October 20-23 Russia Georgia Azerbaijan

Oct 20 Russia →Georgia

何だか良い評判(洗練された街並み、治安良し、食べ物良し、物価安しなど)を聞いたので、アゼルバイジャンの前に寄り道感覚でジョージアへ。

ロシアとの国境は山間部にあり、ジョージアへ入るとしばらく登りが続き、雪が積もる中を走る。この日は天気が良くてよかった。

途中、思わず停まりたくなる古い教会などの見所もあった。

キレイな建物が多い便利な都会、首都Tbilisi(トビリシ)へと着く。

Oct 21 Georgia

Tbilisiから北へ約25km、古都Mtskheta(ムツヘタ)をちょこっと観光、のどかなフンイキに癒やされた。

Tbilisiでの二晩を過ごしたHostel「Soul Kitchen」は、客とオーナーで毎日「ダバイ!」(ロシア語の乾杯)を言いまくる、文字通りアツい宿だった。アルコール度数が50%あるジョージアの名物酒「チャチャ」と、5Lのワインボトル(ワインがとても安い)が空になるまで続き、寝たのは朝6時!

Oct 22 Georgia →Azerbaijan

起きた途端に、

「今日もチャチャタイムだろ?」「もう一泊だろ?」

と甘い誘惑を浴び心揺さぶられるも、予定よりも進行が遅れている状況のため、名残り惜しくもこの宿を後にする。

午後からのスタートだったが、ジョージアからアゼルバイジャンへと入国し、Ganja(ガンジャ)というインパクト大な名前の町まで進んだ。

ジョージアもアゼルバイジャンも、正直さほど違いは感じられない。これまでのシベリアゾーンロシアや中央アジア諸国と比べ、どちらも開発されている国という印象だ。国土が小さいから手が行き届くのもその理由に違いない。

Oct23 Azerbaijan

カスピ海に面した首都のBaku(バクー)を見てみたくて、この旅で初めて東へ向かって進む。青空のオーシャンビューロードを鼻歌まじりで気持ちよく走り、約20kmほど手前まで来た時、突然「ブワァーーーン!」と大きな空吹かし音を出した後、駆動力がゼロになった。力無く惰性で進むバイクを路肩に停め降りて見ると、ドライブチェーンが切れていた。

伸びてると知りつつもうちょっと!と欲張って使ってきたが、切れたチェーンが引っ掛かり後輪がロックしなくて良かった。。

携帯していた新品との交換をその場で行っていると、車が停まり、「俺もHONDAのCBRに乗ってるんだ、手伝わせてくれ!」とアンドレという男が降りてきた。チェーンの強力なベッタリオイルで手がめちゃくちゃ汚れるのを気にもせず、明るいノリと笑顔で手伝ってくれるアンドレのおかげで、時間短縮はもちろん凹んだ気分も消してくれた。

そして再び走り出し、無事Bakuへたどり着いた。

ありがとう、アンドレ!

10/15-19

最後に雨の中を走ったのはいつだか忘れてしまったぐらい、9月半ばに中央アジアに入って以降恵まれ続けてきた天気だったが、カスピ海北部に来て久しぶりに荒れた。

10/15は、前日からの豪雨で町のあちこちが冠水したため、動かずAtyrauにもう一泊。スペイン人のJoanと仲良くなり、12月に彼の故郷の村Rosesでの再会を誓う。

10/16 カザフスタンから、この旅三度目のロシアへと入国。ここはカザフスタンの出国検問所から、ロシアの入国検問所まで10kmぐらい離れており(普通は隣接するか少し離れている程度)、しかも道中には別れ道もあった笑 行かなかったけど、先はどこへつながっているのだろう?

