8/20の出来事

この日は最後の最後に、大きなドラマが待ち受けていた。

(今回長くてすいませんが、良かったら最後までお付き合いください!)

何の問題もなく、今日もただひたすらに西へと走り続ける。こんなにアスファルトをかっ飛ばし続けるなら、ロシアはブロックタイヤだと減りがもったいないから、ロードタイヤ履いてくれば良かった、と冗談半分に考えながら。ちょうど今日の走りを終わりたいぐらいの所に、地図で777という名前のモーテルを発見。

縁起の良い名前だし、ロシアンモーテルデビューしてみるか!と意気込むも、フロントの女性から「Net(ニィェット)」=No、空いてないと連呼される。隣りにカフェも併設していたので、前日成功した『食べるから店の横にテント張らせて』攻撃を仕掛けるも、Netで反撃されてやむなく退散する。

この時期のロシアは20時半ぐらいまで明るいが、19時を過ぎていたので走るのはやめて、しかもこの日夕方からおそらく15℃近くまで気温が下がりかなり体が冷えたので、最寄りで泊まれそうなところを探すと、10kmほど戻ったマグダガチという街には宿が2軒ある。

空港もあり鉄道も走っているので、大きな街だなと思い向かった。

そして、幹線道路のR297看板を右折して側道に入ると、、村へと続く道は、ど真ん中に大穴が空いた泥の池の連続だったのだ。

完全に面食らうも、幹線道路から村へと入る道が未舗装路な景色はよく見ていたので、さほど気にせず進み始めた。というのも、最初は上の写真のような道幅いっぱいの池ではなく、避ければ進めるレベルだったし、ハードルを乗り越える楽しみを抱いた。しかし、5箇所ぐらい通過してから完全に池の中を進まざるを得ないものが出現した。

オフロード未熟者の自分は、こんな道を進んだ経験が無い。どのぐらい深いか予測がつかない。荷物は満載で二人乗りに近い重量、池の真ん中で水没やスタックしてもしもバイクが横っ倒しになったら、荷物はおろかバイクも水吸って終わりかも。街まではまだ遠いので、誰も通らないこの道で夜を明かすことになるのか。。など一気に不安になり、この道を進んできたことを後悔した。しかし先を見ると、目の前の池を通過できれば普通の道になっているように見えたので、少しでも浅そうなラインを予測して突っ込み、なんとか突破することができた!

しかし、実際には手前からはわからなかっただけで、また泥の池で塞がれていた。後戻りすることも少し考えたが、いまギリギリで渡れたところをもう一度行けるか不安だったし、何よりも「大きな街につながる道がこんなにもグチャグチャなわけがない、きっとこれが最後だ」と思い込んでいた。

結局、それから10回ぐらい水の中に突っ込むしか道が無いところがあり、大小含めて全部で30個ぐらいの池を通過した。途中2回スタックしたが、バイクを降りて全力で押しながらアクセルを回し、よろけつつもコケずに何とか突破することができた。。!冷え切っていたはずの体は汗ダクで、何よりもやっぱブロックタイヤ履いといて良かった!!と心から思った。しかし、今思えばまるで侵入を拒むような道に感じる。。

その先に進む。が、一向に空港も街も見えてこない。ここまで来たら行くしかないんだ!ととにかく突き進むと、遠くにボロボロの家々が見えてきた。まさか潰れた街なのか??と、最後は泥の中に50cmぐらいの深い轍がそこかしこについた道を100mぐらい走り、ようやく街の中へ。家々はまるで廃墟のようにボロボロで、街の中の道路も未舗装ガタガタ、照明もまばらで薄暗いが、人々がいた。

これはヤバい街に来てしまった、、と思いつつも、他に行くあてが無いのでとりあえず地図で見つけた宿の一つに向かう。たどり着くと外観が悪いので、さてどうしたもんかと躊躇していたところ、「Do you need a help?」と英語が聞こえた。振り向くと若い男女がいて、女性の方が英語が話せた。男性がバイク乗りだったから話しかけてきてくれたのだ。見せてくれた写真は、同じヤマハのセローだった。

彼女に仕方なくこの街に泊まることになったことを説明し、治安を尋ねたところ、やはり危険な街でありこのままでは荷物もバイクも奪われてしまうだろう、と言われた。そしてそれを逃れるためには、今すぐもう一つの宿(いま目の前にある宿はヤバイと言った)に行って部屋に入った方がいい、と。彼らに礼を言い、その宿へ向かう。

たどり着き、受付の女性に今晩泊まりたいとグーグル翻訳を駆使して伝えるも、5秒ぐらい無反応の後に好意的では無い表情でロシア語の返事が。突然泥だらけで現れた外国人に関わりたくないのか。。

