Boys on the Run

6月から、通勤の片道7km/往復14Kmをランニングに切り替えた。きっかけは、今年も8月に実施するモンゴルツアーに向けて、基礎体力を上げるぞ!と思い立ったからだ。

今年は9日間のツアーを2回連続で、合計23名のお客様をアテンドしながら14日間ぶっ通しで走る。特にツアー②の方がコースが難しそうだから、余力が残らないとサポートできない。

なので、ライディングのトレーニングをするよりも、まずは何よりもその技術を乗せる土台であり器となる肉体を鍛えるべし、と考えた。この思いつきはきっと良い結果に繋がる予感がしている。フィジカルが強くなれば、バイクを操るためのあらゆる動作をより強くでき、しかもより小さな負担で済むことになるはずで、それそのものがライディングレベルのアップにつながり、同時に体力と筋持久力アップは、14日間のハードワークに大きなアドバンテージになるはずだと確信している。

今年もモンゴルには、手前のスーパーテネレで行く。相模原の家に停めているMY GSと、長野の家に停めているテネレの貴重なツーショット
2010年式。モンゴルを2週間ガッツリ走るために、気になる箇所はひと通り整備してあげた。がんばって乗り切ってくれ!
去年もうちょいパワーを上げたいと感じたのでマフラーを交換してみた。フルカーボン製のレーシングマフラー、純正と比べて断然軽い
同僚に借りたステアンリングダンパーも装着!ワンオフステーを作ってくれた同僚と近藤さんに感謝!

コンテナに搭載されたモンゴルへ送るバイクたち、その数全部で24台!
今年はこんなスロープを登って直接コンテナにINした

というわけで。この炎天下だからこそより効果ありと走り始めたのだが、さすがに最初は厳しかった。もともと走るのはめちゃくちゃ得意で足には自信がある方だが、長距離をガッツリ走るなんてもう何年間もしていない。それでも5割ぐらいは昔の貯金が残ってるだろう!と考えていたが、現実は甘くなかった。

朝っぱらからいつも7km走る、なんてのは高校生以来とはいえ、43歳&長いブランクにより、もはや貯金はゼロに等しかった。走って三日目には、膝の外側にある靭帯が膝の骨との摩擦に負けて炎症を起こしてめちゃくちゃ痛くなる、いわゆる「ランナー膝」に襲われた。これはゆっくり走り二日ぐらい休息日を挟んだらすぐに治ったが、お次はふくらはぎの筋肉が硬くなって常に張っている症状が酷く、これが長引いた。騙し騙し何とか走れるぐらいに痛く、登り坂をつま先で蹴ると急激な筋肉の伸びに耐えきれずに「ビキッ!!!」と激痛が走ることも2回ほどあった。

『あー、俺の足はここまで劣化しちゃったんだな〜、、、』と、自分で笑うしかなかった。と同時に、痛いということはそれだけ非日常的な負荷を肉体に与えているということで、止めずに継続すればパワーアップが待っているし、何より辛いと感じるよりも走るのが楽しい気持ちが上回っていた。一ヶ月間、ただし毎日ではなくて週4日ペースで走り続けた結果、7月5日時点の今になってようやく足が走力をだいぶ取り戻し、調子良く走れるようになってきた。

通勤の道中で同僚が撮影してくれた、ランニング中の自分

いつまでも走れる自分で在りたい。

これは心の底からの願いだ。正直、バイクに上手く乗れることよりも大切な自己実現だ。だから、このタイミングでそこに立ち返る決心と行動ができて、本当に良かったと心底思っている。俺の性格上諦めずにいつかは再び走り出したはずだろうが、そのいつかを今に変えられて、一つの願いが叶ったような大きな充実感を既に味わえている。

モンゴルツアーが終わっても、この先ずっとランニング通勤を続けていきます。

タイトルは、銀杏BOYZの名曲より。

ULAANBAATAR #2

17 Aug  サポートチームのボス光龍さんと、10時半に待ち合わせて輸送会社のオフィスを訪ねる。

予想以上に立派な会社でびっくり!

モンゴル発日本行きの荷物の責任者の女性と話ができ、こちらで書くべき書類のこと、いつバイクを倉庫に持っていけばいいか、どのぐらい時間がかかりそうかといった事柄が確認でき、とりあえず最低限の仕事は終わった。残念ながら俺がここにいる間にバイクをコンテナに入れるまではいたらず、ここから先は光龍さんにお任せする。

ということで、午後からはお出かけ!Terelj(テレルジ)という、ウランバートルから50kmほどの郊外にある有名な避暑地へと向かった。

少し手前に、ゲルがずらっと並んだレストラン街を見つけてランチ。
若い男の子が呼び込みをやっていたお店にイン、親父さんともどもアットホームに会話でき、料理もすごくおいしくて正解だった!
有名な亀石

モンゴルの北部に位置するテレルジは、みんなと走っていたゴビ砂漠と比べてものにならない緑の豊かさで牧歌的な雰囲気、ちょっと北海道を走っているような感覚?写真にはないが石多めキャンバー多め道でそれなりに走り甲斐があり、景色もすごく綺麗で、ツアー後に思わぬ楽しいソロツー思い出ができました!