こじんまりしたコンテナ作りの検問所では、バイクの登録に雨混じりの強風が吹きつける中で1時間ほど待つ。ロシアを走る上で必要な保険の有効期限が切れているせいか?いや、俺はこの国の適当さを知っている、誰もそんなの見やしない、、、案の定、無事入国!Astrakhanという町まで進んだ。

10/17 この日も雨と強風は止まず、ちょうどバイクのメンテも必要だったので動かず。いつの間にかぶら下がっていた右リアウインカーの取り付け、クラッチの切れが悪くなったためワイヤーテンションの調整、リアブレーキパッドの交換(ピストン側のみ片ベリしまくりのため片方のみ)。とりあえずここまでは深刻な問題は発生していないので、助かる。この先もよろしく!

10/18 カスピ海の西側を南下する。なんだかアフリカっぽいな〜と勝手に思った道を走った。

10/19 ジョージアとの国境を目指して進む。かつて走ったシベリアゾーンは、今にも壊れそうな古い木造住宅をよく見かけ、大地も何だか荒涼とした印象だったが、カスピ海ゾーンは建物も生態系もより豊かな気がした。そんな景色に包まれた道中は、暑くも寒くもない気温にも味方され、素晴らしかった。イスラム教モスクもよく見かけた。

途中のGroznyで見かけた、ロシアでは珍しいチョッパースタイル(国がバカでかいからみな早く進みたいのか、スポーツバイクが多い)のバイカー。ボクサーツインエンジンでBMWのタンクだったから、おおっビーエムのチョッパーはさらにレアだ!と思って話しかけたら、URALとのこと。URALのチョッパーでも珍しいけど。

ちなみにこれはAstrakhanで売ってた、YAMASAKIのバイク笑

ロシアで最後に滞在する町となったVladikavkazは、約13,500km前のこの旅の出発地Vladivostokと似たような景色と雰囲気だから何だか不思議で、そして懐かしくも感じた。

10/12-14 Bye-bye Uzbekistan! Hello Kazakhstan!(again)

ウズベキスタン北部にある最後の大きな町、Nukus以北は砂漠の中を一本の道が貫いているだけで、ただひたすらに何も無かった。国境を越えてカザフスタン最初の町Beyneuまでの約510km、ガソリンスタンドは無かった(正確には1つか2つあったが営業していない)。日本だと東京から大阪までの距離になる。

途中、まさにオアシスのようにポツンとあったトラック野郎たちが集まる大きなレストランBon Voyageに寄り、ローカルからガソリンを買えたからこの区間を突破できた。

12日 この旅三度目のカザフスタンへ入ったところで日が落ち、Bayneuまで100km近く真っ暗なガタガタ道を走る。

13日 カザフスタンでもウズベキスタンに近いこのエリアはガス燃料の車が主流で、スタンドを何軒も周るがどこもガソリン切れ、最後の1軒でも4日待って整理券を買えと言われるも、困っている旅人をアピールし粘ってその場を離れずにいるとこっそり給油してくれた!

最初強くNiet(ニィェット)=Noと言われて冷たく感じたおじさんから、「急げ急げ〜!」や「写真撮ろうぜ!」と陽気な言葉を聞けた時、ガソリン砂漠が終わったんだと実感する。

14日 カスピ海北端の町Atyrauより、日本のバイクイベント『プレミアムSSTR』にネット出演させて頂き、お世話になった風間深志さんや日本のバイク乗りの方々と久々に会話ができた。貴重な時間をありがとうございました!

(Facebookで配信したライブ動画へのリンク)

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2142738482620381&id=100006527503890

10/8-11 Interesting Uzibekistan

10/8 Samarkand(サマルカンド)を午後出発し、Bukhara(ブハラ)という街を目指す。

ウズベキスタンの車は、ほとんどがメタンガスやプロパンガスで動いていた。この車は上にボンベ乗っけてる。

日本でもタクシーはプロパンガスを使っているが、ここではガソリン車の方が少ないらしく、ガススタもメタンとプロパンばかりでまさにガススタ!