頼みの綱が無くなりそうで困ったと思ったところ、同じアジア系の顔をした英語がわかる男性客が現れ、仲介をしてくれた!彼の仲介のおかげで良い方向に転じ、そしてとりあえず泊まれることになるが、バイクがヤバいとのこと。バイクがヤバい、つまりヤバイクならばここには泊まれない、、しかし今から別の宿を探すのは厳しいと思い、ガレージなどに入れてほしいと頼んだところ、受付の女性が隣りにある工場の長に電話をして、その工場の長が来て中へと隠してくれたのだ!ただし200ルーブル=約400円払うことになったが、断れるわけがなかった。ちなみに、ホテル代は1000ルーブル=約2000円、これでも緊急対応分を乗せた値段なのだろう。

21日の朝、無事バイクと共にスタートできたら、街の様子を写真に撮ってアップしたい。今日はその余裕が無かった。

違う道を通る脱出ルートは、自分を助けてくれたアジア系の彼に聞いている。

8/19の出来事

ハバロフスクから約2700km離れたウランウデまで、ひたすらに西を目指す旅が始まる。

広大な大地にただ延々と続く道以外、何もない。贅沢な時間だが、飽きる。自分のこと、家族のこと、この先の旅のことをいろいろと考えながら走るが、それでもタップリ持て余す。

ストップばかりの日本の都市部を走ると、信号が無く終わりが見えないぐらいのドストレートは気持ちいいが、それだけが何日間も何千kmも続くと嫌に感じてしまう。一度トップギアに入れたら、道路のガタガタや穴や片側通行に出くわさなければ、ブレーキもシフトダウンも全く必要ない。ブレーキパッドやエンジンオイルには優しいのはありがたいが。

不思議なことは、同じ雄大な景色でも北海道なら牧場をよく見かけるのだが、ロシアではぜんぜん見ない。偶然通ってきたエリアには無いのか、それとも寒すぎて外では育ててないとか?

キャンプをしようと考えていたこの日、途中の小さな村に地図では食料品店と水場があったので補給に立ち寄るが、店は17時で閉まっており、水場の水も生臭かったし、水場に来た男連中も水以上に危険な香りがしたので、退散した。

西へ向かうR297に戻り、道路沿いのレストランで夕食をとり、お願いしてその敷地内にテントを張らせてもらった。

初ロシアキャンプは、恐ろしいぐらいの数の蚊に襲撃され、おでこだけでも30箇所ぐらい、首や手を含めると多分100箇所以上刺される。でも、気持ちの良い朝を迎えられた!

フライシートを外し途中に撮ったから、テントがイビツっすね、、!

8/18の出来事

ひ弱なのか朝のドシャ降りに心が負けて(昼には晴れた。。)、ロシア最後の観光できる街になる可能性大ということもあり、ハバロフスクをブラブラした。

エンジンオイルを買い、中央市場を見学&食事、フラワーフェスティバル、レーニン広場、中国との国境となっている雄大なアムール川を見る。

腕が無いので、この程度の写真でスンマセンッ!

8/17の出来事

ハバロフスクに夕方到着し、昼を食べてなかったのでスーパーでハンバーガーとロシアのツナおにぎりを買って食べた後のこと。

スーパーの入口の隣りに5畳ほどの小部屋があり、ソファーが二つと扉があった。

マンションの玄関か何かかと思いながらそこで休んでいると、ホウキとちりとりを持ったおばさんが扉から出てきて、掃除の邪魔だから出て、となる。

出てバイクの前に座り休んでいると、そのおばさんがいろいろ話しかけてきて、理解できなかったがご飯は食べた?と言ってる感じだ。そこのスーパーで買って食べました的なジェスチャーをしたが、伝わらなかったらしく、何やら「食べなさい食べなさい、プレゼントよ」と言ってる感じだ。

まだお腹に余裕があった自分にはとても嬉しい好意だったが、荷物満載のバイクを放っておけないので渋々お断りしたところ、何とバイクを入口の5畳の部屋に入れなさいとのこと!

扉を開けて階段を登ると、そこは店の真ん中に実物大のメープルツリー(造り物)が生えた、それはそれは立派なKlenという名前のレストランだった。

そこで豪華なご馳走を頂き、宿の検索もしてくれ、何かあったらここに電話するのよ、と日本語が話せるロシア人と繋いでくれて携帯番号を授かった。

ERAという名前のおばさんから、申し訳なさすぎるぐらいの親切を頂いた。この旅の中では何も恩返しができないけど、いつか必ず御礼をしにまた来よう!