How is Mauritania?

**基本的に宿のwifiでブログをアップしてますが、西アフリカを進むに従ってどんどん通信速度が遅くなり、今は自分が貼り付けた写真も表示されないレベルに。。というわけで、情けないことにどの写真をどこに入れたらいいかわからなくなってしまった状態なので、今回はいつものように写真を文章に織り交ぜず、最後にまとめて載っけます。字面が多くてスンマセンッ!!見れるようになったら、然るべき位置に差し込んだり、キャプション付けたりしたいと思います。***

03 February 何一つ知らない国Mauritania(モーリタニア)に入り、変な言い方だけど「おおっ!いよいよマジなアフリカが始まった!!」と感じた。それほど印象が変わった。最初の町Nouadhibou(ヌアディブ)の景色を見て頭に浮かんだ言葉は、カオス!道端に溢れかえる人々、失礼だがボロボロに見える建物たち、灯りが無く暗い町、そこら中に落ちているゴミとその臭い、それをあさるヤギたち、馬やロバもそこら中にたくさん、信号もロータリーも無い大きな交差点、などなどなど。車も人も自分のことしか頭に無いような動きをするので、いつも以上に気を引き締めながら砂だらけの町を走る。

人々は素朴で穏やか、いい意味でマイペースだ。やたらと話しかけてきたり、からかってきたり、押し売りしてくる人はおらず、食事や買い物でぼったくられることもなく、危険な目にあったり不快な思いをすることはなかった。見た目は荒れてる町だけど。

ただ、ほとんどがディーゼル車でバイクなど滅多に見ない国ゆえ、ガソリンの入手が難しい。ちなみにフランス語圏のアフリカ諸国では、ガソリンはEssence(エッセンス)、ディーゼルはGas-oil(ガスオイル)と呼ぶ。ウズベキスタン以来のサブタンク(といってもただのペットボトルたち)も準備し、ここで満タンにして600km近く無給油でも走れる状態にした。

04 February 首都のNouakchott(ヌアクショット)へ。泊まった宿Auberge Menataは屋上にモンゴルのゲルより大きなテントがあり、部屋よりは安く泊まれる(一泊3,000MRO=約900円)のでそこへ入ると、教師をリタイヤした旅好きな斎藤さんと、イギリスからSUZUKIのDR350でやって来たライダーのRichardに出会った。翌日には斎藤さんと入れ替わりで、自分より一つ年下の雄大(ゆうだい)がやってきた。まさかモーリタニアでこんなに共通点のある人達に会えるとは思わなかった!

05 February 次の国Senegal(ビザ不要)の次に行く国、Maliの大使館に午前中に行って申請すると午後には発行してくれて7,500MRO=約2,300円、Senegalで取るより約半額とお得だった!

06 February 同じくセネガルへ向かうRichardと一緒に、国境へと向かった。メインロードが走るRosso国境は金が欲しい人々がわんさか群がってくることで悪評高いので、マイナーなDiama国境の方を目指す。道中の景色や町や道はアフリカが存分に感じられて、すごく楽しかった!

RossoとDiamaの分岐点を過ぎた後の、国境まで約150kmほどのポリスチェックで、旅の経験値が試される出来事が起こった。

この時点で17時前だった。ポリスは、「国境は18時で閉まるから今日は間に合わない、途中で泊まって明日行け」と言う。それは納得した。そしてポリスの親友で、モハメド・アリ(笑)と名乗る男が、「2km先にキャンプできる場所がある。安全でタダだ、案内しよう」と言ってきて、ポリスもそれがベストだという。俺はポリスも含めて簡単には信用しないが、この先国境まで町らしい町は無くキャンプするのは確定なので、とりあえず場所を見て判断することにした。

そこは道路から少し入った広い空き地で、良くも悪くも無い印象。アリは、「疲れてるし腹も減ってるだろう。今日は家でキャメルミート = ラクダ肉のスペシャル·クスクス(クスクスは西アフリカの伝統料理)を作ってるから、食べたかったらここに持ってこようか?」と言い、Richardは大喜び!しかし依然として警戒している俺は断った。さらに、「セネガルから先のバイクの保険には加入しているのか?もし無いならセネガルには入れないし、国境では保険は買えないぞ?」と言ってきた。セネガルから先のアフリカ各国を広くカバーする『ブラウンカード』なる保険があることは知っていたので、それかと尋ねるとそうだと言う。しかし国境で買えないのはおかしい。じゃあどこで買えるんだと聞くと、アリが保険を発行できるという。金額は、1ヶ月間有効が75ユーロで、3ヶ月間有効が150ユーロ。ヨーロッパのグリーンカードよりは安いが、アフリカの保険にしては高い気がする。初対面のコイツの話をいきなり信用できないし、国境の手前で向こうから近づいてきて手を差し伸べてくる輩は金目当てが多いという経験則があったから、俺は保険を買わなかった。Richardはアリの話=「ここで保険を買わないで国境へ行ってもセネガルには入れないから、結局またここへ保険を買いに帰ってくることになって、往復300km無駄に走ることになるんだよ!?」を信じて1ヶ月分買った。手持ちが無かったため、明日銀行へ金を下ろすためだけに往復80kmほど違う方向へ走ることになるのだが、それでも300kmの無駄走りをするよりは全然マシという本人の判断だった。