BenzinやPetrolと書かれていても営業してなかったり、ガソリンは無いと断られるところの方が多い。断られても頼みまくったら出してくれたり、普通の家から買ったりと、ガソリンGETゲームと思ってこの状況を楽しんだが、オクタン価がわからないのは嫌だ。80と書かれたのを入れるしかない時もあったが、それも定かではない。。

値段は入手先によってまちまちだが、最安でリッター50円ほどだった。ちなみにここまで高い国でもリッター80円台と、どこも日本より安くて助かっている。

ここはやってなさそうだったが、やって

いた。

こんなレトロな給油機も。

家から買ったガソリンを入れる動画。販売は違法なのだろう、本人たちは顔出しNGだった。

でもこいつらは「別に?」と写真撮らせ てくれた。

10/9 Bukharaは見所多しと聞いていたので半日ぐらい見ようかな?と思っていたところ、予想以上に良かったので丸一日見た。 写真を沢山撮ったのだが、通信速度の関係で沢山あげられないので、とりあえず数枚。キャプション無しですいません!

ネックレスを買った店の職人と偶然夕食で再会し、「ダバイ!!」(乾杯とかいろんな意味があるロシア語、ウズベキスタンも基本ロシア語)この後三人でウォッカ1.5L、一人あたり500ml、、気持ちよく眠った。

10/10はBukharaからKhiva(ヒバ)という町へ移動し、11の午前中だけ自転車を借り町をまわった。

ここも見所は多かったが午後には出発し、Yelabadという小さな町まで進んだ。

何だか、夕陽のパワーが日本よりも強い気がする。

9/29-10/7 Bye-bye Tajikistan! Hello Uzbekistan!

9/28にタジキスタンの首都Dushanbeに到着し、この先の国々のビザを取るため10/6まで8泊9日間の長居をした。

イランとウズベキスタンのビザ申請に必要な、Invitation Letterを依頼した業者から受け取るまでに、思いのほか日数がかかったのが大きい。自分の段取りに反省だ。

Dushanbeのイラン大使館の外観はこんな感じ。

↑ 来る者を拒んでいるかのような出で立ちだ!看板わかりにくすぎ〜

手に入れたイランビザ。

支払いはDushanbeに一つしかないイランの銀行に行かねばならず、大使館係員の場所の説明は適当、道行く人々に聞きまくっても誰も知らず、探し出すのに苦労した。。

ビザ待ちの足踏みだったが、滞在した「Hostel Latifa」は一泊朝食付きで4ドル(最大で7名が入るドミトリールーム)とめちゃ安く、たまに昼に宿にいると家族の昼食に混ぜてもらったり、一緒に買い物に行ったりと超アットホームでリラックスしまくり、家のような気分で過ごせた。

↑ ホテルの向かいの家の兄弟、いつもお兄ちゃんが妹のおもちゃの車を押してあげていた

この10年間たまにしか家に帰っていないさすらいの男、ウクライナ人のMykhailoがルームメイトだったのもラッキーで、様々な話を聞くことができた。

ウズベキスタン→トルクメニスタン→イランと進む予定だったが、トルクメニスタンビザはさらに二週間待つ必要があったため(しかも5日間しか滞在できないTransit VISA)、カスピ海を北から周ってアゼルバイジャンを通ってイランに入るルートに変更を決定!アゼルバイジャンビザはネットで取れる。

10/6、わが家のようにくつろぎまくったHostel Latifaのオーナー家族やルームメイトに別れを告げて、ウズベキスタンとのボーダーへ向かう。タジキスタンの出国はサクッと終わったが、ウズベキスタンは役人はみな超フレンドリーで気さくなのは良いものの、仕事が遅く(というか遊んでる感じ)バイクの登録にめちゃくちゃ待たされて、2時間かかった。。

町、人々、景色はいよいよ中東って感じだ。

今はSamarkand(サマルカンド)という町まで来た。確か小学校の国語の教科書の中の椎名誠さんの作品でサマルカンドが登場し、面白い話だったのでその名前は強く記憶に残っていた。ちなみにもう一つ名前を覚えているのは、”さまよえる湖”ロプノール湖だ。どこに存在するのかも知らなかったが、今その場所に自分の力で来たと思うと、なんだか嬉しかった!