ULAANBAATAR #1

バイク6台を日本に送り返す手続きのために残っているが、ここ二日間輸送会社からは返信がこない。ということは、コンテナの確保に手間取っているということだ。

焦っても仕方がないが、とりあえず明日セントラル・エキスプレスの事務所に行き直接交渉することに決めた。そして今日は他にやりたかったことに費やす。

まず午前中は汚れ物を洗濯して、その後ウランバートル駅前までブラブラと散歩してランチ。

駅の構内は立派!ちなみに改札はなく、誰でもプラットホームまでぷらっと入れちゃいます。切符は車内で確認
いい感じの食堂でザ・モンゴル料理をオーダー、茶色一色

午後からバイク旅をサポートしてくれた会社のガレージに行き、街乗りからオフロードまで機動力ナンバーワンのセローを借りる。これで自由に動き回る足ができた。

日本から輸入したというセロー250
これは輸出モデルのXT250でちょっとヘッドライトが大きく、日本国内では販売されてないタイプ

まずは、2017年のバイク旅で2週間ほど滞在した、想い出のOASIS Guesthouseへ。俺が過ごした時のように、ヨーロッパやアジアのライダーやキャンピングカー、バックパッカーでにぎわっているだろうなぁ!と空想し、テラスでコーヒーでも飲んで再訪の喜びに酔いしれよう、、、と考えながら、到着すると、、、

ゲートは鍵が閉まり入れず、小屋にセキュリティはおらず、静まり返っていて建物も何だか色あせて見える。おかしいと思い、ホームページを開くと、、、

今夏は休業すると書かれていた。コロナの余韻とウクライナ侵攻の影響で、メインのヨーロッパからの客が来ないのだろう。ちょっと残念だったが、来年こそ復活できますように、と祈る。また必ず来よう。

その後は、知り合いの味戸(アジト)さんが経営する北部に約15kmほどのところにある、FORTEC Garage with Relax House Guesthouseへ。

味戸さん本人はRally for Rangersというアメリカ人主催のイベント(YAMAHA AG200を10数台フブスグル湖のレンジャーたちに自走で届ける)のサポートで不在なことは知っていたが、突撃してみたところ俺のことを味戸さんから聞いて知っていたモンゴル人奥様が優しく対応してくださった。

ほんと、素晴らしい場所にあるゆったりとした時間が流れるゲストハウスだ。モンゴルには100%必ずまた来るから、その時にゆっくり滞在しよう。

宿への帰路でKTMウランバートルを発見。外にはなぜか、2006年ISDE日本代表チームのステッカーがスイングアームに貼ってあるBMW G450Xが、リフトアップせずにリタイヤを外した状態で置かれていた。

バイクはもちろん、ウエアや小物などのアイテムやケミカルもかなり充実していた。また走りに来た時にもしも何か持ってき忘れてしまった場合は、この店に来ればとりあえず何でも買えそうな、心強いお店を見つけた。

Gobi Desert Challenge

8/6〜14までの9日間、ひたすらモンゴル南部を8人で走り続けた。

バイク8台に加え、サポートカー3台(大好きなUAZ、ランクル、TACOMA)、サポートスタッフ7名の総勢15名という大所帯の旅となった。

ただひたすらに、地平線を追いかけるような果てしないダートを平均70〜80km/hで快走しつつ、ところどころで出現するサンド、マディ、川渡り、お花畑、山道、ガレ場といった難所を乗り越えて進む日々。幸い誰も大ケガやマシントラブルもなく、あらゆる地形とそこにある美しい景色を楽しむことができた。

一番マディだった場所を助け合いながら脱出して汗だく腹ペコ、ランチ休憩をとる。そしてリスタート後、GS6台中3台のフロントタイヤとフェンダーの間にタップリ蓄積した大量の泥が、休憩中に乾いてガチガチに固まってしまったのか、フロントタイヤがロックして回らなくなり、滑りゴケするという信じられない光景が!GSマスターの太郎さんもさすがにこの時は為す術もなくスッテンコロリン。

特に、初めてデューン(砂丘)を走れたのは最高だった。

こう見ると勾配や高さが伝わらないが、デューンを下から全開で(じゃないと登れない)200メートルほど駆け上った。途中から40度ぐらいの斜面になり一気に減速して、リアが砂に沈んで停止した。WR250Fのパワーだと足りず、450だったらもしかしたらトップまで上がれたかもしれない。

無理だと思ってたけど、やってみたら結構走れたから嬉しい。サンド走行のコツもわかってよかった!

2017年の単独世界ツーリングでモンゴルを横断した時は、旅の全財産(服、装備、工具、スペアパーツ、キャンピングアイテム、数日分の水や食糧などなど)を積んだり身につけたりして走ったから、オフロードばかりを選んでガンガン走るなんてとてもできず、こんな景色に感動する半分、この荒野からの脱出・生還を常に願いつつ、アスファルトが恋しかった。

この時のマシンは、YAMAHA TT250R

しかし、グループ&サポートありだった今回は逆で、空荷で駆るエンデューロレーサーWR250Fはオフロード走行こそが最高で、延々と直線の舗装路を100km/hオーバーで移動するシーンになると途端につまらなくて仕方なかった。同じヤマハの250ccでもこうも違うものになるのか、と感慨深いものだった。常に他の参加者のことを気にかけつつも、身も心もバイクもライディングにほぼ100%集中することができた今回も、素晴らしい経験となった。

以下、写真をいくつか。

やっぱり何度来ても最高だぜ、モンゴル!!

バイク旅は終わり仲間たち7名は今朝帰国したが、俺は彼らのバイクたちを日本に送り返す手続きのために金曜日までウランバートルに残り、もう少しだけこの国で過ごします。

I’m in Mongolia now

昨日からモンゴルにインしました。

今日はひたすらアスファルトを南東へ500km移動するので、俺とメディアの三上さんが乗るWR250Fは長距離移動は不向きなのとタイヤ温存のため、TACOMAに乗っけたまま。

明日から俺もこれでモンゴルの無限の大地を走ります!がんばらねば〜