しかし!俺が「ヤツは怪しい!」という見解を崩さなかったことにRichardも感化され、気が変わり、アリから逃げることにした笑 当初のキャンプ予定地から100kmほど進んだ小さな村でRichardのバイクがバッテリーあがりでストップ、仕方なくここで寝る場所を探していると、保険証券を持って追いかけてきたアリに捕まった笑 ヤツが怖い顔して「お前の友達はどこにいる!?」って来た時は、あちゃ〜って感じだった。。

そして翌朝。俺は保険は国境で買えるはず、しかももっと安く!と信じて国境へ直行、Richardはまずアリに払う金を下ろしに国境とは違う方向にある銀行へ。少しだけ同じ道を一緒に走り、ちょうど俺たちが別れるポイントにポリスチェックがあった。

ポ「どこへ行くんだ?」

俺「Diama国境だ」

R「銀行だ」

そして俺たちがそれぞれ違う方向へ走り出すと、ポリスはすぐに誰かに電話で報告を入れた。たぶんアリだろう。不当と思われる金額の支払いから逃げるため、Richardも一緒にDiamaへ行こうとしても、ポリスは彼を通さなかっただろう。事実、俺が単独で通過した次のポリスチェックでの会話は、こうだった。

ポ「お前の友達はどこだ?」

俺「銀行へ行っている」

ポ「OK」

そして。国境にてあっさりと保険は買えて、しかも金額は3ヶ月で40ユーロだった!(アリの金額は1ヶ月が75ユーロ)

幾多の国境を越える中で培った経験値が、アリのボッタクリから俺を守ったのだ。嬉しかった!

次に小さな建物に入り出国スタンプをもらう。係員が処理手続き費として4700MRO(約¥1400)を請求、払わないとパスポートが戻ってこないので仕方なく払う。しかしどうも引っかかる。外に出て先ほど保険を買った男を探して伝えると、やはり必要のないお金だった!よし、取り返す!建物に戻る、俺の血相を見た係員が目を丸めている。そしてあえて一言も発せず、代わりに本気で怒っている表情と、金返せこの野郎!!というジェスチャーのみ彼にぶっつけた。このサイレント作戦がうまく成功し、お金は戻ってきた!

セネガル入国時にかかった費用は下記の通り。

①セネガル川を渡る橋の通行料 : 4000CFA(約¥800)

②自身の入国手続き : 2500CFA(約¥500)

③バイクの持ち込み手続き : 6500CFA(約¥1300)

うち、レシートをもらったのは①だけだったが、②も③もモーリタニア側で保険男が教えてくれた金額の通りだったので、おそらく賄賂ではないと考えて支払った。アフリカの国境越えはこの先も何かしら起こりそうだが、そのぶんクリア後の達成感が強そうだ!

Keep on Rolling.

I was in jail on 2nd March night..!

※2月に走った各国の旅日記よりも先に、3月2日ブルキナファソで起きたテロの日の出来事を書きます。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

02 March ミッションカトリックと呼ばれる教会の中にある宿に泊まっていたが、そこからわずか1kmしか離れていない陸軍本部が爆破されていた。どおりで建物が揺れたわけだった。

また、フランス大使館も襲われたらしい。バイクの格好(プロテクターベスト、厚手のズボン、ミリタリーブーツ)のまんま方が安全だぜ!と、銃声も落ち着いてから様子を確認しに外に出る。しかしこの格好が不運だった。

毎日40℃になる町をこんな格好で歩いているヤツは、他に一人もいない。しかも外国人だから目立つ。テロリストと疑われ、駆けつけた軍隊に取り囲まれて捕まってしまった。。

後ろ手に手錠をかけられて、車の後部座席に投げ込まれ、横たわる俺の顔と腰の上に一人ずつ、銃を持った軍人が座る。ミリタリーキャンプに到着すると同時に30人ぐらいに囲まれて写真を撮られる。嬉しくない。。

後ろ手に手錠をかけられたまま、幹部らしき8人の円陣の中心にひざまずかされた。銃を持った兵士が周りを取り囲んでいる。俺がどんなヤツかなんて当然誰一人として知らないし、全員が疑っている。無実をしっかりと伝えなければヤバい。焦ったり興奮したら、かえって相手を刺激してしまうだろう。今の状況を頭では理解しつつ、それが感情と結びつかないようそれ以上頭を使うのは止めた。つまり、まだ見ぬ恐怖を自身で生み出して、その幻想と戦わないようにして、ドキドキしたりキョドったりせず堂々と落ち着く。このフランス語圏でどこまで説明が通じるかが心配だったが、幸い英語が話せる人も二人いて、とりあえずテロリストじゃなくてツーリストなんだ!日本からバイクで走ってきたからこんな気合いの入った格好してるんだ!ってことは伝わったらしく、骨にゴリゴリと当たって痛かった手錠を解いてくれた。

