になってしまいながら、思い出話や旅のこれまでとこれからに花が咲いた。

町歩きも楽しんだ。ザグレブでもそうだったけど、屋台のビールとソーセージに惹かれて吸い込まれる〜。

町のシンボル、時計塔は高台にあって町を一望できる。

グラーツ駅の天井はド派手!

さすがはKTMの祖国オーストリア、メチャメチャでかいバイク用品専門店があった!

しかし、売り場の3分の2はウェアやヘルメットなど人間用のアイテム=ファッション重視な印象で、工具やスペアパーツ類といったバイクのための品揃えは正直いま一つに思えた。例えばオイルドレンボルトのワッシャーリングが無かったり、パンク修理キットはチューブレス用しか無かったり。こんなに大きなお店なのに置いてないとは意外だった。

やっぱ、日本のバイク用品店の品揃えってすごいぜ!!と感心、 in オーストリアでした。

ボスニアで見た影と光

1 December  Bosnia and Herzegovina(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のMostar(モスタル)という町へ。中学〜高校時代に見たニュースが記憶に残る、この国の今が知りたかった。

独立を巡って数々の紛争が起きた旧ユーゴスラビア共和国の中でも、第二次世界大戦以降のヨーロッパで最悪とまで言われるらしい、1993〜95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。旅の相棒バイクは1995年製だから、この国に平和が訪れた年に生まれた同い年だ。下の三枚の写真はWar photo s museum のもの。

美しい山と川があり、こじんまりして落ち着くモスタルは居心地良く、ボスニア人は道端の人も店員さんも、皆とても愛想良く優しく親切だった。また、泊まったHostel Golden Bridgeのオーナーや客にも恵まれた。

キリスト教区とイスラム教区を結ぶ橋(スタリ·モスト)。紛争時には破壊されたが今は再生した、まさに平和の架け橋だ。

Hostelのオーナー、ステファンは見ての通り楽しくてフレンドリーヤツだった!

そんな町だが、いまだに銃弾の穴があいた建物や廃墟もたくさん見かけた。

かつてスナイパーたちが狙撃基地として使っていたというビルに、壁をよじ登って侵入し、街を眺めてみた。

その爪跡が、決して遠くはない近い過去の出来事だったのだと思わせる。壮絶な悲劇の記憶が漂う町に生き、争うことの不徳を心底知っているボスニアの人々。その優しさがどこから来ているのか、少しわかったような気がした。