次に個室に入り、一時間半ほど細かく尋問を受けた。入国目的や渡航履歴、家族のこと、テロの前後の行動履歴などなど。これが終わると何となく俺は「シロ」だとわかってくれたのか、建物の入り口にある待ち合い室のようなエリアで座っているように指示された。いわゆる軟禁状態で、依然パスポートや携帯やカメラなどの所持品は押収されたままだ。この時点で14時頃、遅くとも夕食までには帰れるだろうなどと考えていた。

その後、俺と同じように手錠をくらった容疑者の連行は続くが、取り調べ室に入った後はどこかへ消えていき、ここで待っているのは俺一人。疑問に思いつつも、きっと俺はすぐに開放されるヤツなんだ!とか勝手に思っていた。18時頃やってきた、上半身裸で裸足の男を最後に、連行者は止まった。しばらくすると男が何やらわめきだし、その後聞こえるビシッ!バシッ!と音と共に悲鳴を上げる!ムチ打ちだった。取り調べ官になぜ彼だけ?と尋ねると、「ヤツが今回のテロリストだ!」と答えた。

しかし、その後も依然として俺は釈放されない。22時になって取調官に、今日はここに泊まるんだと言われた。今朝出発するつもりで荷物を載せたままバイクを宿に停めてきたから心配だ、帰りたいと言ったものの当然許可されず、仕方なく泊まることに。そしてベッドルームといって案内されたのは、まさかの今日捕まった全員が入ってる10m×3mほどの牢屋だった!ヤツらはここに収容されていたのか、、先客の12人(全員アフリカ人)の中にはなんと、最後にムチ打ちを食らった「裸野郎」も手錠を付けたまま居る!その瞬間、俺もまだ容疑者リストから抜けていないことに気がついた。

マジかよ、、と思いながら部屋の隅に行き、冷たい床に横たわる。トイレはなく、ペットボトルが何本も置いてある。少したつと老人が近づいてきて、服のようなものを床にひいてくれようとした。しかし下手に受け取って後で見返りを求められたらイヤなので、断わった。すると次に「裸野郎」が何やら言い寄ってきたので、シカトし続けて追い払った。するとまた最初の老人がきて、俺の横に蚊取り線香を置いてくれた!あれっ?この人マジでいい人かも??てか何で蚊取り線香持ってんの!?と疑問に思ったが、次はゴザを持ってきてくれたので敷いてもらい、そのおかげで結構ぐっすり眠らせてもらった。鉄格子の隙間から見えた満月が綺麗だったなぁ〜、、

同じ囚人ならばあんな余裕とホスピタリティあるわけがない。この牢屋の寮母さん的な立場なのかも??おじいちゃんだけど。翌朝早く、牢屋の前のドアが開く音がして「よっしゃ!出られるか!?」と期待したが、新たに若い男が投げ込まれてきて計14人に増えた。この男もショーパンツのみを身に着け、背中にはムチ打ちを受けた傷があった。男はおそらく「話をさせろ!!」的なことを叫びながら牢屋のドアを何十発も殴り、軍人を呼ぼうと怒り狂っていた。

ムチ打ちされたのならば、軍はこの「裸野郎2号」も犯人と断定したのか?しかし理不尽な扱いに対して怒っているように見えるし、最初の「裸野郎1号」と知り合いな素振りは一切見られなかった。それは彼らの演技かもしれないが、これほどの規模の事件なら当然複数犯だろう。また人は見た目ではわからないが、「1号」はテロリストとは思い難い、気弱そうな痩せた青年だ。やがて、俺を除いた13人の中に果たして本当に「真犯人」はいるのか?もしかしたら全員俺と同じく冤罪かも??とか考えてしまった。それほど、皆どこにでもいる人のように見えたのは事実だ。。

8時頃に俺だけ牢屋から昨日の待ち合い室に移動させてもらった時、今度こそ帰れる!!と確信した。そして拘束されてから丸24時間がたった正午12時、晴れて自由の身となれた。すごく身近に起きた今回のテロ事件の真犯人が裁かれること、また自分と同じ冤罪者が必ずや釈放されること、そして改めて犠牲者の方々へのご冥福を心から祈りたい。

02/03/2018 arround 10am

ブルキナファソの首都ワガドゥグーにいる。
でかい爆発音があって、宿が揺れた。
近くで銃声やサイレンが聞こえる。
テロという噂もあるけど、まだはっきりはわらからない。
今朝出発予定がいつ出れるかわからなくなった。宿の人達が冷静なのが助かる。
とりあえず無事です!